2016.12.25

今日で掛川のつま恋が閉鎖になる、ということで、23日はNHK-FMでつま恋三昧をやっていた。録音しておいたのを聞いた。始まりは思ったよりあたらしい。1974年、フォークソングが最盛期の頃である。吉田拓郎やかぐや姫を始めとした大規模野外コンサート、ヤハマのポピュラーコンテストで、若者の音楽をプロモートした。要するに素人発想の音楽を取り込んで、ポピュラー音楽の潮流を作りだした。

      中島みゆきは2回出てきた。最初は勿論ポプコンでグランプリを取った時で、2回目は吉田拓郎のコンサートに出演した時である。最初の時、八神純子という恐ろしく上手い人と競合していたということを知った。その本人が回想していて面白かった。歌詞にせよメロディにせよ歌唱にせよ、圧倒的である。しかし、ちょっと凝りすぎで、その良さが大衆的ではなく、西洋音楽的なので、なりふり構わず直接訴えてくる中島みゆきの歌に負けた原因だったのだろうと思う。その時の中島みゆきの「時代」は後年の歌詞内容に沿った円滑な表現とは異なり、荒々しくて精一杯張り上げた自分の声が充分制御できていない感じがする。コンテストの緊張も大いにあったのだろう。それだけに今聞くと新鮮である。インターネットで見たのは、何だか不真面目そうに歌っていた感じだったから、多分受賞が決まってからの再演のシーンだったのだろう。

      吉田拓郎のコンサートに出演したのは2006年で、一番迫力のある時だった。彼を叱咤激励するために作った「永遠の嘘をついてくれ」である。これは23日放送分の中で一番人気が高くて、最後にもう一度放送された。23日の夜にはテレビの方で吉田拓郎が70歳になって「元気を出すために」やった関東近辺でのライヴ演奏とそれにまつわるインタヴューをやっていたので、これも録画で見た。若い頃は徹底した反権威主義で、まあ日本のボブ・ディランを気取っていたのであるが、このインタヴューは実に素直に心境を語っていて興味深かった。自分はずっとフォークソング歌手だとは思っていなかったが、世間で勝手にそういう風に言われていただけである、という。好き勝手に歌っているように見えて、実は綿密に考えて練習している。僕が吉田拓郎を知ったのは大学院時代、3畳+押入れの狭い下宿で隣り合っていた学生達がよく聞いていて、自然に耳に入った。その頃僕はジャズしか聴いていなかったから、面白いとは思いつつも下らないと思っていた。西洋音楽的につまらないのはまあ良いとしても、あまりにも非思想的でまとまりがないように思えた。しかし、それこそが多分大事なことだったのだろうと思う。既製の思想ではどうにも表現できない何か(疎外された自分を自分で励ますための何か)がそこには漂っていて、多くの若い人の心を直接捉えたのである。そして、その何かが中島みゆきにも受け継がれている。
 
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