2021.08.31
『玉砕の島を生きて~テニアン島 日本人移民の記録~』ETV特集

  第一次大戦後、日本の委任統治となり、日本人が移住し、サトウキビ畑と工場があった。大勢の日本人が暮らしていた。太平洋戦争が始まると島の要塞化が始まり、動員された。米軍のサイパン上陸。

・1万人の住民は島の南端カロリナス台地に避難した。避難先から町まで食糧を取りに行く。テニアン島に米軍が上陸。民間人も義勇隊として組織された。陣地構築作業。曳光弾の後艦砲射撃。退却する日本軍がカロリナス台地に逃げてきた。水が無かった。子供が一人水を探して洞窟を飛び出した。この子はその後米軍に保護されていたことが判る。日本軍が最後の攻撃を終えて、アメリカ軍は住民に投降を呼びかけた。しかし、逃げ込んだ兵隊に捕虜になるな、と言われた。子供は先に殺し、皆を集めて手榴弾を爆発させた。しかし、生き残った者も多かった。7歳の子供が生き残り、母親に「生きよう」と説得した。昼間は日本兵から隠れ、夜は米軍の砲撃から逃げた。やがて、先に捕虜になった人がやってきたので説得されて投稿した。

・(もう一人の話)先に自決しようとして母親に説得されて、母親を銃で殺した。妹に水をやって殺した後、自ら自決しようとしていたところを米軍に捕まった。

・テニアン島からは原爆を搭載したエノラゲイが飛び立った。

・今になって、もうテニアン島への慰霊の旅も最後だろうからと、生き残った娘が、生き返ってしまった弟を母に頼まれて殺したことを告白した。

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