「そ?それじゃ―――」
マリューは右手を海に突き出して、ぱっと手を開いた。
ちゃぷん、と軽い音を立てて碧洋のハートは、あっという間に海に飲みこまれた。

ムウはそれを少し名残惜しそうに見送りながら、マリューに言った。
「本気?」
マリューは後悔を微塵も感じさせずに言った。

「あなたの言った通りよ。おばあさまがなにより引き上げたかったのは、イザーク・ジュールだわ。
 彼がいないのなら、碧洋のハートもここで眠っているのが一番なのよ。」
「・・・いい女だな。」
「はア?!」

唐突なムウの言葉に、顔を少し赤らめてマリューがムウを見る。
ムウはそんなマリューの表情に、からからと笑った。


「なぁ、同じ船の上からはじめてみないか?おばあさんの運命に、あんたがリベンジするってのはどうだ?」
「へーぇ・・・。私が誰とリベンジするのかしら?」
いじわるそうな目でマリューが返すが、ムウはなぜか嬉しそうだった。

「もちろん、俺と。」
言うなりムウはマリューを抱き寄せると、マリューのおでこに口づけた。










〔 海に眠る船に、あなたに。 〜PHASE.27〜 〕











は、懐かしいアークエンジェルの船内にいた。
の姿は年老いた今の姿ではなく、アークエンジェルに乗船していたときの若々しい姿だった。

。」
目の前には、記憶の中の彼と変わらない姿で、イザークが立っている。
「イザーク。」
はにっこりほほ笑んだ。

イザークは自然とを抱き寄せていた。
お互いに永い間、触れたくて触れられなかったぬくもりだった。


「俺は、の中に未来を見ていた。自分が決して得られなかった未来を。」
「イザーク。」
イザークはを抱きしめながら、の目を見つめてほほ笑んだ。
「感謝する。望む未来を俺に見せてくれたを、今も変わらずに愛している。」

イザークがに口づける。
はその甘い口づけを受け入れた。
に出会えて俺は、本当に幸せだった。」



それまで二人きりの姿しかなかったアークエンジェルに、人々のざわめく声が響きだす。
。」
今度の名を呼んだのは、アスランだった。

「君は、本当にすばらしい女性だったよ。」
苦笑いのままでアスランが告げる。
はイザークと顔を見合わせた。

「あのとき、アスランが守ってくれたから私の未来があったのよ。ありがとう、アスラン。」
「俺がの役に立てたなら、それだけで嬉しいよ。」

もしもに出会わなければ、こんな気持ちは知らないままだった。
こんなに穏やかな心でいられるのも、すべてのおかげだ。
そんな思いをかみしめて、アスランはもう一度、二人に笑顔を見せた。


「悔しいなぁ、いまさら手に入っても困っちゃうんだけど。」
ぷらぷらと碧洋のハートを右手の人差し指にぶら下げて、キラが言う。
「あのときちゃーんと僕の手に渡っていたら、この子も日の目を見ていたのにねぇ。」

相変わらずの物言いだったが、以前のキラのような冷たい目つきは消えていた。
「本当にキミたちって理解できないね。」
そう悪態をつきながらも、キラは笑った。
こんな風に笑うキラを見るのは、誰もが初めてだった。


お姉ちゃん。」
その声が聞こえてきたとき、の目には自然と涙が浮かんだ。
イザークがの肩をぐっと強く抱き寄せた。

「メイリン・・・。」
それ以上、はなにも言えなかった。
メイリンもなにも言わずに、ただに抱きついた。
姉妹の間に言葉はなにもいらなかった。
そんな二人を、イザークは優しく見守っていた。




***




1912年4月15日、アークエンジェル号沈没。
乗客乗員、2223人。
うち、死亡者1517人。
生存者、706人。

歴史上の海難事故では過去最悪と言われた死亡者数である。
が、これを数字で記憶することは最適でない。

犠牲になった人たちの、その後あるべきだった人生。
残された者の悲しみ。
奪われたものの大きさを数字で表すことなど、できるはずがない。



イザークとの愛も、そのうちのひとつ。
イザークとのただひとつの愛は、アークエンジェルとともに今も、ひっそりと眠っている。





   END / あとがきへ