大分前から出かけるときに電車の中で読んでいた「朝鮮民族を読み解く」古田博司(ちくま学芸文庫)をやっと読み終えた。初版は2005年である。何とも驚くべき内容で、俄かには信じがたいし、朝鮮半島の人たちには受け入れがたいであろう。

      李氏朝鮮の時代は中国文化(漢民族の明)に傾倒した時代であって、その当時の思想や風俗や習慣が極端化されて、その後の朝鮮半島の人々の伝統として残されている。一言で言えば朱子学である。4代遡ってまでの宗族の祭儀、身の回りから順に作られる殻内の濃厚な親族関係(ウリ)とその外部(ナム)の極端な無関心。とにかく人間関係の親疎が明確である。ウリの内部では極めて開放的で率直であるが、ナム世界との付き合い方が神経症的で、概して見知らぬ他人に冷たい。しかし、一旦友人となるとその無遠慮さが極端になる。迷惑をかけるという事が親密性の表現として重用される。他人との冷静な付き合い方が難しいのである。国民意識がウリの延長であるから、国家や政府に対しても本質的に冷淡である。親族のためなら何でもやるという感じになるから、汚職その他の問題も生じることになる。

      李氏朝鮮は女真族に戦争で屈服して、女真族の中国政権である清に従わざるを得なかったが、自らは真正の中国文化を保持しているという誇りを捨てなかった。朱子学は朝鮮において純化されたのである。その清が西洋列強に圧迫され、自らも野蛮な倭国(日本)に屈服して開国させられたというのも屈辱であった。そういった敗北の歴史は彼等の思想をますます強化したのである。自らの正統化の理屈が自己増殖していった。恨(ハン)というのは朝鮮の人々に共通する強い感情であるが、それは自らの不如意の原因を何処に帰す事も出来ずに煩悶する気分である。韓国におけるさまざまな宗教はその解決手段という意味合いが強い。北朝鮮においては、その解決を金日成一族を国民の父として崇める宗教に求めたのである。

      書かれた時から10年経っているから、韓国においてはこういった傾向は緩和されているということである。またそういった前近代的な感性に違和感を覚えてアメリカに移住してしまう韓国人も多い、ということである。僕は韓国に一度学会で行ったことがあるが、その時は直接韓国人と接触した訳ではない。仕事の関係で日本にやってきた韓国人は確かに日本コンプレックスを口にしていた。だから韓国は駄目なんだ、、、とか。他方、僕の知っている在日韓国人達はとにかくエネルギッシュであって、正義感が強かった。彼等は殆ど日本の文化に同化しているから、参考にはならないそうである。要するに僕の経験上から言えば、古田氏の言う事の真偽の程はよく判らない。偏見は持たない方が良いだろう。ただ、最近の韓国のニュースの背景にはこんな傾向があるということなのかもしれないとは思った。

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