2021.09.11 (2024.07.27 に追記)
僕にとっての故郷の風景は瀬戸内海であるが、中島みゆきにとってはやはり雪景色だろう。「サッポロSNOWY」は故郷に残した「あの人」を想う歌である。東京から故郷を想う時に切っ掛けとなるのは天気予報である。採譜してみた。
・・主和音 Em で始る「大陸からの強い寒気が下がって」の旋律は8分音符で畳みかけて「下がって」の処で音程も下がり、一番低い ミ(E) で終わる。受けは Am 「今夜半冷え込みます」 「冷え込み」の処は丁寧に4分音符である。 B7 つまり常道の属和音で終わる。
・・同じ旋律の繰り返しで「夕方遅く降り出した雪は明日(あす)も」「かなり強く降るでしょう」。
・・次は展開部で Am でゆったりと「昨日ついた足跡もみんなみんな包んで」。「みんなみんな」の処は情感を籠められている。最後はまた B7 である。ここまでが謂わば情景描写であるが、足跡が雪で消される、というイメージが残る。これは死んだ父親を歌った「雪」という曲の「あなたの残した足跡が雪で消えて見えない」というイメージと重なる。喪失感を掻き立てる。
・・次はサビが来る。Em 「サッポロSNOWY まだ SNOWYあの 人が」 GM7。SNOWY という英語を持ち込んだ処が秀逸である。勿論雪が降っているという意味の形容詞なのだが、日本語の語順の間に挟み込んで擬音のような使い方をしている。旋律も4分音符と8分音符を使い分けて、5度低下という音程の段差を使って切迫感を出している。「まだ好きになってくれないから」 B7。 ここは3連符である。「切なさ」を感じさせる工夫。
・・同じメロディーの繰り返しで言葉が続く。「サッポロSNOWY まだ SNOWY帰れない」「今日も天気予報長距離で聞く」。そういえば昔は電話で天気予報を聞くサービスがあった。今でもあるのだろうか?「SNOWY....」の処は ソ(G)音が続く。結局 属和音(B7)で言葉は終わり、伴奏側で余韻を残したまま消える。
・・ところで、「あの人」というのは、常識的には、恋焦がれているけれども想いに答えてくれない冷たい男と解釈すべきだろう。その人は札幌に居て、ラブレターを書いても返事をくれないから、せめて天気予報で気象を思いやる、という情景が浮かぶ。何とも切ない片思いである。実際、「夜会Vol.5」の冬場面では、男に騙されて雪の中で待たされて、隠れて観察していた男たちに笑われる女が歌う。
・・しかし、中島みゆきの父親は偏屈なまでに純粋な人だったらしく、産婦人科医として無償奉仕のような仕事をしていたらしい。産婦人科というのは女の人の人生の結節点である。そこでの出来事は中島みゆきの人間観を形成する上で最重要な経験であったと思われる。生命の尊厳、母性の偉大さ、女を騙す男の卑劣さ、等々、彼女の歌の世界は殆どが産婦人科の世界から来ると言ってもよい。そこに奉仕する父親の姿に中島みゆきが自己を投影したとしても不思議ではない。
・・自らの才能の開花としてシンガーソングライターという職業が実現しようとしたとき、中島みゆきは谷川俊太郎の詩「わたしが歌うわけ」を読んで衝撃を受けて、メジャーデビューを辞退し、父親の病院の手伝いを始めた。そして、彼女は「わたしが歌うわけ」を父親の生き様に見出したのである。しかし、再度メジャーデビューというそのタイミングで父親は死んだ。そういう成り行きを考えてみると、ここでの「あの人」というのはやはり父親(中島みゆきの中にあるもう一人の私)のことではないか、と思う。「まだ好きになってくれない」というのは、「わたしが歌うわけ」がまだ実現していない、という事を意味する。つまり、まだ歌うという仕事の目的を充分果たしていないから、故郷に帰れないという事なのではないかと思う。
・・さて、歌詞の2番は中島みゆきらしい擬人化である。「吹雪の海で迷っている漁船から」「無線は強気な駄洒落」「氷の国の人は涙のかわりに」「負けん気なジョークを言う」。「昨日あった出来事もみんなみんな包んで」。
・・1番の歌詞では雪が足跡を包んだのだが、2番では駄洒落やジョークが出来事を包んでいる。つまり、私とあの人(第2の私)という1番の歌詞での軸を更に外から見ている「第3の私」は駄洒落を言ってはしゃいでいる。オールナイトニッポンの中島みゆきである。サビは同じ。
・・最後にはサビが繰り返されるのだが、その前置きのようにして、「本やTV(テレビ)で」「覚えたことも」「嘘ではないけど」。この出だしは曲冒頭の「大陸からの」の旋律を2倍に引き伸ばした旋律を使っている。この意味は、次に来るサビの中身に関わる。私とあの人の間の事は本やテレビで覚えられるような(言葉で語られるような)ものではない、という事であろう。
・・サビは少し形を変えて想いを直接語る。「サッポロSNOWY いつかSNOWYあの 人に」「言葉にならない雪を見せたい」「サッポロSNOWY ただSNOWY降りしきる」「あの雪の中の素顔見せたい」。「雪」と「素顔」がそれぞれ1番と2番の視点に対応している。(グッと来る言葉であるが、この部分は夜会Vol.5では歌われていない。内容的に当然である。それに伴って、「本やTVで...」の意味も変わる。)
・・最後に歌詞の中のサビが来て曲を終わる。「サッポロSNOWY まだ SNOWYあの 人が」「まだ好きになってくれないから」「サッポロSNOWY まだ SNOWY帰れない」「今日も天気予報長距離で聞く」「SNOWY.....」。ちょっと能の終わり方を思わせる。
2024.07.27 追記
今朝の新聞:電話での天気予報サービス(177)が来年廃止されるそうである。まだあったんだなあと思った。中島みゆきの『サッポロ SNOWY』でうまく使われている。「サッポロ SNOWY まだ SNOWY 帰れない、今日も天気予報長距離で聞く」。SNOWY という音の感触、雪のイメージ。全てを隠してしまう。雪からの連想が拡がる。。。
『根雪』では、「そうよ、あんたも隠して降りしきる」。
『雪』では「あの人が教えるとおり あるいていくはずだった私は 雪で足跡が見えない 立ちすくむ あなたを呼びながら」。
『吹雪』では「疑うブームが過ぎて 盾突くブームが過ぎて 静かになる日が来たら 予定通りに雪が降る」。
『白菊』では「雪の降る夜は 荒れ野に白菊が咲く 消えた笑顔のような 淡い白菊が咲く」。
『六花』では「六花の雪よ 降り積もれよ すべてを包んで 降り積もれよ」。
『霙(みぞれ)の音』では「好きな人ができたの私 少し前から ねえ 霙って音がするのね 雨とも違う窓の音」。
ちょっと涼しくなったかな?