2015.03.30

「モード1型知識生産の自己変革」

    1998年の日本学術会議。この頃、日本の経済成長が注目されて、海外の基礎研究にただ乗りして製品開発をしているという非難が生じていたが、かたや日本の学界は基礎研究さえしていればよい、応用は企業に任せようという風潮だった。要するに注力していた日本の大学の基礎研究は役に立たなくて、企業は海外の基礎研究を利用していたということになる。そこで1995年から基礎研究と応用研究を繋ぐ意味で「戦略研究」という概念が提唱された。応用を目指して基礎研究の重点分野を強化する、という感じである。1998年の学術会議での検討結果が岩崎俊一氏によって報告されたものが、「新たなる研究理念を求めて」(学術の動向、1998.12、p.10-14)である。基礎と応用という区分の間を繋ぐ戦略研究という概念ではあまりに直線的で、そもそも人文・社会科学が外されてしまう。そこで、創造モデル研究(一次モデル)、展開モデル研究(二次モデル)、統合モデル研究(三次モデル)という区分が提案された。

・「一次(創造)モデル」というのは仮説の提唱と実証であって、本質的に新しい考え方を発見する。これは研究者が独自に発想するので、競争という概念に馴染まない。
・「二次(展開)モデル」というのは既にある考え方に沿ってそれを標準化、普及する、あるいは完成させる、という事で、完成形は見えているから、研究者は同じ目標を目指して競争することになる。
・「三次(統合)モデル」というのは、実社会との融合であって、ここで社会性が要請され、人文・社会分野の研究とも融合されるから、研究者にとっては協調的であることが必要となる。

      基礎とか応用とかいう今までの分け方を越えて、工学的な発明でも創造モデル研究となるし、基礎的なデーターの収集や教育のようなことは展開モデル研究となる。この提案の新しいところは統合モデル研究であって、それは今までの応用科学という概念を超えている。社会的な成果となるためには、当然社会的な要請や条件が絡んでくるし、それを満たすためには人文・社会科学的アプローチが必須となるのである。統合モデル研究の典型は地球環境科学である。

      ところで、岩崎先生は「垂直磁気記録」の発明者である。磁気記録事業に関わる企業は殆どが留学生を彼の東北大学の研究室に送っている。我々の会社も磁気記録を始めるに当って1982年に一人送って、垂直磁気記録ヘッドの素材を提供し、試作した磁気ヘッドを僕は通常のフロッピーディスクドライブに取り付けて実験したこともある。磁気記録というのは磁化する膜を持った媒体(磁気テープや磁気ディスク)を磁界を発生する磁気ヘッド(電磁石)に対して相対的に運動させ、磁気ヘッドに流す信号電流によって媒体に磁化のパターンを記録し、またその磁化パターンから漏れ出す磁場を磁気ヘッドで読み取ることで情報を読み出す技術である。媒体の運動方向に磁化の向きを作るのが長手磁気記録であり、これは記録という意味では媒体膜に記録された磁化による磁場が次の(隣接する)逆方向の磁化を邪魔する(これを反磁界と呼ぶ)ために高密度で記録できない、という弱点を持つが、逆に磁化されたパターンからの磁界は強いために再生が楽である。大容量の記録が要請される中で、1975年に、岩崎先生は記録磁化の方向を膜に対して垂直にすることを提案した。こうすると磁化の時に生じる記録された磁化による磁界が記録を補助することになり、高密度記録が出来る。しかし、再生時の磁界が小さくなるから、なかなか実用化されなかった。その状況を大きく変えたのは再生専用の磁気ヘッド(磁気抵抗効果による磁気ヘッド)である。磁気抵抗というのは磁界によって電気抵抗が変化する性質である。その材料は限られていたし性能が不足していたので磁気抵抗素子はモーターの回転タイミングを検知するセンサー位にしか応用されていなかった。しかし、1987年に人工的に創られた薄膜多層材料で巨大な磁気抵抗効果が見出され、それがその後の研究によって磁気ヘッドとして実用化されることで、俄然垂直磁気記録の優位性が生じて、ハードディスクにおいて実用化されたのである。2006年から2008年の2年間でハードディスクの技術が一変してしまった。記録膜も磁気ヘッドも同時である。この講演の頃(1998年)には岩崎先生は自らの「創造モデル」(垂直磁気記録)がいくら「展開」(記録媒体や磁気ヘッドや回路の研究)しても「統合モデル」(市場で優位な製品)にならない、ということを痛感しておられたと思われる。

      この岩崎報告に吉田民人が「モード1型知識生産の自己変革」(同上p.20-29)で答えている。岩崎提案の分類をマイケル・ギボンズのモード論に類似しているとして、整理している。モード1というのは個別科学や学際科学などの学術集団内部で完結する研究(内生的)と位置づけ、モード2を多くの研究分野や研究集団に跨った広いコンテキストの研究(外生的)と位置づけている。岩崎提案の創造モデル研究と展開モデル研究というのがモード1であり、統合モデル研究というのがモード2である。そう考えると統合モデル研究にも創造と展開の区分が考えられる。この辺がダイコノミーの組み合わせで概念を作っていく社会学手法の発想である。統合モデル研究というものを具体的に考えていく上で、例えば創造的とは何か?それは社会設計ということに他ならず、そこに人文・社会科学の役割が見えてくる。科学技術の社会・自然への埋め込みに失敗した後で学ぶ、事後的研究と、事前に予測して設計する事前的研究の区分も重要である。ここにも地球環境科学の良い例があるのは云うまでもないだろう。

      吉田は更に別のダイコノミーを使う。基礎を「一般化」、応用を「特殊化」と置き換えて、それに「認識」と「設計」のダイコノミーを組み合わせる。特殊に学びそれを一般化し、一般化した原理から特殊を導出する、という循環と平行して、認識を統合して設計し、設計した結果を認識する、という循環もある。伝統的な科学を認識科学とし、物理工学、化学工学、生物工学、社会工学、政策科学、規範科学、実践科学と設計科学と取りまとめて、新しい科学類型を想定することが出来る。認識に拘るからこそ、自然物の理学に対して人工物の理学という風にしか工学を定義できなかったのである。人工物の認識科学だけでなく人工物の設計科学もバランスを取らねばならない。生命倫理学や環境倫理学もまた人文科学領域での設計科学である。従来の区分での人文・社会学は単なる文化的価値なのではなくて、社会設計の為に有用な学問として位置づけられることになる。

      もう少し俯瞰的に眺めると、法則に支配される物理・化学的世界、シグナル性プログラムに支配される生物的世界、シンボル性プログラムに支配される人間社会、において、それそれの世界内部で閉じた科学(水平的統合科学)とそれらに跨った科学(垂直的統合科学)、更に統合を進めた(垂直的・水平的統合科学)という分類が考えられる。それらについては更に認識的科学と設計的科学のバランスを考えねばならない。こうして、吉川会長の提案による「俯瞰型研究」の内容が論じられる。つまり、1.内生モデルを前提としてであるが、統合モデル(外生モデル)である事:科学技術の社会・自然への埋め込みに関する認識科学的、設計科学的研究;2.事前選択的であること;3.垂直・水平統合;4.認識科学と設計科学の循環、である。会長の提案は、学術会議がこのような研究を知識生産として引き受けるということに他ならない。

      ということでその後、吉川会長の元で学術会議の「俯瞰型研究プロジェクト」の「中身」を求める活動が続いたのである。僕が関わったのは2004年であった。名前は「横幹型研究連合プロジェクト」に変わっていた。何しろ社会全体を巻き込んだプロジェクトであるから、大学や研究機関がその中で何をするのか?実際に社会で行われていること自身が正に俯瞰型の活動であるからして、(1)それを整理して理論化すればよいのか、それとも(2)社会に一歩踏み出して参画するのか、といった疑問が部外者からでも容易に想像できる。その中で、各企業にも声がかかり、無視するわけにもいかず、ちょっと参加してみてくれ、と上長に命じられたのである。各企業は自社の具体的な課題を発表して議論しあった。これは結局、大学の機能を統合して企業における俯瞰的な問題を請け負って相談に応じ、あわよくば解決してみよう、ということであったと思う。至極もっともなやり方ではあったが、大学には専門家が揃っているとはいえ、吉川会長の崇高な想いと現実の大学とは大きく乖離していて、企業の統合的な問題解決に役立つような統合的機能はなかったし、期待されてもいなかった、というべきであろう。そもそも、企業が大学に相談するときには統合的な視点を自ら保持したまま、その一部分を補充するというのが通例である。その範囲を超えるような場合にはまずは企業間で連合するだろう。その場合には当然秘密保持も問題が絡んでくる。また、その当時からして、そういった統合的な問題については通産省がとりまとめてプロジェクトを作っていた。大学はそこに参画を要請されていたに過ぎない。大学が能力不足であるばかりでなく、そのような連合組織も未熟な段階であった以上、まずは(1)の方向性、つまり企業が現実にやっていること(統合者はいても個人プレイであり、システム化されていない)の理論化の方が先決事項だったのではないか、という感じがする。この方向はしかし多くの経営学書の語るところであり、彼らの自己満足に満ちた理論が役に立った試しは無いわけだから、困難を極めるであろう。結局、この運動は吉川会長が辞めた時を以って忘れ去られた。残ったのは奇妙な名前を冠せられた大学の組織だけである。そこに「統合」の意図は残っているが、中身は相変わらず各自の殻に閉じこもった大学教員の集合でしかない。

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