〔 海に眠る船に、あなたに。 〜PHASE.25〜 〕
『俺たちの未来のために、こんなところで死ぬな。』
力強い声が聞こえた。
はその声に目を開けた。
『に出会えて、よかった。俺は、この船に乗れたことに感謝する。』
「イザーク?」
とくん、との心臓が音をたてた。
イザークの言葉が、激しくの生を揺り動かした。
はイザークを見た。
がここで死んでしまったら、イザークの願いまで死んでしまう。
イザークが望んだ、家にとらわれない自分たちの未来。
それがイザークが最後に望んだことなら、それを叶えてあげるのはしかいない。
「私たちの・・・未来・・・。」
はイザークの手を握った。
『あきらめるな。』
もう一度イザークの声が聞こえて、はその声にうなずいた。
「あきらめないわ。イザーク。」
はイザークの頬を、愛しげに撫でた。
そしてその唇に最後の口づけを落とすと、海の中へイザークの遺体を沈めた。
冷たい海の底に、まるで眠っているだけのように見えるイザークの、美しい顔が沈んでゆく。
「〜〜・・イザーク。」
声が震えた。
それは寒さのせいではなかった。
たった数日の恋だった。
それでも、生涯一度の恋だった。
愛しい人は、逝ってしまった。
イザークと過ごしたアークエンジェルでの日々。
決して長くないその日々を、は思い出していた。
「―――愛してるわ。イザーク。」
その姿が完全に見えなくなるまで見送ったは、今度はボートのほうへ目を向けた。
そのの表情は、もう悲観的なものではなかった。
イザークのために、イザークの望んだ未来を。
新しい未来を生きるため、の顔は美しかった。
「そのボート、待って!」
は海へ飛びこんだ。
「お願い待って!私は生きているわ!」
凍えた身体は、ろくに泳ぐことはできなかった。
それでもボートは、の立てる水音に気づいたのだ。
ボートからの光がを照らした。
ついに発見されたは、そうしてボートに引き上げられた。
***
「私のように助けられたのは、六人。」
の言葉に、みんなが押し黙った。
は言いようのない表情で、みんなの顔を見回した。
「アークエンジェルの船客半分以上が海に投げ出されたのに、助けられたのは・・・たった六人よ。」
顔を覆ったマリューに、ムウがハンカチを差し出した。
「私たちはそのまま、助けの船をボートで待ったわ。でも・・・。」
が目を伏せた。
「神さまの許しだけは、いつまでたってもこなかった。」
シンが何かを言いたそうに顔をあげた。
けれどどんな言葉を紡いでいいのかわからなかった。
それでも若い彼は、どうしても聞かずにはいられなかった。
「あの、えと、どうして、名前・・・。」
その性格ゆえ、無礼とも思える発言を繰り返しているシンだったが、は気にしていないようだった。
予想外に多くの視線を集めてしまいうろたえるシンに、優しくほほ笑みかけている。
シンはのその表情に安心して、呼吸を整えた。
「あの、名前なんですけど。どうして旧姓がジュールなんですか?」
「・は、あの水没事故で死んだのよ。私は新しい自分になったの。
・ジュールとして、イザークが望んだ自由な未来を生きるためにね。」
「偽名を名乗ったってことですか?」
ムウが続いて問いかけたので、は今度はムウを見て答えた。
「ええ、そう。元々三等客の乗船名簿なんてあってないようなものだから、平気だったわ。」
笑って言うに、聞いている面々のほうが呆気にとられた。
「でも・・・。メイリンのことだけは、忘れられなかった。」
の顔から、急に喜びが消えた。
アスランにほのかな想いを寄せていたメイリン。
あの水没事故の後、決して会うことはなかった妹。
その運命はまた、悲しいものだった。
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