船は、たくさんの祝福を受けて出航した。
夢の豪華客船・アークエンジェル。
そのたどる運命を知らず、手を振るものは皆、笑顔にあふれていた。










〔 海に眠る船に、あなたに。 〜PHASE.02〜 〕










ヘリコプターが近づく音。
瞬間的に巻き上がる突風。
甲板の上に、車椅子のが孫娘の介助を受けて降り立った。

「こんにちは、ムウ・ラ・フラガさん。・ラミアスです。」
「ムウ・ラ・フラガです。遠いところをありがとうございます。」
嫌味のない笑顔でムウが迎えた。
直後にムウが孫娘に目を配ったことに気づき、が付け足した。

「こっちは孫のマリュー・ラミアスよ。孫は8人いるけれど、自由なのはもうこの子だけ。」
ムウに向かって、マリューが少し頭を下げた。

「長旅でおつかれでしょう?船室を用意しました。シン、案内を。」
黒髪の少年が進み出るのを、は止めた。
「それより先に、あの絵を見せて。」


キャンバスは乾燥して砕けることを避けるため、水に浸されていた。
ゆらゆらと揺れる水の中で、かつてのを見ている。
けれどこのとき、この絵の中のが見ていたのは、愛しいあの人だ。

銀の髪が揺れる。
アイスブルーの瞳が、のすべてを見ている。
あの人が、このときは確かにの目の前にいた。


「本当に、おばあさまなの?」
現実へ引き戻すように、マリューが声をかけた。
はあふれ出てしまいそうな涙をこらえながら、気丈に答えた。

「そうよ。グラマーでしょ?」
ムウは思わずマリューの胸のふくらみを見ていた。
確かにこれは遺伝してるな、と思ったことは内緒だった。

そんなムウに一人だけ気づいたシンが、あきれながらも写真をムウに渡した。
「どうぞ、ムウさん。」
「お、悪いなぁ、シン。碧洋のハートです。・・・ご存知かと。」
もったいぶりつつ、ムウがに写真を手渡す。
はその写真をいちべつすると、顔をしかめた。

「えぇ。重たいだけの鎖だったわ。」
シンはその言葉に驚いていた。
値がつけられないほどの碧洋のハートが、鎖?
ムウもさすがに理解できなかったが、表面上は何事でもないように取り繕った。

「アークエンジェル出航前に、鉱山王のアスラン・ザラが購入している。」
「――――えぇ。そうね。」
「婚約者に贈る物だった。けれど、アークエンジェル沈没事故直後、保険金が極秘で支払われた。」

ムウの話を、は大して気にもせず聞いていた。
マリューは、そんなの手を握り締め、離さなかった。
「つまりダイヤは、アークエンジェルと運命をともにしたってことだ。」

ムウの言葉に、の心臓は張り裂けそうだった。
アークエンジェルと運命をともにしたのは、たくさんの人の命だ。

「絵に書いてある日付は、4月14日。アークエンジェルが沈んだ日だ。」
ムウが指差した先には、日付の横にイニシャルも記されていた。
“YJ”
の目はその名前を追っていた。

・ラミアスさん。旧姓は・ジュールさんですよね?けど、乗客名簿にあなたの名前はありません。」
シンが、今度は疑わしげにを見ていた。
「代わりにあった名前は、だ。あのアスラン・ザラの婚約者としてね。」
ムウがひょうひょうと言った。
マリューは、何も言わずにの顔を見た。

全員の探るような視線を見回して、は少し意地悪く笑った。
「誰にも話したことがない、私の秘密を知りたいのかしら?」
否定をする者は、誰もいなかった。



今でも、はっきりと覚えている。
新しいもののにおい。
新しい世界の、はじまりの声。
アークエンジェルは、夢の豪華客船と言われていた。

本当に―――夢のような船だった。


誰もがアークエンジェルの出航を心待ちにしていた。
けれどにとっては、苦痛以外の何者でもなかった。

表向きは品のよい上流階級の娘。
けれど実態は、家名存続のために売られた娘だ。
人のよかった父は、友人の借金の保証人となり、その身を滅ぼした。
残されたのは旧家という肩書きと、名前だけ。

そこに目をつけてきたのは、金鉱を掘り当て、新興成り上りをしてきたザラ家だった。
』の家名は、どれだけお金を投資しても得たかったものに違いない。
とアスランの婚約は瞬く間に整えられた。

このアークエンジェルでアメリカへ戻れば、アスランとの結婚式が待っている。
社交界へ出された、500通を超える招待状。
自分の意思ではどうすることもできないのが、の現実。

お嬢様育ちで、自分では何もせずに育った母。
そして、かわいい妹のメイリンのためにも、この結婚は避けられなかった。





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【あとがき】
 ムウさんは女性の顔を見る前に、胸をチェックする人だと思います。