ハイドパークのシマリスくん

 彼女から、倫敦に行く、と電話があった。

 大学を卒業してから調理師の専門学校の夜間コースに通っていた彼女の夢は、美味しい料理をもっと美味しく食べてもらう仕事をすることだった。そのことを初めて聞いたのはまだ僕らが同じ大学に通っているときのことである。確かに彼女の料理は仲間内でも評判だった。僕らはパーティの度に彼女の料理を褒めていたし、そんな彼女の料理をパーティ以外でも食べられる僕は、仲間の羨望とやっかみの対象だった。
 美味しい料理なら僕やみんなが食べてあげるよ。満更でもない調子で僕は答えた。てっきり彼女は僕との結婚を考えているものとばかり思っていたのだ。何故そこにみんなが登場するのかと言えば、それは照れのせいだった。
 ううん、そういうことじゃなくてね、なんていうかなあ、と彼女は遠くを見つめる目で思案顔になった。よくわかんないんだけどね、仕事としてなの、と彼女は、きっぱり、という口調で答えた。実際、彼女にもそのときはまだ漠然としたイメージしかなかったに違いない。僕は、今夜こそプロポーズ、のサブタイトルはあっさり没にした。流れは既に彼女の夢の話になっていたからだ。新聞と内容が異なることを詫びるワイドショーの司会者が工事現場の看板みたいに頭を下げていた。

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