2021.08.22
『感染症と日本軍兵士』(NHKBS1)

       防疫給水部隊をいうのは水を浄化して配布する部隊である。南方戦線でのマラリア。インドネシアはキニーネを独占的に生産していて日本はそこを占領したが、アメリカは代替薬を開発した。ビルマとタイを結ぶ地域(泰緬鉄道)ではキニーネ対策が効かず、蚊の駆除を行った。次に恐れられたのはデング熱。これはウイルスなので原因が判らなかった。人間しか感染しないので、1942~43年に、精神病院の患者を使って人体実験が多数行われた。インパール作戦は最悪だった。沖縄戦ではアメリカ軍がDDTを使って成功したが、その後発がん性などが発見されて現在は禁止されている。ベトナム戦争では戦場を同様に管理しようとして枯葉剤を撒いた。ビルマで経験した防疫給水部員・井出貞一:戦後は寄生虫対策に貢献した。

      1944年、インドネシアの破傷風ワクチン開発で、事件が起きた。クレンデル収容所でコレラチフス赤痢用のワクチンを打たれた泰緬鉄道向け労務者が大量死した。症状は破傷風だった。474人が感染、364人死亡。ワクチン接種者を逮捕。その後、エイクマン研究所に逮捕者が出た。モホタルが細菌謀略を自供した。しかし、エイクマン研究所ではワクチンを作っていなかった。ワクチンはバンドンのパストゥール研究所で作られて、モホタルはそれを打つように依頼されていた。反日謀略のスケープゴートにされた。死刑にされた。本当は、破傷風ワクチンの試験を行ったのではないか?破傷風ワクチンではアメリカが先行していた。キニーネ代替薬と同様に、国主導で民間を巻き込んで開発していた。日本では破傷風に対する認識が国としてはなかった。陸軍と海軍が別々に開発していた。海軍は捕虜を使って実験をして戦犯となった。731部隊でも破傷風ワクチンの人体実験を行っていた。その人脈が南方軍にも引き継がれている。ペスト蚤が製造されていた。証拠は隠滅されて、戦後戻ってきたイギリス軍は気づかなかった。スカルノは日本に協力して労務者を手配していた。彼が大統領の間は公に追求することはできなかった。

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