1998.07.18

   出張の汽車の中で、今話題の「絶対音感」というルポ風の本を面白く読んだ。西洋音楽を取り入れる過程で、絶対音感を身につけるための方法論が展開されて、戦時中は潜水艦の聞き分けの為に使われたりしたが、今では日本人の幼児教育に使われているために、日本人の優秀な演奏家には絶対音感の持ち主が多い。どの程度完成させたかによって、聞き分けられる音の範囲がいろいろあるらしいが、基準Aの音に対して最も敏感であるらしい。基準の音の振動数は歴史的にも地域によっても変化しているし、そもそも12音階以外の音楽も多く、絶対音感を持つ事が、演奏にとって不利になる場合もあるらしい。日本人の演奏家に良く見られる平均率的な演奏が、必ずしも和声的に正しい音程では無い為に、障害となる場合もある。移調しながら演奏する事が却って困難に感じる事もあるらしい。人工的に決められた周波数がドレミという言葉に対応してしまうという事で、確かに楽譜に書き取ったり、現代音楽を演奏するには便利かも知れないが、音楽的現実そのものは相対音感の世界である。絶対音感を身につける過程では、相対音感を出きるだけ身につけないような工夫もされているらしく、そのことが、後で相対音感を拒むような神経を築いてしまうと、音楽そのものの理解が出来なくなってしまう。技術としての音楽には秀でていても人を本当に感動させる事が出来なくなる。と言った事であるが、実際には絶対音感は便利であり、それに囚われない様に後で訓練し直す事によって、立派な演奏家や作曲家が大勢生まれているので、プロの音楽家になるための一つのステップなのかもしれない。しかし音楽を普通に楽しむためには邪魔になる事の方が多い様である。

    演奏のスタイルというのは、物の言い方の様なものであって、正確に言えば良いというものではない。言葉のように確定した意味の世界がないのであるから、尚更である。しかし正確さというのはなかなか身につくものではなく、幼児期の訓練によってしか身につかないという事なので、音楽のプロというものが必要であるという事であれば、それを乗り越えるという事を前提にすれば、正確さも必要であろう。

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