2019.09.08
『タコの心身問題:頭足類から考える意識の起源』ピーター・ゴドフリー=スミス(みすず書房)
      6億年前から既に分かれていた脊椎動物と軟体動物。脊椎動物は中枢神経系を発達させて、脳による中央集権的なシステムを進化させたが、軟体動物の内の頭足類(タコ、イカ)はカンブリア紀で身につけた殻をその後失い、身体制御と餌の探索と捕食者対策(擬態)の為に分散的な神経系を発達させてきた(脳もあるが、それよりも各腕がかなり独立している)。人間とタコは共通点が多い。眼の構造が同じ、報酬と罰による学習能力、試行錯誤での学習能力、短期記憶と長期記憶の区別、新しいものへの好奇心。また、社会性でないにもかかわらず、他者(人間も含めて)を個人として区別できる能力があるのも不思議である。見かけが変わっても同一と判断する能力もある。タコは複雑な発色能力を持つが、その色を自分の眼では認識できない、というのも面白い。寿命は1〜2年なのに、神経系が過剰に発達していて(神経細胞数は犬に匹敵する)、いつもそれを持て余して遊んでいるように見える。この本はこのようなタコ・イカとの長期に亘る触れあいの記録であり、そこから、意識の起源のようなものまで考察していて、面白い。人間とは独立して進化した知性という意味で、正に宇宙人との出会いである。
<以下メモ>

2.動物の歴史
・単細胞生物→分裂した細胞が別れていかない状況→定住生活(海綿動物)→漂う幼生のまま定住しなくなる、あるいは →クシクラゲ類(薄い膜に覆われて海面を漂う)

・細胞間の協調(情報伝達、それを専業とするものとして神経細胞)が必要になる。
神経細胞:活動電位の変化+化学物質のやり取り、情報伝達が速い。遠くにある特定の細胞にも繋ぐ。しかし、エネルギーを消費する。
神経系の意義としては、感覚と運動を繋ぐ役割とする考え方「感覚−運動観」があるが、
それよりも、行動を生み出す機能が重要である。つまり、行動の為には多数の細胞が協調しなくてはならない。この細胞間の迅速な協調が神経細胞の重要な役割。「行動−調整観」

・最初の神経系はおそらく刺胞動物(クラゲ、イソギンチャク、サンゴ)類。

・カンブリア紀(54200万年前より)より前のエディアカラ紀(63500万年前より)の動物化石。海の中の沼地のようなところであまり動くこともなかった。キンベレラという(おそらく)神経系を持っていて、海底を這っているものもいた。まだ捕食の証拠はないので、平和な時代だった。神経系の役割は主に体内の細胞間の協調であった。微生物のマットは充分にあった。その内、そこに固着して生きて死ぬ動物が現れ、その死骸を餌にする動物が現れ、ついには生きた動物を餌にする動物が登場する。。。その典型が三葉虫(節足動物)。

・カンブリア紀には環境が一変し、捕食関係による急激な進化が起きる。眼の登場。
左右相称でない動物は例外的であるが、最も進化したものはハコクラゲである。20個の眼を持つ。大勢は左右相称構造を持った。移動能力が高い。
他の動物との関係においてその動物が進化していくようになった。重要なのは感覚器官、特に眼。神経系による素早い行動。それが可能なのは、節足動物、脊索動物、軟体動物の内の頭足類である。

・「行動−調整観」から「感覚−運動観」への神経系の役割推移が起きる。後者が重要となる。これらの神経系は元々は別系統だったという説もある。

・左右相称動物はエディアカラ紀には存在したが、目立たない。それが脊椎動物と無脊椎動物の二つに分岐したのが6億年前。

3.いたずらと創意工夫
・軟体動物はカンブリア紀に入ると身を守るための殻を持つようになる。最初は海底にへばりついていたが、やがて浮き上がる。殻の中に空気を貯めて浮く。やがて水を吹きだして推進力にするようになる。不要となった脚は触手となり餌を捉まえる。様々な頭足類が生まれたが、オウムガイだけが生き残った。恐竜時代の少し前、殻を小さくしたり吸収したりするものが現れた。イカは体内に少し残した。腕は10本。タコは完全に殻を無くした。腕は8本。

・一部の頭足類は神経細胞を増やしていった。マダコでは約5億個、これは犬に近い。タコの知性を脊椎動物と比較するのは難しい。神経細胞の多くは脳にではなく腕の中にある。学習能力は高いが学習速度が遅い。環境適応能力が高い。環境を理解し、人間を見分ける。遊ぶ。

・知性のタイプとして、節足動物が高度な社会性に特徴を持つのに対して、頭足類の知性は個人的である。脊椎動物はその中間。

・脊椎動物の神経系が脊索を介した中央集権型とすれば、無脊椎動物では多数の神経節のネットワークであり、はしご状と言われる。頭足類では前部に神経がある程度集中して、脳のようになっている。その真ん中に食道が通る。腕には脳の2倍の神経があり、それぞれが感覚器と運動系を持ち、独立して動けるが、脳を介した中央制御になることもある。

・タコの過剰とも思える神経数は社会性の為ではなく、捕食者としての行動の為である。タコの餌は食べるためにかなりな作業と工夫を要する。好奇心が旺盛で冒険好きである。もう一つの要因は、軟体で分岐性の為に、身体制御に多くの情報処理を必要とする、ということだろう。その過剰な能力が問題解決にも役立つ、という事である。

・人間とタコは進化の早い段階で別れたにも関わらず共通点が多い。眼の構造が同じ、報酬と罰による学習能力、試行錯誤での学習能力、短期記憶と長期記憶の区別、新しいものへの好奇心。社会性でないにもかかわらず、他者(人間も含めて)を個人として区別できる能力があるのも不思議である。見かけが変わっても同一と判断する能力もある。

・身体化された認知理論:身体の構造それ自体が記憶である。身体構造は制約であると同時に可能性である。この理論をタコに適用するのは難しい。脳と身体の区別が最初から無いからである。

4.ホワイトノイズから意識へ
・意識ではなく主体的に感じる能力として考える。

・感覚と行動は影響しあう。このフィードバックは深い処に影響している。視覚代行器からの情報から対象への実感を主観として受け取るには、使用者がそのカメラを操作できる場合に限られる。つまり『能動性』が必要である。魚の中には電気パルスをコミュニケーションに使う種類がある。受け取る電気パルスが自分の発したものか他者の発したものかを区別する為に、電気パルスと発する時には必ず自分の感覚器にも送って、打ち消す。ミミズの移動においても、自らの作り出した触感は自ら打ち消す事によって、前に進める。知覚の恒常性もやはり打ち消しによる。

・脳による感覚の統合はいつも為されているわけではない。鳩では右目と左目の情報が統合されていない。タコはある程度各足の統合ができるが遅い。

・視覚の情報処理には下の方(腹側)の経路と上側(背側)の経路があり、前者が事物の分類と認識、後者が空間的指示に関わる。腹側が損傷すると外界の認識ができないが、背側が残っていればそれでも無意識に物を扱ったり避けたりできる。カエルの左右視神経系を繋ぎかえると獲物に対する動作が左右逆転するが、目の前の障害物は巧く避ける。統一された外界のモデルというものは存在しなくても生きていける、ということである。他方、主観的経験の基礎となるのは脳内に作られる外界の統一的モデルである。一秒以内の継起情報は脳を学習させて無意識下での反応として定着する。それ以上離れていると意識が介入する。意識に上るのは脳内のワークスペースにある短期記憶である。ただ、痛みのような感覚は多くの動物が主観的経験として持つと思われる。昆虫類を除けば、痛みを緩和する方向に行動するからである。単純な形態の主観的経験が神経系が複雑化するに従って変化していったのではないだろうか?初期の経験はホワイトノイズのようなもので、それが秩序立ってきた。主観的経験は通常の活動を外れた処から生じた。

・タコの神経系は中央集権的ではないから、自己と他者の区別は人間程明確ではないだろう。しかし、程度の差異はあるにせよ、人間にも境界の曖昧さはある。行動の多くの部分は無意識の調整で完遂される。身体化された知。

5.色をつくる
・頭足類の発色機構:表皮の下に色素胞があり、筋肉で囲まれる。細胞が引き延ばされると色が可視化される。その下には反射細胞があり、その中には様々な結晶を含む細胞があり、その干渉効果によって、反射光の色を変える。これは神経系ではなく化学シグナルによって制御される。その下には白色の反射専用の細胞がある。

・ジャイアント・カトルフィッシュはコウイカの一種で、もっとも色の変化を示す。個体毎にかなりな個性がある。

・頭足類の眼は色を見分けることができない。皮膚に色覚機能と色制御機能がある。ただ、その色覚も一種類なので、直接色に反応するわけではないが、周囲の発色細胞の制御を受けることで、実質的に色に反応できるのかもしれない。いずれにしもこれらの情報は脳とは繋がっていない。

・発色の進化的理由は、擬態だろう。しかしそれはコミュニケーションの手段ともなった。威嚇にも使われる。しかし、何の目的もなさそうなのに、単なる身体あるいは脳内環境の変化で受動的に引き起こされる色変化もある。それは周囲の眼に止まってしまうので、小さな頭足類にとっては不利となるが、巨大イカにとっては問題とならない、ということかもしれない。

・野生のヒヒとの比較『ヒヒの形而上学』(チェニー&セイファース)。3,4種類のコールを使うだけだが、その個体差によって、社会的情報を伝達している。情報の送り手は単純だが、受け取る側が複雑に解釈する。ヒヒは極めて社会性の高い動物だからである。頭足類はこの逆である。擬態の必要性から身につけた複雑な情報を出しながらも、それを解釈する側は単純に受け取る。アメリカアオリイカは合計で30種類の儀式的なディスプレイを持ち、その組み合わせに多数のパターンがある。しかし、その意味は誰にも判らない。

6.ヒトの心と他の動物の心
・言語が思考の為の重要な道具であることは間違いない。そして、内なる声はただ泡のように無意味に湧いてくるわけではない。しかし、秩序だった思考をするのに言語が絶対に必要だどまでは言えない。ヒヒの例、鳥類、チンパンジー、さらに無文字社会における聾者、失語症患者。ただし、選言三段論法などは言葉なしでは出来ない。

・遠心性コピー:自分の行動によって変化する知覚を予め予想する。外界の恒常性の維持に必要である。話す時、遠心性コピーは実際に話したことと話そうと思っていた事の比較を可能にする。実際に話さなければ、内面でのみ話していることになる。ヴィゴツキーは内なる声の機能として、行動の順序を正しくしたり、トップダウン的に自分を律したり、思考実験の媒体となったり、できると考えた。ダニエル・カーネマンのシステム2思考。内なる声と実際の声は同じように脳内で扱われるから、しばしば混同される。ワーキング・メモリーは「音韻ループ」と「視空間スケッチパッド」「これらの活動を制御する中央実行系」から成る。

・バーナード・バーズ「グローバルワークスペース理論」。人間の主観的経験は一つに統合されている。慣れない状況に置かれた時や、何か新しい行動を取る必要が生じた時に、意識して考える。大局的な観点が得られる。人間において発達しているものが「高次思考」:自分の思考についての思考。
・進化的には、第一の内面化は細胞間が情報をやり取りし合う事で、第二の内面化が内なる言語である。どちらも、外界の生物とのコミュニケーション手段だったものが、内部に転用されている。

・エーリッヒ・ホルストとホルスト・ミッテルシュテット。遠心性、求心性、外因求心性情報と再求心性情報(自らの行動による外界の変化の知覚)、後者を判断するために遠心性コピーが使われる。再求心性情報により、自らの知覚に情報を供給するために行動を利用できる。例は、書き言葉。外部記憶を作ることに相当する。内面的言語もこのような外部記憶も人間の心を複雑にするループであるが、頭足類にはその仕組みが欠けていると思われる。

7.圧縮された経験
・オウムガイは20年も生きるが、頭足類の寿命はわずか1〜2年である。一体何の為の知能なのか?

・ピーター・メダワーによる「老化」の考え。相当長い年月生きた場合に悪い影響を与える遺伝子があるとすれば、その遺伝子は次世代に引き継がれる可能性が高い。その顕在が老化現象として見えるだけである。樹木の場合は老齢においても子孫を残せるためにこういう選択圧が働きにくいが、動物の場合は若い時にしか子孫を残せない。

・大人になったら食べられる危険性がなくなるというのであれば、生涯に亘って生殖する戦略が可能であるが、大部分が食べられてしまうのであれば、若いときに一度だけ生殖活動に専念する方が良い。頭足類は後者に属する。殻を失って身体の制御が難しくなり、しかも天敵に狙われやすい身体で捕食者としても活動しなくてはならない、という矛盾を解決する為に神経系が発達した。実際、捕食者の少ない深海には長寿のタコが居る。

8.オクトポリス
・オーストラリアの東にあるタコの生息地。最初は何か隠れ家になるものが沈んできたのだろうが、タコは餌として好むホタテガイを持ち込むから、その殻が蓄積し、巣穴を作りやすい環境となり、多くのタコが集まる場所になった。一種の社会性すら芽生え始めているように思える。

・タコ、コウイカ、ツツイカの共通子孫は27000年前(ペルム紀)である。タコの神経系を形成する(神経細胞同士を接着させる)物質は、人間の場合のプロトカドヘリンと似た物質である。これはタコとイカが分岐した後に個別に多様化した。

・記憶は「エピソード記憶」「手続き記憶」「意味記憶」に別れる。鳥類とイカはエピソード記憶を持つ。

・知性は並行進化した。全ては海の中で起きた。

・海の変化は見えにくい。乱獲や酸性化の問題。

・同様にミツバチのコロニーも長い間ストレスに耐えていたが、最近崩壊が始まった。
 
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