2017.07.18
津田一郎「心はすべて数学である」(文芸春秋社)を読んだ。今までの本の内容を随筆風にまとめた感じである。メモを並べ替えて整理してみた。

・・・他者の心から成る「集合的な心」のようなものがあって、それが個々の脳を通して「私の心」として表現されていく。心とは何かを考えるには脳の科学だけでは不十分で、むしろ真の心の科学とは何か、と問わなくてはならない。心は一個一個の脳という器官を通ってでてくるものであって、自分の身体を通ってくるために、「私の心だ」という幻想が生じるわけだけれども、もともと意識とは外から、他者からきているのだとすると、それは閉じた形では書けないだろう。

・・・心は各個人の脳を通って現れるとき、その脳の個性によって変形されていくから、かなりな部分が具体的である。つまり、思考・推論はむしろ個別具体的である。むしろ抽象性が高いのは感性の方で、共有可能性も高い。具体的なものを感性に沿っていかに抽象化していくか、それがロジックである。ロジックは人の推論、心の動きを外在化させたものである。数学者達は心の表現を第一に考えていた。心を具体化させることが論理という形で数学に現れた。

・・・仮説として「数学は心である」とすることで津田氏の研究が成立した。

<計算機によるシミュレーション>

・・・要素が相互作用してシステムが出来るのではなく、システムが働くことで要素が生まれてくる。システムの構成要素となるべき要素は予め定義することが出来ず、システムの中でのみ定義することが出来る。

・・・システムに情報を入れてその情報をシステム内に最大に伝えるためにはどんな部品が出来るか?を計算してみた。ニューロンと同じような性質を持った部品が選ばれる。

・・・お互いに受け渡す情報量を最大にする最大化原理によってシステムを発展させる、出来るだけ情報量が高い力学系を選び、低い力学系は捨てていくというプロセスを繰り返し行っていくと、システムが機能分化していく。

・・・「他者によって自己が出来ていくようなメカニズム」の例証である。

<脳での例証>

・・・エピソード記憶:時間、場所、感情を伴った記憶。5秒位の事象を単位として3〜5個のイベント数のまとまりとしてグループ化して記憶している。因果性の無い時系列記憶である。定着までに数年かかる。その間に変化混合する。時間的構造をどうやって空間的構造へ埋め込んでいるのか?カントル集合で説明できる。力学系 A がカオス的であって、その影響を一方的に受けている力学系 B が縮小するとき、B は時間系列を折りたたんでいる。これが海馬の構造に対応している。情報は歯状回から入り、カオス的な挙動を示す CA3 に入り、CA1 に渡されてから海馬を出ていく。爬虫類にはこのような構造化が無く、これは哺乳類に特有のものである。

<記憶と連想と推論と論理>

・・・エピソード記憶も連想も事象を連鎖的に思い出すという点で共通しているが、エピソード記憶は生起する順序(時間)を持ち、連想は一つ一つの事象が意味によって関連している。推論は連想と区別が付きにくいが、連想が連鎖したり逆行するところが異なる。論理は推論における時間変化を留め置いて空間に固定したもので、前提があって結論に結びつくから時間の入る隙が無い。だから「アキレスと亀」のような矛盾が解消されない。推論は結論を前提に戻して再び推論をして結論を出すという論理の連鎖であるから、離散的な時間を伴う。つまり、空間的な論理が孕む矛盾は時間に幅を持たせることで回避できる。

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