Barad はやっと第一章の逐語訳が終わった。結局のところまだ Introduction の続きである。本題にはいるのはまだ先の章だろう。従来の人達の思想を批判的に検討している。

      ヨーロッパ中世においては(知識人にとって)表象(聖書に書かれたこと)が世界の本当の姿であり、外的世界は見かけ倒しであったのだが、実用的な技術が社会の発展にとって支配的な意味を占めるようになると、外的世界において実証されることの方が表象(聖書)よりも信じられるようになった。やがて、表象は聖書の世界を離れてそれ自身で外的世界に合わせて体系化されるようになった。これが近代科学であり、世界はありのままに存在する、という考えが常識となった。

      この素朴実在論というのは、世界の存在をまずは認めた上で、科学が少しづつ明らかにしていって、明らかにできた範囲での言明を体系化する、という考え方である。これはまあ、存在している外的世界とその記述というそれぞれ独立した事象があって、ここでいう表象というのは後者のことである。

      それに対して、構築主義というのは素朴実在論の反省であり、我々が外的存在を正しく反映していると思い込んでいるその記述(表象)は我々の側の社会的態度を表現しているに過ぎない、と考えて、むしろその事こそ重要なのだ、という。とりわけ外的世界が社会であるとき、それは政治の問題に直結している。

      ともあれ、これらは、記述された学問についての考え方が一応は正反対というわけである。しかし、いずれの考え方も、外的世界が我々とは独立に存在し、それを我々が知識体系として認識する、という構図であることには変わりない。この共通した構図のことを Barad は表象主義という言葉で一括りにする。世界とその知識体系というこの2項図式は西洋哲学の中に染み渡っていて、それから自由になることは難しい。しかし、この図式が有効なのは、それが認識論に留まっている限りである。

      認識はそれに留まるものではなくて、認識されたものは評価され、やがて次の行為を導くものである。そしてこの行為というのは正に認識対象に向かうのである。厳密に言えば認識対象に働きかけることなしには認識すら可能ではない。存在している、とかリアルである、とかいうのは、我々がこうやって働きかけるという行為を想定しない限り断言できないことである。社会構築主義ではこういうことは理解されていたのだが、その認識の側面だけを取り出して、行為の側面の方はそれによって既に形成された社会的背景(倫理)として固定したのである。それを乗り越えたのがフェミニスト Judith Butler の遂行的アプローチであった。差別というのは正にその固定された社会的背景そのものだからである。

      社会科学においては、その研究対象たる社会が研究者自身を包含している、という事がしばしば問題となる。研究者は神のように社会の上から観測したり眺めたりすることはできない。そこに関わらない限り社会を認識できず、関わってしまえば、それによって社会自身が変わる。このような状況が物理学で生じたのが、相対論における時刻合わせ問題(これは航海における船舶の時刻合わせという実用的な問題でもあった)とか量子論における系の状態測定である。そこでは研究者の代理人として測定器が登場することが異なるのだが、それゆえに自由度が大きくなって実験も可能となる。Bohr が悩みぬいたのはこういう状況において、認識という概念をどういう風に考えたらよいのか、何が存在していると言えるのか、ということであった。アインシュタインとの論争は40年間に亘った。だから、その教訓を方法論として一般化すれば、社会科学にも適用できると考えたのが、Karen Barad である。Bohr 自身も社会科学、生物科学に応用しようとしたのだが、そのやり方は彼の見出した相補性という概念に依存していて認識論の枠組みから出られなかった為に、失敗した、というのが Barad の評価である。
 
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