2015.12.14

三石さんとのSkype勉強会。今回は殆どが彼の話だったのであるが、代理で記録を掲載する。

・・・吉田民人「新科学論と存在論的構築主義」(社会科学評論55(3)260-280;2004年)は「構築主義」というのがテーマなのだが、これは「本質主義」に対する概念で、社会というものに何か追求すべき本質がある訳でなく、人々の主観による受け取り方と人々のネットワークとの相互作用によって構築されているものである、という考え方である。現在の僕達にとってはまあ当たり前だろうということで、僕はこういう言葉があることすら知らなかった。

・・・僕がまず、こういうことが今更問題になるのは、哲学的伝統が本質の追求ということになっていて、それを批判して乗り越えるために論理展開が難しかったのではないか?と言ったことに対して、三石さんはそれはむしろ逆であって、哲学的にはずっと前から、つまりヘーゲルの時代から考え方が用意されていたのだが、むしろ社会学が「科学」であろうとして、寄り道をしていたのである、という。観察される社会現象がそこに実在し、その背後に社会の本質を求める、という風に、理念なり法則が実在するという立場に対して、社会を存在ではなく機能の組み合わせとして捉える考え方が優位を占めてきたのは、やはり科学実証主義に影響されているのだが、そこに現象学的な考え方が入り込んできて、そういった機能もまた社会構成員の主観による解釈である、ということになって構成主義という言葉で括られるようになってきた、という、これも三石さんの解釈である。同じようなことは歴史学にもある。歴史学はそこに実在する歴史の法則的なものを求めてきた。しかし、それは今日的な歴史学者の主観的解釈にすぎない。

この解釈ということの自覚。事実と解釈の区分けこそ重要なことである。我々は見たものが実在すると思う。我々にとってそれが真実だからである。しかし事実は多くの関わる人々の間で共有されていて、それぞれの人はそれぞれの見たものを信じるしかなく、それをお互いに主張し合えば折り合うこともない。空襲で被災し生き残った人々の体験はかけがえの無い真実を伝えているが、それはやはり一つの解釈であり、爆弾を投下したパイロットの解釈もまたある、という辛い認識を抜きにして、歴史を語ることはできないし、立場を逆にしても同様である。彼らがこの世から消え去って、他の人達がその事実を更に解釈するにしても、そこには絶対的な意味での真実はありえない。しかし、今日的な状況においてはそういうことの、つまり自らの認識を一つの解釈として冷静に捉えなおし、相手の側に立ってみるという努力が失われている場合が多い。ネットや知人から得た認識を疑うことなく真実と思い込みテロに走る若者。これが哲学の貧困でなくてして何だろう?哲学者はそこに働きかけるべきである。

・・・三石さんの話しは更に続く。現代は第4次産業、つまり知的生産が主導する時代になっている。新しい技術やサービスは知的作業抜きにはありえない。しかし、ここに分業による問題が先鋭化して生じてきている。つまり、知的生産が知的作業者の意図とは無関係に利用されるということである。(法的には特許権の問題。これは知的作業が装置や設備抜きには行えず、それを所有する企業や団体に特許権を引き渡さざるを得ない、というマルクスの指摘と同様の事情もある。)知的作業者が自らの意図を自覚して、それを貫くひとつのあり方として「地産地消」という考え方があるだろう。

・・・(挿話)高知から来た小水力発電推進者のお話。戦前には日本全国に多くの小水力発電所があって地域的に電力を供給していた。太平洋戦争中にそれらは国家統制の中に組み込まれ、戦後は国営化され電力会社に払い下げられ、彼らによって不採算資産として処分されてしまった。大きな電力会社にとって小規模な発電所は管理費の嵩む厄介な資産に過ぎない。しかし、地域の人達が運営主体として自らが使う電力源とすれば極めて効率的な資産となる。(そういえば、フロンを使ったバイナリー発電技術(地熱発電とは異なる)で温泉から小規模発電所を作るという動きも、この間テレビで紹介されていた。)

・・・(やや脇道)更に続く。明治維新とその後の日本の近代化を主導した層は武士であった。これは武装勢力としての武士が徳川時代に入って官僚の機能を果たしながらも、節制と自尊心を脈々と引き継いできた、という「日本の伝統」である。そこにはいろいろな文化が流れ込んで融合していて、武士道として語られてきた。しかし、その主導層が最終的には日中戦争と太平洋戦争に流れ込んで限界を露呈した。江戸時代に生まれた町人が維新後に成長を遂げて、戦後の日本を支えることになった。平和で繁栄した日本。武士の節制と自尊心は失われ、アメリカの武力の傘に守られた状態をうまく利用してきた。しかし、町人の時代もおそらく限界に到達しつつある。次の時代を切り開く社会的な層があるだろうか?「市民」が想定されるのだが、それはまだ西欧からの輸入単語にすぎない。このままであれば、日本は近隣民族の勢力圏の中に飲み込まれてしまうであろう。

・・・(この辺りは私)本論に入って、構築主義というのは吉田理論の中ではプログラム現象(法則ではなく物理的に表現が存在する記号によって秩序が作られる現象)の把握として捉えられている。吉田は法則に支配されていると考えられる物質・エネルギーだけでなく、生物層、人間層で重要な役割を果たす情報、プログラムもまた存在と考えているから、ここに「存在論的」という表現が入る。一言で要約すればそういうことである。吉田民人は科学の概念を大きく拡張して、プログラムの設計や改変まで含めたのであるが、そこで必要になってきたのが、「仮説的価値命題の文脈依存的・状況依存的な理論的・経験的反証」である。つまり価値観そのものが仮説化され実証や反証の対象となる。よく考えてみると、生物層(シグナルプログラム層)において価値問題は適応進化の問題(価値とは子孫を残す事)として、一部のキリスト教信者達からの反論が残るものの、ほぼ人々の合意形成がなされている。しかし、これを人間層(シンボルプログラム層)にまでそのまま適用すれば、様々な人道上の問題となるから、多くの人々の合意を得るような問題解決の手続きは確立していない。だから実践困難なのである。吉田の新科学論の体系がなかなか人々に受け入れられないのはそこに根本的な原因があるように思われる。人間層においては価値問題を提起する研究者そのものが研究対象に含まれており、主観を免れない。だから、最初に出てきた「事実と解釈を区別する」という自覚が求められる。それは現実に関わってみない限り身に付ける術のない能力である。文理融合を目指し、政策提言を掲げる政治社会学会ではあるが、残念ながらそういう自覚が不足している(これは僕の意見ではなく、三石さんの意見)。そこで、三石さんは教育の現場で行われていることを参考にした。そこで得たものとは、「学会では政策提言のプロセスを何とかしようとしているのであるが、本当に必要なのは政策提言する主体であり、それをどう育てるか、という教育論ではなかったか?」ということである。つまり、研究者自身が主体化するための教育を受けるべきである、ということ。うーん、手厳しい。
<目次へ>  <一つ前へ>    <次へ>