「アスラン、は?」
「ビジネスのお話があると、キラ様と行かれました。」
「・・・・そうか。」
その後のトダカの話は、はっきり言って上の空だった。
となりにイザークがいる。
そう思うだけで、意識が集中できなかった。
〔 海に眠る船に、あなたに。 〜PHASE.08〜 〕
「救命ボートのこと、よく気づいたな。」
トダカの説明が終わり、甲板のベンチで風に吹かれていたに、イザークが声をかけた。
「・、か。気づかなかった俺が悪かったな。アスランの婚約者だと・・・。」
イザークに言われてはうつむいた。
こうして心は動き出してしまっているのに、立場がそれを許さない。
初めて心の衝撃を知ったのに、彼に続く道がない。
「・・・何かを、かいてましたね。よろしければ見せていただけませんか?」
話題を変えようとしては、イザークが熱心にかきとめていたことを思い出し、手を差し出した。
イザークは手元をぎくりと止めた。
は首をかしげた。
「な、・・・なら、最初だけなら。」
渡されたのはスケッチブック。
一枚目をめくると、アークエンジェルが出航する前の港の風景が描かれていた。
「素敵な絵・・・。これを、イザークが?」
「あぁ。絵は落ち着く。描いているときも、鑑賞しているときも。」
今にも大海原へ滑り出す様子のアークエンジェル。
ラフなスケッチ画だったが、画力は趣味の域を超えていると思えた。
「すごい。・・・こんなに美しい絵が描けるなんて、本当に。」
言われたとおり一枚目だけを見て、はイザークへスケッチブックを返した。
「私も絵が好きなの。パリでもモネという方の絵が気に入って・・・。」
はそこで目を伏せた。
「気に入ったのだけれど、・・・アスランに捨てられてしまったわ。」
「モネ?」
は無言でうなずいた。
あの絵を失ったときの悲しみを思い出したからだ。
「今でも鮮やかに覚えているわ。あの絵。光が、本当に美しかった。」
の記憶の中で、モネの絵がきらめく。
うっとりと夢を見るように、は言う。
「あんな表現、誰にだってできるものではないわ。」
「その絵。・・・、その絵は今俺が持っている。」
はあまりの驚きに何も言えず、イザークを見た。
「の言っていた絵はこれだろ?」
イザークの部屋に入ったは、イザークに言われる前にその絵を見つけていた。
数日前まで確かに自分が所有していた、あの絵だった。
「そう。そうよ、イザーク。あぁ、嬉しい。また見られる日がくるなんて。」
はキャンバスに駆け寄り、うっとりと絵を眺めた。
「ありがとう、イザーク。あなたが所有してくださるのなら、私は嬉しいわ。」
ところがイザークはキャンバスを抱えると、絵をに差し出した。
「そういうことならに返そう。この絵はの絵だ。」
は驚いてイザークと絵を見比べた。
「何を言っているの?そんなわけにはいかないわ。」
イザークは何かを言いたそうに口を開いたが、はそれを止めた。
「それに、いただいてもまた、アスランに捨てられてしまう・・・。」
二度もあの絵を捨てられるなんて、考えたくもない。
「そうか。・・・すまなかった。よけいにを傷つけたな。」
「そんなこと・・・。お気持ちがとても嬉しかった。そうとしか思っていないわ。」
は努めて明るく答えた。
「あ、絵。私が戻しますね。」
「いや、俺が。」
気まずい場を取り繕おうとキャンバスにが手を伸ばし、イザークも同時に手を伸ばした。
二人の手が、キャンバスの上で触れ合った。
「あ・・・っ」
ほんの少し、ただ触れただけの手が熱い。
は今になって初めて、イザークと二人きりだったことに気づいた。
あわてて引き寄せた手は、難なくイザークにつかまれる。
「イザーク・・・」
戸惑いの中に、喜びもあった。
でもそれを表現することもできずに、はイザークの名を呼んだ。
「皮肉だな。俺がこの船に乗っているのは、の結婚式のためだとは。」
「――――え・・?」
「家名で出席するものだ。ろくに見てもいなかった。あのアスランと結婚する女など。」
は愕然とした。
この船で出逢えた理由は、の結婚。
初めから、何も変わらず、何も生み出さない出逢いだったのだ。
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