2015.10.22

これで見納めかなあと思って、高橋悠治のコンサートに行ってきた。東区民会館小ホール。130席位。あまり音響が良いとは言えない。EDIONで前売り券が早々に売り切れたということで、福屋まで買いに行ったから、満席だろうと思っていたのだが、当日券で入る人が結構居て、座席の半分位しか客が入っていなかった。主催者は「耳の空」というよく判らない団体。貰ったチラシは三原と福山のコンサートのものだけだったので、そちらの方の人達なのだろう。客層も見慣れない。よく聞こえた会話によれば、いろんな演奏活動をやっている人達が多いようである。現代音楽好きという訳でもない。どちらかというと高橋悠治の人柄に惹かれているのではないだろうか。まあ、そういえば僕もそうなのだが。

・・・高橋悠治はもう白髪であったが、ステージ態度は変わらない。一礼して楽譜をパラパラとめくってから、椅子に座るや否やいきなり演奏を始める。緊張感も情緒も何も無い。音も相変わらずぶっきらぼうである。普通のピアニストのように一音の表情に拘ってピアノタッチを工夫するとかよりも、難しい音形を弾きこなすほうに集中したのであろうか?そもそもこの人は作曲家であって、ピアノ演奏活動は他に現代音楽を演奏できる人が居なかったから仕方なく始めたのである。演奏家としての自覚はあまりないのだろうと思う。ただ曲の解説はぼそぼそとした声ながら丁寧にやってくれる。

・・・最初の曲はモーツァルトの「ロンドイ短調」(KV511)。何だか奇妙な感じの弾きかたである。勿論フレーズの強弱はキチンと区別しているし、それなりにモーツァルトらしい表情も出てはいるのだが、それがいかにもわざとらしいのである。それと発音のタイミングが微妙に前後にずれたり、速度が速くなったりする。何か本を前にして考えながら朗読している感じである。そうそう、この人はやはり作曲家なのだ。楽曲の解析をやりながらついでに音を出している。だから聴いている方は彼の見方で曲の構造を知ることになる。結果的にいえば今ここにこの曲が生まれてきたような印象を受けるのである。

・・・2曲目はバッハのパルティータ3番イ短調(BWV827)。これはとりわけ僕の好きな曲なのでいよいよもって違和感があるし、その分だけ新鮮にも響く。いや音は響かない。これはもう意味を持つ言語の世界に近い。

・・・次の曲は武満徹の「遮られない休息」(1952-59)と「ピアノ・ディスタンス」(1961)。やはりこういう曲になると彼の弾きかたがぴったりとくる。音の余韻というか、間に対しても一種の感覚的厳格さを感じる。ところで、「ピアノ・ディスタンス」はある合同演奏会で高橋悠治が初演した曲である。黛敏郎の「涅槃」が梵鐘の音響解析を元にした大曲であるとすれば、これはその小曲ということであった。梵鐘に含まれる複雑な響きと余韻。この曲を演奏した後、武満と高橋は喧嘩別れしたのだそうだが、その後武満の演奏会の折に高橋は知らぬ顔をしてこの曲の楽譜を持ってサインの列に並んだそうである。からかうつもりだったのだが、驚いた武満は仲直りしたとか。。。彼が亡くなる10年前の事であった。

・・・次のモンポウという作曲家は第一次大戦前から第二次大戦後までずっと長生きした人で、バルセロナの出身である。ピカソやダリと同様にパリに出てきて活躍し、戦争の度にバルセロナに戻っている。カタローニアの民謡の旋律と教会の鐘(こちらは梵鐘とちがって協和する音の組み合わせである)が曲の中に入り込んでいる。「5つの印象」(1918年)という曲であるが、暖かくて懐かしい感じであった。水牛楽団で演奏していた頃の高橋悠治を思わせる。

・・・最後は高橋悠治の去年の作曲で「水に走る影」(2014年)。2音を少しタイミングをずらして重ね合わせる。そのさまざまな組み合わせ。雨音を聴いているような感じ。一つとして同じではなく、永遠に変化していく感じで、突然終わる。次は右手だけで単旋律だが、やはり偶然の連続。それでありながら何やら因果関係がありそうな。次は右手と左手が関係なさそうに動き回る。これも印象としては絶えず変化する。そして突然終わる。即興演奏の感じがする。ちょうどハンナ・アレントを読んでいるのだが、一人一人が唯一無二な存在として現れて消えていく、その場としての音楽、という感じを受けた。

・・・アンコールもあった。サティーの有名な「ジムノペディー2番」と「グノシエンヌ7番」。とても良かった。タイミングの微妙なずらし方が、曲想にぴったりと合っていた。この演奏会のプログラムでは、唯一情緒的に癒された曲であった。なお、彼の解説によると、「グノシエンヌ7番」というのは、元々「星たちの息子」に使われた曲で、「梨の形をした3つの小品」の最後に使われた連弾曲として再利用された。その曲のピアノソロ版で、最近見つかった楽譜だそうである。

・・・ところで服装であるが、これは何というかベトナムの服装だろうと思う。アロハ調のシャツにダブダブで薄手で黒いズボン。靴はペッタンコでピアノのペダル操作には便利そうだった。一方、きちんとした黒いスーツを着た譜めくりの女性が付いていて、殆ど何もしなかったのだが、かえって目立っていた。
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