1998.06.28

    演奏におけるリズムの問題は実際上最も重要な点である。これは広い意味で、フレーズをどう作ってその中でどういう風に強さやテンポを構成していくかという事や、曲全体の中でどういううねりを作り出していくかという、曲全体に関わる大きなリズムが重要である。それは結局何を表現するかという事に直接繋がる問題だからである。どんな音楽だってそれは重要であるが、我々が西洋音楽を演奏する時に、その何を表現するかという処が我々の習慣や文化からは体得し難い処にあるように思われる。音楽は人間の感情に大きく関わり、慰みで有りうるし、元気付けでもあり、気晴らしでもあるが、西洋音楽にはもう一つ、神の世界に通じるような敬虔さを表現する側面があり、これは宗教音楽に限らない。比較的テンポが均一で単調であり、音階がはっきりしているし、構成も幾何学的で、悪く言えば機械的でもあるという西洋音楽の特徴は、実は単純な音の面白さ以外の精神性を表現するのには適しており、それを表現しようとしなければ、また聞く人がそれを求めなければ、本当に機械の演奏になってしまうという危険性がある。そういう意味ではどんな演奏だって不完全であり、本当の価値は演奏の目指しているものである。それは現実には到達出来ないものである。日本には禅の伝統があって、それは沈黙によって表現されている、という言い方も出きる。その立場から見るとバッハの音楽は饒舌過ぎるのかもしれない。禅の精神は以心伝心で伝わる訳であるが、バッハの音楽は人の感情を巻き込む事が出きるという点が異なっている。リズムは人を巻き込む為の手段でもある。音楽はスタイルであり、構造であるという意味で、人の生き方でもある。正確には生き方の一つの表現である。何を目指して生きているのか、という事が音楽に表現される。

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