こんな話があるでよ=WHAT'S NEW? --last modified 2000
アマ・ダブラム南西稜ソロ+初フライト
大昔に月曜の雨は嫌いだって歌があったが、僕はやっぱり週末の雨 のほうが疎ましい。そんな、山に行けないだらっ〜とした週末、少し前 に届けられていたUSHGA(アメリカのパラグライダー組織)の最新 の機関誌をめくった。ペラペラの小誌だが、内容は濃く、これまでもア メリカへ飛びに行くときには多いに役立っている。アイスクライミング で有名なウィル・ガッド(彼はパラの全米クロスカントリーチャンピオ ンでもある)が、3ページにわたって何か書いていた。英語がすらすら わかるわけじゃないので読み飛ばす。クロニクルがあって、「アマ・ダ ブラムの完全な頂上からフライト」という小さな見出しに、おっ、と思 わず身を乗り出した。 「オーストリアのハルティ・クフェルナー(37)は、1999年11月3 日、エベレスト山群の聖山であり、また世界でも最も美しい山のひとつ であるアマ・ダブラム(6812m)を南西稜ノーマルルートからソロ で登り、頂上からの初めてのパラ・フライトに成功した。 ハルティ はパートナーのゲルハルト・ピルツとともに、総勢8人の遠征隊に加わ っていた。1万8700ftのC1からいったんBCに下って休息をとっ たふたりは、翌日、頂上をめざして出発した。天候の悪化が気がかりだ ったが、意を決して午前2時30分にヘッドランプの明かりを頼りにハイ キャンプから上部のリッジに取り付いた。しばらくして、ピルツが不調 を訴え、そこから引き返した。ひとりになったハルティは暗闇のなかを 慎重に登り続けた。3時間後、ルートはリッジから難しい氷壁に変わっ た。クランポンをつけ、南西稜の上部に食いこむ急峻なアイスガリーか ら頂上をめざして一歩一歩高度を上げていった。やがて日がさし始める と、彼はわずかな休息をとってパワーバーを2口かじり、再び、目標に 身を浸した。 アイルランドチームとフランスチームを抜くと、頂稜直下の難しい アイスリッジにさしかかった。ルートは、もろく堅い氷で覆われており 、アックスを打ちこむと細かい氷片が砲撃のように飛び散った。頂上ま ではもう300ft、風は南から吹いているが、まだ弱い。幸運にも、ジ ェットストリュームは、はるか上らしい。キャンプを出てからおよそ8 時間後の10時15分、ハルティは首尾よくアマ・ダブラムの頂上に立った 。しかも、そこには望んでも得られないほどの絶好の風(秒速4m)が 吹いていた。休む間もなく、彼はNOVAが試作した4kgにも満たない 軽量の機体を広げ、わずか2、3歩のステップだけで、アマ・ダブラム 西壁が作る巨大な氷河盆地を眼下に、空間に飛び立った。 こうしてBCの近くにランディングしたハルティは、信じられない ことに頂上を離れてからたったの25分後には、シェルパからの温かいラ ンチとお茶の歓迎を受けたのだった。」(http://www.paragleiten.net の英語版テキストより抄訳) ハルティの冒険から今日的な意味で注 目したい点が2つある。まず、フライトが完全なピークから行なわれた こと。これはわりと少ない。パラのテイクオフにはさまざまな条件が必 要で、すべてにOKの出せるコンディションにはなかなか巡り会えない 。ピークから多少なりとも下りた地点で飛び立つのがほとんどだ。ちな みに、ハルティと同じ時期にドルジェ・ラクパ(6966m)からのフ ライトを目論んだ女性、サンディー・コチェペインは、頂上が強風で6 200mのキャンプからのフライトとなった。 もう一点、彼が行なったゲームに、身の丈の軽快さといった雰囲気 が強く感じられること。たとえば、南裏健康のトランゴ・タワー(90年 )の強烈な冒険は、仮にうまくいったとしても、ヘビーすぎた。J・M・ ボアバンのエベレスト(88年)はすごいが、プロの所業だったし、高橋 和之(ダンプさん)のチョー・オユー(87年)は、前半が軽快なクライ ミングとはいえなかったのじゃないか。ハルティは、オーストリアのア ルトアウスゼーでハング(グライダー)とパラのスクールを経営してい る(前出ウェブサイト参照)。彼のハングの獲得高度4250mはオー ストリアの最高記録だ。クライミングは7級まで。講習のない日はアル プスを登ってパラで降りるのが普通だそうだ。なんでもそうだが、普通 にいろいろやっちゃう人がいちばん怖い。 山好きがパラを使う遊びは、ヨーロッパやアメリカではちゃんと居 場所がある。それがパラルピニズム(ParAlpinism)だ。読んで字のごと く、パラとアルピニズムの合成語。あっちでは、パラとクライミング、 スキー、ハイキングを組み合わせた遊びにそこそこ人気がある。ハルテ ィの成功は、パラルピニズムが商業的にも成り立っている証だろう。彼 が使った道具、たとえば、カナダ、シンレッドライン社製のクライミン グと兼用にできるわずか420gしかないハーネスや、NOVAの超軽 量機体の存在にそれがよく表われている。 さて、日本では、クライ ミングとパラはいつのまにか相容れない土壌で発展してしまった気配が ある。しかし、ハルティが身の丈でやってのけた冒険を知れば、“飛び たいクライマー”“登りたいフライヤー”はじっとしていられないに違 いない。 (伊藤忠男)
フランスのガイドへの遠い道
江本悠滋 YUJI EMOTO 7月、待ちに待ったアスピランガイド(アシスタントガイドのこと )の夏の研修がシャモニのENSA(国立スキー登山学校)で始まった 。集まったのは45人。ほとんどがいっしょに昨年の夏にプロバトアー( 入学試験)と冬の研修を受けた仲間だ。半年ぶりに会う仲間、いっしょ によく山に出る仲間、久しぶりの再会だった。みんなの表情はすごく明 るいが緊張感を少し隠しているのもわかる。 いつものように受付で お金を払い、(今年の受講料は1万6000フラン)部屋の鍵が渡される 。部屋は2人部屋で、各自の押入と机もあり、けっこう落ち着ける部屋 だ。運がいいとモンブランも窓から見える。レストランはセルフサービ スで好きなものを好きなだけ食べられる。アイスクリームも自由! 体 重が増えるのはまちがいなし。 研修はABCDの4つのグループに分かれ行なわれた。自分のグル ープはB。各グループに4人の教官がつく。3人の研修生に教官1人の 割合だ。ミッシェル・フォケ(あだ名はチューキ。「ちび」という意味 )、ダビット・ガバネル(シャモニ生まれの若い教官)、先祖代々から のガイド家族のひとりジャッキー・マルコチ(48歳にして7Cをオンサ イトするクライマー、ガイドとしての経験も1200以上のルートをお 客さんと登っている教官)、クロード・ジャコ(スキーの教官でもある 彼はシャモニ山岳ガイド協会にも属すベテランガイド)、この4人がB グループの教官。その他にもムラン、ラファイ、ソウザック、ベゴなど ヨーロッパを代表するアルピニストが教官だ。 研修が始まった 研修中は教官とザイルパートナーが毎週変わる。 1週間目は運 がよくクリッションと組むことになった。彼とは春からいっしょに登っ ていたし、ドワットのトルニエ・ディレクトをいっしょに登った友達だ 。だからお互いをよく知っていたのはかなり有利だった。彼は38歳で、 パリで20年近く働いていたのだがやはり山で生活したいと、ガイドを受 けた。今回の最年長は40歳、最年少は21歳で平均年齢は28歳くらいだろ う。 1週間目の課題はテクニック。この週は実際山に出て生徒の技術を 確認するのがテーマで、フリー、アイス、雪上、そしてロープワークを 見直された。ここでは普段友達とならロープもつけずに登るところでの ロープワークなど、お客さんの安全がいちばん重要視される。自分たち にすれば簡単な場所もお客さんにとっては難しくもなる。あたりまえの ことのようだが実際考えるとなかなか難しい。 2週間目も同じ課題 だが、いかにロープワークをスムーズに行ない、安全ですばやい登山が できるかが要求された。ガイドとしての登山の始まりであろう。この週 に使ったのは30bくらいのロープ。初めての経験に近い。 短いロープを使うことによりお客さんとの距離を近づけ、いつも視 野内に入れてアドバイスをしたりコミュニケーションをとれるようにな るのも目的で、無駄な時間は作らない。他にもロープが落石の原因にな らないためなどの理由がある。 各自のエベレスト 3週間目はグループ登山が課題。今回はクリッシャン・ジャナ(フ ランス人女性で初めてエベレストに登頂)の企画する「各自のエベレス ト」に参加する子どもたちを対象に行なわれた。みんな病院から来た子 どもで、そのうちの多くは生死の境を経験した子ばかり、教える側の自 分たちにしてみれば非常に教えやすく心地よい生徒だ。なんでも一生懸 命やる姿が印象的だった。5日目の最終日、目的のエベレストに登る。 彼らのエベレストはエギュイ・グージュのクロッシェ・クロッシュトン 。アプローチが2時間弱、その後クライミングをして山頂へ上がる。各 自の技術、体力に合わせて山頂が選ばれた。テレビ局のカメラマンから ジャーナリスト、多くの人が集まって行なわれた最終日、山頂に着いた ときの子どもたちの笑顔は今も心のなかに残っている。ガイドとして人 を連れて行き、山頂で彼らの笑顔を見るのはうれしかった。 4〜5週間目 4週間目は実際にお客さんを連れての登山。この週は5人のお客さ んが各グループにつく。みな初心者か中級者。 初日はシャモニの近 くの岩場でクライミングが行なわれた。目的は生徒を知るためとコミュ ニケーション。その後、今週の計画を立てる。 2日目、雨のためENSAの体育館でクライミング。ガイド業は天 気によって大きく左右されることをあらためて考えさせられた。 3日目の午前中はメー・デュ・グラスで氷河上でのアイゼンとピッ ケルの使い方を教える。その後モントンベールホテルで1泊。 4日目は日食をエギュイ・デュ・レムの山頂で見ようと、不安定な 天候のなか出発。途中、雨、霰に出くわすが山頂では天気も晴れ、周り が暗くなり、寒くなったのを体験した。 5日目、またまた天候が不安定、結果エギュイ・グージュへ行くこ とになった。今日がお客さんと最後の日、山頂では白ワインが2本も空 き少し赤くなったみんなの顔が下りを心配にさせる……。 5週間目は研修生と教官だけでの登山が行なわれた。 もちろん教官によって登るルートが違うのだが、自分の教官はクロ ード。彼はあまり技術的には優れていないが、ガイドとしてはすばらし い。そのため、エギュイ・デュ・ゴックへ登る予定だったが、結局途中 で悪天候になり下りることになった。その他には悪天候のため、かぶっ た岩場でのクライミングが多かった。 試験 6週間目、待ちに待った最後の週。この週は試験が中心に行なわれ 、2日間は山へ出ることになった。 まず月曜日と火曜日はフラム・ デュ・ピエールで2本のルートを登る。初日はサラテ。ルートは10ピッ チで6C〜7Cのグレートだが難しくなるとスピットもあり、心地よい クライミングだった。2日目はギャー・デュ・フ。16ピッチのルートで 難度は6B前後なのだがすべて自分でプロテクションを置く。やはりこ のスタイルがいちばん気持ちいい。 シャモニに帰るとさっそく部屋 で試験勉強が行なわれた。 試験はマテリアル(強度、リスクなど)、自然(動物、植物など) 、地理(ヨーロッパの山、谷、スポットなど)、ペダ(授業の準備、目 的の置き方など)、法律、アルピニズムの歴史、薬と幅広く問題が出さ れた。 結果発表は土曜日の朝。2人不合格者が出たが自分を含め43人がア スピランガイドになった。もちろんその夜シャモニではどんなふうだっ たか……書くのは控えます。 7週間目は合格した研修生だけが集まり、シャモニのグループ、ア ノットへ行くグループの2つに分かれキャニオニングの研修が行なわれ た。 このアスピランガイドの資格を取るために1年間にわたり合計17週 間をENSAで過ごした。大変だったとか難しかったとかはまったく記 憶になく、ただ新しい友と出会え、新しい技術を学び、楽しい日々が過 ごせ、よい思い出ができた。 かこみ フランスではアスピランガイドとガイドがガイドと呼ばれています 。現在フランスには約1500人のガイドがいて、そのうち1200人 ほどが現在もガイドとして活動しています(今までに2万2000人の ガイドが誕生しています)。 アスピランガイドがどんなものか、簡単に紹介紹介しましょう。フ ランスには山(登山)で仕事をできる国家資格がいくつかあります。 まず、アコンパニアター・モアヤン・モンターニュ(トレッキング ガイド)。この資格はトレッキング(ロープを使わない場所、雪のない 場所)だけが許される資格です。 つぎにクライミングインストラクター。名前のとおりクライミング のインストラクターですが、標高1500b以上での行動は認められま せん。もちろん氷河をアプローチに使うことはできません。 そしてアスピランガイド。日本語に直訳すると「ガイド見習い」で すが、この資格は上記の資格2つと同じことができ、クライミングは1 500b以上でも許され、アルパイン(アイスクライミング、山スキー 、オフピステでのスキー、登山)も許されます。 最後にガイドがあ るのですが、この資格を得るにはまずアスピランガイドとして2年間活 動しなければなりません。ということは、まずアスピランガイドになら なければガイドにはなれないということです。2年間の活動後、冬と夏 に数週間の研修が行なわれ、最終的にガイドになります。この資格はア スピランガイドと比較すると、単純にさらに難しいルートへガイディン グできるということと、5年に一度ENSAで復習授業に参加すれば一 生ガイドとして働くことができるということです。 また、アスピランガイドとしてガイドをできるのは2年間で、その 後ガイドの研修に合格しなければガイドとして働き続けることはできま せん。なお、この2年間の間に新しく35本のルートをプロとしてあるい は個人で登り、登ったルートを提出しなければなりません。
この本で12登れました
1998年早春、ひと抱えほどの大きさの段ボール箱が郵送されて きた。箱の中には、十数冊の本が丸めた英字新聞をパッキングにして詰 まっていた。 クライミングに出かけるには寒すぎる冬の間、暇をつぶそうと注文 していた本が、アメリカ大陸の半分と太平洋を渡ってようやく届いたの だ。1冊ずつを丁寧に包んだハトロン紙を解くと、アメリカの匂いがプ ーンと漂ってくる。そのなかの1冊が、それから2年間、僕たち3人家 族のバイブルになるとは、このとき思ってもいなかった。 僕は、そのころ岩登りを覚えてから2〜3年が経ち、四季の山を歩 きにも行くし、フリークライミングもする。冬山から夏のロッククライ ミング(いわゆる本チャンってやつだ)まで何をやってもおもしろがっ ていた。でも、そのころようやく何本かの5・11aがレッドポイントで きるようになった僕は、とくにフリークライミングがおもしろくてたま らなくなってきていた。 奥さんも同じ趣味に引きずり込んだし、そ の春に高校生になった息子もずっと前から引きずり込んである。だれに 気兼ねすることもなく、一家をあげて毎週のようにどこかの山や岩場に 通いこんでいた。 「この本を読んでいるんだったら、君はたぶん5・12を登れる素質を 備えている。……」 その本はこんな書き出しで始まっていた。そう かなあ、僕にも5・12が登れる日が来るのかなあ……そうなれればいい なあ、と思いながら先を読み進む。 「……大部分の人がこのグレードに到達できない理由は、2つある。 すなわち、どうすればそこへ至れるのかという正確な情報がないこと、 そしてモチベーション、欲求、自己規制がたまに衰えてしまうことがそ の理由だ。後者の理由は君の内部から出てくることだが、どのようにす ればそこに行けるかという情報は、今ここにたっぷりと用意してある。 」 自慢じゃあないが、うまくなりたいという思いは僕の内側からいく らでも湧いて出てくる。じゃあ、たっぷり用意してくれているというそ の情報を利用しさえすれば、僕も5・12に到達できるんだ! でも、本 当に本当なんだろうか? 同じ年の12月、“本当であること”が半分だけ証明された。その本 のすすめに従い新しくできたクライミングジムに数カ月通いつめた僕は 、そのジムの5・12aのルートを数本レッドポイントできるようになっ ていた。心・技・体のすべてを対象にして“たっぷりと用意してある” 情報を利用してだ。 年頭の誓い 「“2000年までに屋外の岩場で5・12aを登ること”を、今年、 1999年の僕の目標にする」 「私は、5・11aを登る」 「僕は 、近畿高校生クライミング大会で優勝する」 99年元旦。半分だけ効力を証明できているその本の情報を頼りに、 一家3人それぞれが1年のクライミングの抱負を立てた。抱負達成の手 段は、まだ僕だけしか読んでいなかったその本を、3人で毎週水曜夜に 輪読することだ。 「なんだ。父さんが偉そうに言っていたことって、ほとんどこの本に 書いてあることだったんだ」 「あたりまえだ。“トレーニングの特異性と転移”だとか“持久力ト レーニングをどうするか”なんて、知ってりゃあもうとっくに5・12く らい登ってるわなあ」 「でも、“たっぷりと用意してある情報”って、本当にイヤになるく らいたっぷりあるわねえ」 「ああ、これだけ全部のことをやって、5 ・12しか登れないんだったらイヤになるねえ。でも、この本を読んで暗 中模索状態に一条の光が射した、って感じがしない?」 「そう、どこかに書いてあったけれど、トポなしでエル・キャピタン のノーズを登ることに例えてたわね。トポさえあれば、何ピッチか登っ たあとでも正しいルートをたどっているって自信がもてる、ってね。ち ょうどこの本が5・12を登るトポの役目をしてくれるってわけねえ」 タイで 2000年。3人はタイのプラ・ナンで正月を迎えた。6cだとか 7aだとかとフレンチグレードが付けられたルートは、デシマルグレー ドではいくらくらいになるのか、僕らにはわからない。でも、毎日岩に ぶら下がり、良質のルートを登っていること自体がおもしろくてたまら ない。6aのルートだって7aのルートだって、同じくらいにおもしろ いし、登っていて楽しい。フリークライミングをすること自体がおもし ろくてたまらない。こんな底抜けの楽しさに加えて、さらにこのスポー ツにはもうひとつの楽しみ方があることを、大量の書き込みと手あかで ボロボロになってしまった僕たちのバイブルは教えてくれた。 「障害を打ち破る、夢を達成する、荒々しいルートに真剣に取り組む 。これらはこのスポーツの精神の一部を構成している。そして、これが ずぬけておもしろいんだ!」 1999年の3人の抱負は達成できたのだろうか? それに答える 変わりに、ここに3人の2000年の目標を書いておこう(“短・中・ 長期の具体的な目標を設定せよ”っていうのもバイブルの教えのひとつ だ)。 ・5・11ノーマルをオンサイトすること ・5・12aをレッドポイントすること ・大学へ行けるようになること (廣保まこと)
付録「アバランチ」が役立ち
最近は新しい山道具を買うと使えるパンフレットがよくついてくる 。とくに欧米の主要メーカーの道具にはよいものが多い。買った商品の 説明ばかりでなく、安全にクライミングやスキーを楽しんでもらおうと いうメーカー側の配慮が感じられる。 ワイオミング州ジャクソンのライフリンク社はシャベルやゾンデ棒 、ザックなどバックカントリースキーのテクニカルギアを作っていて定 評があるが、とくにそこのスキーストックは秀逸だ。ニセコの元祖とも いうべきパウダー天国、ジャクソンホールのオフゲレンデに行けば10人 中9人までがライフリンクの伸び縮みできるストックを使っていて、そ れでないと恥ずかしいというくらいのものだ。 そのストックを買ったら、付いてきたのが「アバランチ」と題した バックカントリーセーフティのしおり。使えるパンフレットのひとつだ 。雪崩の種類や、地形、気象の判断から、ルートファインディング、雪 面の横断技術、巻きこまれたときの対処の仕方、埋没者の救出方法、応 急処置など、およそ雪崩を避けるための必要な情報が四つ折りのパンフ レットにコンパクトにするどくまとめられている。許可をいただいてそ のポイントを紹介しよう。アメリカの雪崩も日本の雪崩も基本的に異な ることはない、というのがこれを読むとよくわかると思う。雪崩対策の 技術は世界共通のものなのだ。 パンフレットでははじめに、雪崩は複雑な自然現象で専門家でもそ の発生の原因を完全に解明できないとしている。雪崩の危険を避けるに は、あらゆる要因を考慮する必要があるのだ。「雪崩がおきるようなと きはすぐわかるさ」などいう楽観的なクライマーやスキーヤーに注意を 促し、雪山では絶対安全の保証がないことを再認識させてくれる。雪崩 の種類については細かい分類を避け、発生地点の小さい「ルーズスノー 雪崩」と、発生地点の亀裂をはっきりと残し広範囲で面状に滑り落ちる 「スラブ雪崩」に大きく2つに分類している。雪崩遭難の大半が「スラ ブ雪崩」で、斜面横断などによる人為的原因で発生することが多いこと はいうまでもない。 雪崩発生の危険を予測するには地形条件の把握が重要だ。雪庇が発 達した尾根の風下側は吹き溜まりとなって雪崩がおきやすく、風上側は 比較的安全だが絶対に雪崩がないと保証されてはいない。また、発生斜 面の傾斜についても、25〜60度の斜面で発生が記録されているが、30〜4 5度で発生する頻度が最も高く、この傾斜はスキーやスノーボードがいち ばんおもしろい傾斜だから注意が必要だとしている。厳冬期には北側斜 面と日陰斜面がより危険で、日のあたる南側斜面は春期に危険となる。 地表にある岩塊や樹木などは雪をしっかりと固定するのに役立つが、そ ういう目印が見当たらない雪面は雪崩の通り道になっていることが推測 される。 降雪量、気温、風などの急激な気象変化にも注意が必要だ。とくに 、大量降雪中やその直後には雪崩の危険度は倍増する。1時間に2・5c m以上の降雪で危険度が高まり、一度に30cm以上も積もるようなときは雪 崩の危険が最大となる。また、時速25k以上の風が吹くときは、風上側 で加速した風が大量の雪を風下側に体積させるため雪崩もおきやすくな る。新雪が安定するのは0度C付近だといわれるが、それより高い気温 だと結合力が弱まり、低い気温だと乾燥粉雪となって安定性を失ってし まうことも知っておきたい。古い雪の層はそれ自身の重さと、降り積も る新雪の重さで圧縮され続け結合力を増すが、場合によっては結合力の 弱い層が発生して上部の層が滑り落ちることもある。弱層テストでは各 層の結合力の違いを知ることができる。 ルートのとり方も雪崩を避けるための欠かせない雪山技術としてい くつか注意点をあげている。まず、大切なのはローカル情報をしっかり とつかみ、積雪状況、気象、雪崩警報などに注意をはらうことだ。また 、現場では雪崩により変形した樹木やデブリなどを観察し、過去の雪崩 の通り道を予測すること。踏みこむと弱層を知らせる空洞音を発生する 斜面に注意することや、風下側を警戒し、雪面上の継続した亀裂に着目 すること。雪庇の状態をよく観察し、雪庇の下に入りこんだりしないこ と。そして、最も重要なのは、常に斜面を避け尾根上を通ること、谷を 通過するときには、斜面から十分離れた谷底を移動することが重要だと している。 どうしても危険な斜面を通過しなければならないときは、必ずひと りずつ移動すること。これは雪崩による遭難を避けるための大原則だ。 救急キットはパートナーに持ってもらい、雪崩紐をつけて、ビーコンの スイッチを入れる。使い方をマスターしておくことはいうまでもない。 雪崩に巻きこまれたときに骨折したり、雪に深く引きこまれる原因にな るスキーやストックの流れ止めをはずしておくこと。パックの腰ベルト をはずしたり、他の道具のストラップ類をゆるめておけば、流されても 雪面上に浮上しやすい。着ているもののジッパーを上げて、帽子や手袋 をつける。パーカーの襟やスカーフで口や鼻を覆う。何人か安全に通過 することができても危険がないとあなどらないこと。危険斜面は短時間 で通過し、樹木や岩のあるところで休息する。斜面を横切ったり、スキ ーやスノーシューで雪面を深く蹴りこまないことも大切だ。 万一雪崩に巻きこまれたらどうするかも心得ておきたい。大きくて 邪魔になるパックやスキーなどはすぐに捨て、平泳ぎをするようにして 雪面に浮上することができれば幸いだ。流れに無理に逆らうと体力を失 うので、流れに乗りながら中心部から外れるように横に逃げる。できれ ば樹木や岩をつかみ体勢を安定させる。雪崩の勢いが衰えてきたように 感じたら、最後の力をふりしぼって雪面に浮上する努力をする。そして 、雪崩に埋もれてしまったら、手が雪面に出るように伸ばして自分の位 置が確認されやすいようにする。もう一方の手で顔を覆い口や鼻に雪が 詰まり窒息してしまわないようにする。あわてずに深呼吸してまわりの 雪が落ち着くまでこらえる。埋もれてしまうと方向感覚がまったくなく なるので、明かりが見えない限り這い出そうとしたりして無駄な体力を 消耗しないようにする。パニックにならずに落ち着いて助けを待つのが 賢明とのことだ。 埋没者をどう捜索するかも重要な技術だ。捜索を開始する前にまず 二次遭難の危険があるか確かめ、避難ルートを確定しておく。人数に余 裕があれば見張りをひとり立てておくことも大切だ。遭難者を最後に確 認した位置に目印を置き、発見の手がかりになりそうなものをすばやく 捜索する。目印から下方に向かいゾンデなどでくまなく遭難者を捜し、 雪崩紐などの手がかりの発見に努める。ビーコンを持っているならそれ を最大限に活用する。遭難者が発見できない場合は救援を求めに行くか どうか判断しなければならない。雪崩による遭難者の半分が30分の間に 死亡し、5分以内にかなりの埋没者が死亡してしまうことを考慮して救 援の判断を下さなければならない。大人数のパーティーなら2名を救援 に走らすこともできる。救援パーティーがアプローチしやすいようにル ートに印を置いていくこと。ゾンデ捜索を実行したすべての場所と手が かりが掘り出された位置に印を置き、堆積したデブリを中心に捜索する 。雪崩の先端や両わき、露出している樹木や岩のまわりも遭難者が埋も れている可能性が高いことも忘れてはならない。ゾンデ捜索は75cm間隔 で一列に並び実行し、手当たりのすべてを掘り出していく。掘り出し中 も遭難者と確認されるまでは、他の者はゾンデ捜索を続ける。 遭難者が掘り出されたら、口や鼻に詰まった雪を取り除き気道を確 保する。必要なら人工呼吸をほどこす。心臓が停止している状態なら心 臓マッサージを実行する。低温症にも注意が必要で、乾燥した衣類に取 り換え、意識があれば温かい飲み物を飲ませる。骨折などの外傷にも応 急処置をほどこし、安全地帯へ迅速に避難しなければならない。 パンフレットにはこのほか参考となる書籍の紹介や、北米の雪崩情 報電話番号リスト、雪崩教室の連絡先なども載っている。雪山にはよく 行くけど今までなんとなく勘に頼っていた。ライフリンクのパンフレッ トは、そんなロクスノファンに雪崩の基礎知識をしっかりと確認させて くれる。 (カルロス永岡)
ベータフラッシュってなんだ?
フラッシュとオンサイトでは何が違うの? レッドポイントは知っ ているけど、ピンクポイントって何? 普段からよく耳にする言葉なん だけどだれもはっきりした定義を教えてくれない。ひょっとしたら、そ んなの初めて聞いたなんていう往年の迷クライマーも読者のなかにいる かもしれない。新規参加者にはそんな言葉が入った記事はチンプンカン プンというところだろう。同じような疑問をもつクライマーはアメリカ にも多いようだ。『ROCK&ICE』誌にちょっとした説明が載っていた。 * オンサイト 一度も墜落せず、ルートに関する事前の情報もいっさいなしで、初 めてのトライで登りきること。もしだれかが「左の上に隠れたホールド があるよ」なんて言ってしまったらオンサイトではなくなってしまう。 フラッシュ 一度も墜落せず初めてのトライで登りきることだが、他のクライマ ーが登るのを観察したり、登り方を記したノートを見たりなど、ルート に関する事前の情報に制限はない。また、登っているときに下でだれか が「右だ、左だ」なんていろいろアドバイスをしてくれたときはベータ フラッシュと呼ばれることがある。 レッドポイント 何回かのリハーサルの後に一度も墜落せずに登りきること。ムーブ を実際に試したり、ホールドに印をつけたり、ビデオで研究したりなど 、なんでもOKだ。 ピンクポイント クイックドローやその他のギアが前もって設置された状態で行なわ れたレッドポイント。最近ではこれを含めてレッドポイントと呼ぶこと が多い。 * 以上は『ROCK&ICE』誌による定義。もちろろんトップロープでどん なにきれいに登ろうとも以上の言葉は使われない。トップロープでオン サイトした、と言っていたアメリカ人が近所にいたけれど、その使い方 はちょっとヘン。 (カルロス永岡)
チャリ使ってドロミテのスピード記録
ヨセミテのエル・キャピタンやハーフ・ドームで、すごいスピードク ライミングが実行されたのは記憶に新しいけど、イタリアの大岩壁ドロミ テでも2つの岩壁を自転車でつなぐスピード記録がつくられた。 イタリアのマンフレッド・スタッファー(Manfred Stuffer)は、マル モラーダ南壁の「Vinatzer-Messner」(W 5・11a) 全28ピッチを3時間 半で登り、そのまま北壁を下り、マウンテンバイクで75?離れたチマグラ ンデへ向かい、20ピッチの「Comici」(V 5・11a)を1時間半で登りき った。全行程で要した時間は12時間20分、75?の自転車移動には4時間半 を費やした。普通に登れば3日はかかるクライミングだ。 「Vinatzer-Messner」の登攀は通常13〜14時間は要し、5・11aのスラ ブ状クライミングで始まり上部は5・8〜5・10のクライミングになる。 また「Comici」も7時間はかかる登攀で、全体的に5・10cかそれ以上の 難度のクライミングが続き、安心して休息できるテラスも少ない。スタッ ファーが登ったときは水に濡れたピッチもいくつかあり、石灰岩がかなり 滑りやすくなっていたという。 スタッファーはこのスピード継続登攀 を振り返って、いちばん大変だったのは75?の自転車移動だったという。 自転車は1年半しかやっていないので、すぐ疲れてしまったとのことだ。 クライミングのキャリアは14年。ドロミテで数多くの困難なトラッドルー トを開拓しているスタッファーだが、最近はスポーツクライミングにも熱 が入り、オンサイトなら5・13c、レッドポイントなら5・14cを登る。 『ROCK&ICE』誌99号には高度感たっぷりのドロミテの壁をフリーソロする スタッファーの写真が載っている。
10歳で5・13を登ったすごい女の子
プリングルの13歳で驚いてはいけない。10歳で5・13を登ったすごい女の 子もいる。彼女の名前はメガン・エモンズ(Megan Emmons)。コロラドに ある「Color of Emotion」と「Jeremy」という2つの5・13aのルートを 去年から今年にかけてレッドポイントした。彼女のルートの攻め方は、ト ップロープで十数回ムーブを探してからリードにトライするやり方だ。ト ップ墜ちが大嫌いで、初めてレッドポイントに挑戦したときは、岩場の頂 上からルートを覗いてどれくらい墜落するか確かめたほどだ。 身長が140cmで体重が31kほど、「子どもで体重が軽いから登れる んだ」なんて思うかもしれないけど、懸垂はたったの3回がやっとだとい う。そう、クライミングは力ではないのだ。腕力の弱い女性クライマーや ちょっと太りぎみの中年クライマーも少し希望がもてそうだ。メガンちゃ んは背が低いから、おとながダイノで登るところは細かいテクニカルムー ブになってしまうし、おとながテクニカルムーブで登るところはダイノに なってしまう。「Jeremy」はオーバーハングでかなりの腕力と持久力が必 要なルートだというから、リラックスして登れたのが成功の鍵かもしれな い。そんなことがたったの10歳でできるのはやっぱり才能のようだ。 (『C limbing』192号参照)
やっぱりユージはすごい
スポーツばかりでなく、どんな世界でも名実ともに誰もが認める世界一の 日本人は少ない。まして、それぞれが異なった価値観で、それぞれの違っ た課題に挑戦するクライミングの世界では、はっきりとその実績が評価さ れることは稀だ。そんな中で、アメリカクライミング界のオピニオンリー ダー的主導権も持つクライミング誌が、その特集で平山ユージをベストオ ールラウンドロッククライマーとして大きく取上げた。 「今世紀の偉大なクライムとクライマー」と題したクライミング誌192号で は、ボルダリングからスポーツ、アルパイン、アイスクライミングまで8つ の異なったスタイルから20世紀のグレートアッセントを選び出したり、ア メリカンクライミングのヒーロー10人の経歴を紹介したりなど、興味深い 特集が組まれていた。ユージが取上げられたのは、その中での「ワールド クラス」と題された特集で、世界の頂点に立つ超一流クライマーとしてア メリカのクライミング界に平山ユージが大きく評価された形となった。 特集では、ベストオールラウンドロッククライマー(平山ユージ)、ベス トオールラウンドクライマー(トマーズ・フマール)、ベストオールラウ ンドテクニカルクライマー(アレキサンダー・ヒューバー)、ベストボルダ ラー/スポーツクライマー(クレム・ロスコット)、ベストトラディショ ナルロッククライマー(レオ・ホールディング)、ベスト女性ロッククライ マー(キャティ・ブラウン)を選び、それぞれの業績を称えた。 ユージが選ばれたベストオールラウンドロッククライマーのカテゴリーは 、何でもこなせる最強のロッククライマーとして、他のスタイルの基本を 成すクライミングというスポーツの最も特徴的なカテゴリーといえる。お りしもユージがモータルコンバット(8C、5.14b)のオンサイトに成功した直 後のことで、ユージのクライミング哲学とその実践が世界のクライミング 界に強烈なインパクトを与えていることの実証となった。 記事の内容は、モータルコンバットのオンサイトのニュース、86年17歳で フェニックスやコスミックデブリスをレッドポイント、その後のコンペで の活躍、88年にはレ・スペシャリストをレッドポイント、オレンジ・メカ ニックをオンサイト、90年にワールドカップ上位ランクなど彼の経歴を紹 介。フランスでユージのルームメイトだったアメリカ人クライマー、ジム ・カーンの対話を載せ、故障でうまく登れなかった時でも常に前向きの姿 勢は崩さず、アルコのコンペで優勝したこと。ユージの原点ともいえるト ラディショナルなルーツをコンペでつちかった能力をいかし、95年にスフ ィンクスクラックをただ一人史上初のオンサイト。サラテのオンサイトト ライなどユージの輝かしい経歴を紹介したものだ。また、サラテ登攀準備 のために登ったラブシュ‐プリームやエクセレントアドベンチャーなどの オンサイトからでも世界最高のクラッククライマーに間違いないと称賛し ている。 ジム・カーンはユージのクライミングの秘訣を、前向きで柔和な姿勢でル ートに取りつき、いつでも落ち着いて状況を分析、問題対処の能力に最も 優れていることにあると語る。98年にはワールドカップで優勝、結婚して 日本に帰り子供が生まれたことなど、ユージの私生活にも触れ、今まさに 絶好調であることを紹介。「クライミングはマウンテニアリングの一部、 ヒマラヤで8000?を登りたいとずっと思っている」と今後のユージの可能 性を示唆する談話も載せている。 寛大でやさしい性格でありながら限りないエネルギーを持ち合わせた平山 ユージ。世界の頂点に立つ超一流クライマーとしてアメリカでの人気も沸 騰中だ。 (カルロス永岡)
未来の大モノin USA トミー・カルドウェル Tommy Caldwell アメリカ最強のヤングクライマー
米国コロラド州ライフルの近くに新たな岩場を開拓し、米国初の5.14dとい うグレードを確立した新ルート「クリプトナイト」(Kryptonite)の初登で話題 になっているクライマー、トミー・カルドウェルがマウント・チャールストン の「アスタ・ラ・ビスタ」(5.14b/c)とマウント・ポタシでのクライミングの為 ユ99年11月ラスベガスを訪れた。米国内の最難ルート御三家とも言える5.14c のスミスロック「ジャスト・ドゥー・イット」、アメリカン・フォーク「アイ・ スクリーム」そしてバージン・リバー・ゴージ「ネセサリー・イーブル」をレッド ポイントしている彼は、アメリカ最強クライマーの一人だ。3才の頃からク ライミングをやっているという彼のレパートリーは、スポーツ・ルートだけ ではなくクラックなどトラッド・ルートやエルキャピタン「サラテ」などの ビッグ・ウォールまでと幅広く経験豊かな事でも知られる。噂の新エリアや ルートについて、又フルタイム・クライマーとしての生活などについて話を 聞いてみた。 ロック・アンド・スノー(Q):先ずは、先(10)月の「クリプトナイト」そして 今日の「アスタ・ラ・ビスタ」レッドポイントおめでとう。「アスタ」は、どう でしたか? トミー(T):有り難う。素晴らしいルートだった。元々傾斜のきついポケ ット・ルートというのは苦手で、ここに来るまでヨセミテなどでボルダリン グだけをしていたから持久力が戻るまで少し時間がかかったけれど、3ヵ所 レストを見つけて自分のスタイルで登る事が出来た。 Q: 早速だけど、新エリアとそこのルートに付いて教えて下さい。何処にあ るんですか? T: 場所は、コロラド州ライフルの岩場から車で25分位東の所で、ニュー・ キャッスルという町の近く。ホワイト・リバー・ナショナル・フォレスト(自然 保護森林)の中にあり、クリントップ・レンジと呼ばれる山脈の一部になるん だけど、正確に何と言う所なのか色々な言い方があって未だ統一されていな いような感じなんだ。 Q: どうやって、見つけたんですか? T: ライフルで、近くに道路から遠くに見える石灰岩のケーブ状岩壁がある と言う噂を聞いたもんで、森林かき分け行って見た訳なんだ。そうしたらす ごい岩場だと言う事が解って、ユ99年の夏から掃除・整備をしボルトを打ち始 めた。道路から見える事は見えるんだけど、けっこうアプローチがきつくて 1時間くらい歩かなければならない。森林の中に茂みを切ったりしてアプロ ーチ用のトレールを作ったら、これがナショナル・フォレスト当局の咎めを 食らってちょっと問題になってしまった。踏み付けて自然と出来た道は構わ ないけど、木を切ったりして人工的に作ってはいけないと言う事らしい。 Q: どんな感じの岩場?ルートの数などは? T: 全体の高さは80mから100m近くもあんだけど、今あるルートやプロジ ェクトは皆35から40mの長さまでで、既成ルートの延長や新たなラインなど 高難度ルートの可能性はまだすごくあると思う。5.14以上のルートが恐らく 45本位引けるんじゃないかな。今はまだ5.11cから14dまでの4本のルートと3 本のプロジェクトがあるだけだ。父と友人のニック・セーガーと主に3人で 開拓しているんだけど、父の発案で「フォートレス・オブ・ソリチュード」(F ortress of Solitude:孤独の砦)、通称「フォートレス」という名前を付け た。これは映画のスーパーマンに登場する彼の棲家の名前で、なかなか良い なと思って気に入っているんだ。季節的には、春はまだ経験してないから分 からないけど、南向きの壁で夏は一日中日陰で快適だし、秋は日が当たり出 してちょっと暑いけど悪くはない。冬は今度は一日中日が当たるので登る事 はできる所。 Q: 「クリプトナイト」はどんなルートですか? T: 「クリプトナイト」はフォートレスの中でも一番最初にボルトを打った ラインで、岩場の弱点を突いていて解り易く無理のない良い岩のラインなん だ。長さは約33mで、岩場の半分位の高さにあるアンカーまでボルト11個。 ボルトを打ち始めたら、下から見たよりも思ったより岩が大きかったもので 、ロープでロワーダウンできる長さで一応終了させたと言う訳なんだ。最初 の数メートルだけは傾斜がないけど、平均的には30度位かぶっていて、全体 的にテクニカルで持久力を要求される。アンダー・クリングやサイド・プル、 ピンチやニーバーなどを多用して、基本的に水平な下に向かって引くという ホールドは無いし、レストも悪い。核心はV9のムーブが2ヵ所あって、14 aの下部から悪いレストで14bにつながっているという感じかな。 Q: ホールドのチッピングはした? T: 今の所この岩場のホールドは100%ナチュラルで、チッピングやグルー イングなどの人工的な手を加えたものは一つもない。この位の難度でチッピ ングがないというのは珍しいし、それなしで良いラインを創れたのは非常に ラッキーだと思っている。今プロジェクトの一部で、全くホールドの可能性 の無い部分が4〜5mだけあるラインがあるんだけど、そこの部分以外は非 常に良いラインなので、空白部分にドリルでホールドを開けようかと迷って いる。基本的には、チッピングをしないか最低限に止めようとは思っている んだけど。 Q: レッドポイントまでどの位時間がかかりましたか? T: 2ヶ月弱位かかった。ムーブを見つけるのに数週間かかったし、精神的 にもけっこう最後はきつかった。でもやる毎にリンクが伸びていったので、 それが励みになったかな。 Q: 14dというグレードの確信は? T: けっこう、ある。国内の14cルートは殆どやっているし、そのどれより も難しいから。個々のムーブ自体は難しくないけど、きついムーブがずっと 連続するから全体的には相当難しくなっているという感じ。 Q: 今度は、トミー自身に付いて教えて下さい。3才の時からクライミングを しているという事ですが。 T: 父がガイドだったので、3才の時にロープを付けたクライミングを始め て13才の時までずっと父の後についてクライミングをしていたな、大体トラ ッドの5.12位までを。家族旅行の行き先なんかもクライミングのエリア巡り が中心で、ヨセミテやモアブとかに良く行っていたし。それで、スポーツ・ クライミングの波が来て友人達と登り始めた時に刺激を受けて自発的にクラ イミングをするようになったんだ。14才の時初めてコンペに出て、すごい刺 激になった。コロラド・スプリングのナショナル・チャンピオンシップ大会だ ったんだけど、当時のトップ・クライマー達、クリスチャン・グリフィスやア ラン・ワッツなんかが出ていて、35人中20位だったんだけど結構勝負が出来 るって言う事が分かったのと、色んな人達と知り合う事が出来たのが収穫だ った。その後は、スポーツ・クライミングに傾倒してクライミング中心の生 活になっていったんだ。その頃はジムでも良くクライミングをしていた。ト レーニングには丁度良いしそれで結構力がついた。高校を卒業してからは、 外のクライミングと旅行が多くなったね。5才の時から住んでいるコロラド 州のエステス・パークが今でもベースになっている。 Q: クライミング以外のスポーツは?アルパインとかアイス・クライミングな どもやりますか? T: クライミング中心になる前は、スキー中心でスノーボードを少しやって いた。近くに小さいけど良いゲレンデがあったから良く行っていた。アルパ インやアイスは殆どやらない。15才の時父と一緒にボリビアのイリマニとワ イナポタシやヨーロッパのモンブランとマッターホーンに登った事があるだ け。アイスクライミングはそれで友人が死んでいるので、ちょっと敬遠して いる。 Q: トレーニングはどうしていますか? T: 常に旅行中なので、トレーニングを充分するというのは不可能だけど、 たまにはジムに行ってボルダーや長いトラバースにルートなんかをやったり とか、それとキャンパスにウェイト・トレーニングなんかもやる事がある。 クリプトナイトの時は家にいて仕事を持つ父にビレーをしてもらっていたの で、土・日にルートをやって、火・木にはジムでトレーニングをしていた。 Q: 好きなエリアは?どこが今人気ありますか? T: スポーツではライフルが好きだな。創造力を必要とするムーブが面白い から。全体的には、ヨセミテ。美しい景観とエルキャピタンの様な素晴らし いクライミングがあるから。ビッグウォールは、やはりアドベンチャーとい うかチャレンジというか非常にエキサイティングで満足感があると思う。今 米国で人気があるのもライフルとヨセミテだと思う。いつもクライマーが大 勢いるし、外国に行っても一番質問を受けるから。 Q: 話は変わりますが、フルタイムにクライミングをしていて、コンペなど にはあまり出ていませんね。生計などはどうやって立てていますか? T: スポンサーから製品と収入を得ているんです。ファイブ・テンやプラナ 、ブルーウォーター、パワーバー、ワイルドカウントリー、マーモット、コ ードレスなどがスポンサー。2年程前バンを改造してベッドやストーブ(コ ンロ)やテレビにビデオデッキなんかを備え付けて、これが結構快適でそれ で国内のクライミング旅行をしているから家賃などの支払いもないし、収入 自体は大金じゃないけど贅沢をしなければクライミング生活をまかなう事は 出来るんだ。コンペよりも外でクライミングをする方が楽しいし、行きたい エリアは山ほどあるからね。 Q: 今後の予定はどんなですか? T: 年末年始のメキシコ以降は、冬のフランスや春にはヨセミテのビッグウ ォール、夏には又ヨーロッパに行こうと思っているし、オーストラリアにも 行きたいと思っている。まあ、暫らくは今の形で旅行をしながらフルタイム に登るというのを続けるでしょう。ただ、残念ながら日本の岩場はあまり良 いという話しを聞かないので、日本を訪れる予定はないんです 物静かで人当たりの良い彼を知る人は、皆ナイスガイだと口を揃える。二十 歳を過ぎたとはいえまだ若々しく、これからも米国クライミングのレベルア ップの原動力となる期待が持てそうだ。 インタビューアー 吉田 潔 KIYOSI YOSIDA / DEC1999
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