17.07.14
夕方から流川教会での演奏会に行ってきた。予約チケットを買ってから、暑いのでエアコンの真下で涼みながら掲示板やノートを見ていると、懐かしい人の消息があって驚いた。いろいろと昔の事を思い出してしまった。

・・・さて会場は100名位で満席。2階席の方にパイプオルガンがある。タイル張りとモルタルでモダンな内装であるが、正面の十字架は焼け焦げている。1927年に流川に建てられたゴシック様式の教会であったが、原爆の時にかなり壊れて修復されている。その後1971年に現在の上幟町に移転。被爆時に焼け残った十字架を掲げたのである。

・・・さて、曲目は J.S.Bach のフーガの技法 BWV1080 である。ザ・ロイアル・コンソートという古楽のトリオがヴィオラダガンバを演奏し、ゲストとして有名な古楽violinistの寺神戸亮を迎えている。最初に寺神戸さんが曲の説明をした。演奏途中ではプロジェクター上映で各楽章のテーマとか主要部の楽譜が示された。主題を引き延ばしたり縮めたり、上下反転させたり前後反転させたり、リズムを変えたりして、それらを時間的にも音程的にもずらしながら各声部が変奏していく。それが全体として調和を保つように出来ていて、バッハの作曲技法の奥ノ院という感じである。

・・・前半はまだわかりやすかったが、後半に入ると込み入ってきて感情的な起伏も感じられる。聴く方としては全ての旋律を聴ける訳もないので、どうしてもアクセントを付けた旋律に気を取られる。だから、演奏毎に曲の印象がずいぶん変わるのではある。ヴィオラダガンバ3(内一つは高音部を演奏するために小さい)と古楽ヴァイオリンという組み合わせであるが、ヴァイオリンの方で僕の好きな寺神戸流のアクセントがあるために、ヴィオラダガンバの対旋律が目立たない、という処が多々あった。やはり同種楽器でやった方がよかったのではないかと思う。終わる頃には相当頭が疲れてきた。原曲では、最後の楽章に BACH の文字の音からなる主題が登場した処で、切れてしまっているのだが、ここではその後曲がうまく終結するように追加して補っている。このあたり、何となく正面の十字架を眺めてしまったのだが、バッハの追悼という感じがあった。

・・・この曲はエマニュエル・バッハが出版するときに曲数を24にするために、バッハが死の床で口述したとされるコラール「我苦難の極みにありて」が追加されたのだが、ここでもそれが4重奏で演奏されて、これは感動的であった。
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