2011.01.31

   山鳥重であるが、昔「脳からみた心」(NHKブックス)を読んだと思ったが、記録が見つからない。蔵書の写真を探すとあったのでダンボール箱から取り出して眺めている。I.言葉の世界、II.知覚の世界、III.記憶の世界、IV.心のかたち。
 脳からみた、とは言っても解剖学的所見は避けている。症状の観察からそのメカニズムを推定している。さて、I.言葉の世界のところを簡単に要約する。

・言葉は客観的な意味の外延に裾野を持つ(命令なのか質問なのかとか、立腹しているのか喜んでいるのかとか、、、)失語にもレベルがあることから言える。
・言葉は言葉としての形態(音韻構造とか字体とか)と意味が表裏一体となる。その繋がりだけが失われている失語もあることから言える。
・語は範疇化機能を持つ。具体物が単語と対応してしまって、単語が範疇として機能しないタイプの失語がある。
・単語にはその限定的な意味の周りに関連する意味の広がり(意味野)があり、提示された物から対応する単語に至る喚起過程では物が喚起するさまざまな意味野を巡りつつ最終的に限定された意味野に到達する運動である。このことは喚起に障害のある健忘性失語の解析からそれがこの意味野の崩壊と関連していることで判って来た。
・文と単語は意味の階層が異なる。これは語は理解しても文を理解できない失語から想定される。
・自動的な発語機能は失われにくく、意図的な発語機能が優先的に失われる。意味野の周辺はかなり自動的に処理されるから理解しやすい。
・言語理解には能動性が必要であり、それの欠ける失語もある。言葉の意味は理解されていても眺めている感じで、それが自分に関わる事であるとは思えないから、次の行動が起きない。ということである。
・状況から自動的に出てくる言葉は壊れにくい。挨拶や独り言である。
・言葉が自動的に出てしまって、内容を持たないような場合もある。
・記憶がうまく制御できないと、一度使った言葉が無意識に何度も出てしまう。保続と呼ばれている。
・反響という現象も知られており、これは聞いた言葉を意味も無く繰り返す自動的発語である。

「言語学的に言えば、意味の無い言葉は言葉とは言えない。しかし、生物学的な立場からすれば、意味は言語現象の一部にすぎない。意味を運ぶという機能を果たすために神経系は言語活動以外の幅広い活動をしている。理解が皆無の段階で生じる反響言語ですら、適切な状況でしか発せられず、場合によっては記憶すらされる。更に、主体に合うような文の変換すらされる。反響言語は模倣ではなく、何よりも社会現象である。」これは文の意味における裾野ということであろう。

・以上を纏めると、言語は意味するもの=意味されるものの対応から成り立ってはいるが、実際のプロセスは曖昧な広がりがあり、そこからダイナミックに選択されている。そのようなプロセスの大部分は意識されない。失語症の研究によって始めてその構造が見えてきたのである。

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