甲板は人であふれていた。
反して救命ボートはまったく見当たらない。
沈みかけている船首に数隻残っているらしく、人が我先にと押し寄せている。
人々の声に混じって、ついには銃声までも聞こえてきた。
混乱がどれほど酷いものかを物語っている。
〔 海に眠る船に、あなたに。 〜PHASE.23〜 〕
「イザーク・・・。」
銃声は、アスランを撃ち抜いたときのものと、同じ音。
不安がを襲う。
イザークが、きつくを抱き寄せた。
「安心しろ。大丈夫だ。」
それはとても月並みな言葉だったが、今のイザークが言うとなぜか信じられた。
安心できる。
大丈夫。
だって、イザークがいる。
私は独りじゃない。
「ボートはもう無理だ。・・・船尾にむかう。沈没のギリギリまで海上にいられれば・・・!」
はイザークの目を見てうなずいた。
イザークに手を引かれながら、船尾へ向かう。
その道は、いつか未来に絶望したが自ら命を絶とうとして走りぬけた道だった。
今は生きるために、その道を行く。
たった数日の間に、それだけの心が動いた。
そのことをはあらためて、奇跡のように感じた。
あの日、アークエンジェルの船尾の手すりを乗り越えたに、イザークは救いの手を差し伸べてくれた。
そしてにも、別の未来があることを示してくれた。
あの日、この場所で、イザークと出会わなければ、こうして生きることに執着はしなかった。
アークエンジェルがついに、二つに割れた。
それは激しい轟音と共に、浸水が始まっていた船首を一気に海へ飲みこんだ。
完全に分断されなかった船尾は、海にひきずりこまれる。
いよいよだ。と、にもイザークにも緊張が押し寄せる。
イザークが先にアークエンジェルの柵を乗り越えた。
「。」
手を差し伸べられて、は無言でうなづくと柵に足をかけた。
巨大な何かにつかまれているように、海へ引きずり込まれていくアークエンジェル。
海面がいよいよ二人に迫る。
「イザーク。」
震える声を隠しながら、がイザークにほほ笑んだ。
「私たちが、初めて出会った場所ね。」
の言葉に返す言葉が見つからず、イザークはしっかりとを抱きしめた。
***
「最後まで船にいたの?!」
マリューが初めて声をあげた。
「そう。だってもうボートはなかったもの。」
第三者からすれば実にあっけらかんとが言った。
「じゃあ、沈没の後は海に?」
さすがのムウも驚きを隠せない。
海に投げ出された者の生存率を知っているムウだからこそ、にわかに信じられなかったのだ。
は答えるかわりに、にっこりと笑った。
「うそだろ・・・。生き残れるもんかよ。」
思わずシンも疑いの言葉を漏らしていた。
「そう。今でさえそう思われて当然よ。・・・でも、生き残ったの。」
疑われていることに気を悪くするでもなく、は言った。
その顔には、生存したという喜びよりも何かに苦しむ表情が浮かんでいた。
「そんな中で・・・私は生き残ったのよ・・・。」
はもう一度つぶやいて目を閉じた。
***
寒いなんてものじゃなかった。
冬の冷たい海は、身体からすべての体温を奪っていった。
身体のどこにも力が入らなくて、は木の板の上に力なく横たわっていた。
人が一人しか乗っていられないその板は、ついさっきまでアークエンジェルと呼ばれていたもの。
無残にもこなごなになった船の、一部分だった。
イザークはその板につかまり、半身を海からのぞかせていた。
「・・・寒いわ・・・。」
漏らした言葉とともに、白い息が吐き出された。
こんなに身体は凍えてしまっているというのに、まだ空気よりは息のほうが暖かいのだ。
「もうすぐ助けが来る。がんばるんだ、。」
こんな状況においても、イザークの声は力強かった。
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