2019.09.03
『ゴリラの森、言葉の海』山際寿一、小川洋子(新潮社)
      対談なのでさらさらと読める。ゴリラと比較すると人間の特異性がよく判る。メモを取りながら読んだ。言語を獲得した人間の功罪が主題のようである。まあ、良く言われていることではあるが。

<以下メモ>

I.ゴリラとヒトが分かち合う物語
・野生ではゴリラが人間を馴らしてくれる。一人になったゴリラは歌を歌って自らを慰める。

・皆で食べている時はハミングをする。ゴリラは小動物と遊ぶ。笑って、遊びに誘う。

・ゴリラの社会性−仲裁を必要とする。お父さんが仲裁のやり方を教える。お母さんは早い段階で子供をお父さんに預ける。雄が子育てをする。子供に信頼されることがオスの条件である。

・歌舞伎の見得も相撲の仕切りもゴリラのドラミングディスプレイである。

・人間の目は横長で白目があるから、心の動きが読める。対面して見つめ合う事が第一義的なコミュニケーションである。言葉は間を持たせるために生まれた。人間は本当のことが判らなくても合意して共存することができる。言葉は法則性を見つけるのに役立つが、本当は違うものまでも同じものにしてしまう。言葉による置き換えによって失うものがある。

II.ゴリラの背中で語り合う
・オスもメスも経験を積むことで親になっていく。それが近親相姦を防ぐ。近親相姦禁止はゼロタイプの制度である。自然から文化に移行する制度。互酬性の根本的な仕組み。それによって子供がパートナーを見つけることができる。人間は家族を超えた社会を作るために、近親相姦の範囲を広げた。

・サバンナに進出すると母子を安全な処に居させて男が食糧を運ぶようになった。これが二足歩行の起源。子供を失う危険性の為に、妊娠頻度が増えた(ゴリラは4年に一度)。乳離れが早くなるから、離乳食を必要とする。頭が大きくなったので早産になった。産後に脳が発達し、思春期に至って身体が発達する。思春期の身体の発達は女が早い。いち早くパートナーを見つける為。男は身体の生長が遅い。社会的技能を身につける為。成人の儀式がある。

・類人猿では(オランウータンを除き)メスの単独生活が無い。メスはオスの協力無しでは子供を育てられない。血縁関係の無い社会でも社会的適応ができる。

・戦争は類人猿から引き継いだ本能ではなく、言葉の力である。他者を判断するのに比喩が使えるから、敵と味方に分類できる。(トーテムでは仲間をまとめるのに使う。)言葉は信頼を担保しない。接触や行為の方が信頼に役立つ。死者を利用するようになったことも戦争の一因である。農耕生活が始まると土地に価値が生じる。墓を作る。共感能力も戦争の一因となる。武器は単なる道具である。武器を作る専門家が科学者である。武器は作ると使ってみたくなる。比喩を使うと無限に新しいものを作り出すことが出来る。歴史が積み重なり、後戻りができなくなる。アイデンティティも言葉の為せる技であって、これも際限の無い暴力の一因。子供を殺されたゴリラの母親は殺した雄に付いて行く。過去が自らを規定しないから。命を捧げることで生き残る人達の心に内に生きようとするのは言葉のなせる業。人間はゴリラやチンパンジーのように強くなかったから森から追い出された。人間は食べるとき集まる、性交を隠れてやる、これは類人猿とは逆。社会性を重視するためである。人間は赤ちゃんを抱きっぱなしにしない。あやす為に音楽が生まれた。

III.ゴリラとヒトの間で遊ぶ
・信頼関係にとって一緒に居るということが決定的である。類人猿では一時的な不在が致命的となる。人間は男が食糧を探しにいって留守の間、言葉によってその留守を埋めた。噂話こそが言語の起源である。家族とは毎日一緒にご飯を食べる相手である。

・書き言葉は時間を超えるから修正が効かない。会話、言葉の本来の役割は、正確さではなくて、曖昧さ、嘘の共有、認めあうことである。

IV.屋久島の原生林へ−メモ無し。
 
<目次へ>  <一つ前へ>    <次へ>