2024.09.29
以前 竹内啓氏の論文を読んだのだが、それを結論部分として、それまでの関係する論文を集めたものが書物になっているので、それを読んだ。俯瞰的で冷静な現代史のまとめになっていて、なるほどと思わせる。紙幅の制限もあってか充分に実証的とは言い難いと思うが、僕には批判的に読む程の見識が無いので、読書メモをそのままここに転記することにした。僕が学生の頃と比較して、マルクス主義に対する考え方や、民族主義の捉え方や、環境問題についての視点が新しいのではないかと思うし、首肯できるように思う。
『現代史への視座』 竹内啓 (2007年)
序章 「国際学」とは何か
---序にかえて---
・「国際学」とは何か
国家間、民族間の関係における「あるべき姿」を求める、つまり「理念」が伴うが、
冷静な事実関係の分析に基づくべきである。
・「日本」の戦争責任
「大日本帝国」の戦争における国際法上の違法行為に対する責任。
対国家と対個人があり、それぞれに、国家が主体であったものも個人が主体であったものもある。
国家指導者の責任を問うべき主体は日本国民である筈だが、それが問われていない。
責任の所在が日本民族である、というのは言い過ぎであるが、一般国民一人一人にも責任はあった。
しかし、「民族」は主体的存在ではない。
・「世界学」の必要性
人類社会を全体として把握して、その変化と発展を明らかにする。
単なる諸学の統合ではなく、世界学としての観点が必要となる。
・地球環境問題との関連
地球をそれ自体一つの個性を持つものとして把握して、その特性、構造、歴史を明らかにする。
人類社会というものを一体として把握して、その構造と発展の論理を理解する。
という二つの要請がある。後者は「世界学」の課題である。
第1章 ドラマとしての20世紀の歴史 I -第二次大戦終結までー
・ドラマ「20世紀の歴史」
・第一次世界大戦
国家の存亡を賭けた全体戦争になるとは誰も予想していなかった。
思いのほか長引いて、各国は戦争の「大義名分」を示す必要に迫られ、それがまた泥沼に引きずりこんだ。
アメリカの参戦で決着し、戦後、アメリカと日本が戦争景気の恩恵を得た。
ロシアでは革命が起き、ドイツは巨額の賠償金を科された。
ヨーロッパにとっては無意味な戦争であったが、その外の世界にとっては「自由」への大きな転機となった。
・非ヨーロッパ諸国の観点
非ヨーロッパ諸国の人々は被害者、あるいは英雄的な抵抗者なのか?
西欧近代文明が普遍的な力を持つと認めたうえで、それを自分のものにしようとした。
西洋化は物まねに過ぎないとか、良き伝統を忘れているとか、の批判に対しては、
主体的な自己変革の過程であった、と答える。
(中世ヨーロッパも、外来のキリスト教を自らのものとして築かれたのである。)
新旧文明の衝突ということは起きていない。あるのは近代文明を目指した勢力争いである。
第一次大戦は植民地支配者の力を削ぐことで各国の近代化を推し進めたのである。
20世紀を要約すると、 「西欧帝国主義の凋落と西欧近代文明の世界的普及」
1911年の辛亥革命がその始まりである。
・ロシア革命の意義
ロシア革命は「社会主義革命」としては時期尚早であったし、それが生き延びることも無理であった。
帝政の転覆には必然性があったが、十月革命の成功は偶然であった。
レーニンは政治の技術を駆使して革命の延命に成功した。党の独裁によって。
マルクスの論理を逆転させて、ソ連は生き延びたが、多くの負の遺産を残した。
・「反事実的歴史」
ボルシェヴィキの政権奪取が成功しなかったとすると、ロシアはワイマール体制類似な国家となっただろう。
平和的秩序が維持されて、ムッソリーニもヒトラーも出現せず、大不況が続けば「社会主義革命」が起きたかもしれない。
社会主義ヨーロッパと資本主義アメリカとの対立に至ったかもしれない。
・第1幕第3場「大不況」
1929年に始まる大不況はナチスの台頭の主要因である。
ソ連の工業化5ヵ年計画は、農業集団化や大粛清が知られていなかった為に、世界に「希望」を与えた。
第2次大戦は必然であったが、ドイツ対ソ連の可能性もあった。
その場合次にはヨーロッパ大陸対アメリカの戦争となったであろう。
不況への政策責任
(ケインズ流)財政支出を控えたために景気の悪循環を起こした
(マネタリスト)金本位制の復活により貨幣数量が不足してデフレスパイラルとなった
アメリカはケインズ流の対策を採ったが、間に合わなかった
ドイツは社会資本(アウトバーン)と再軍備によって景気を刺激して成功した。
日本は軍備増強で成功した。
不況の最終的解決として第二次世界大戦があった。
・第一次世界大戦と民主化
第一次世界大戦は総力戦となってしまった為に、一般大衆の協力を得る為に民主化が進んだ。
大戦後は大企業の形成が進み、サラリーマン層、中間層が形成されて、大衆社会となった。
・20世紀前半における非ヨーロッパ諸国
中国:辛亥革命→軍閥抗争→南京政府(1928)→国共分裂→日本の侵略→中華人民共和国
南米:アメリカの介入、特権階級、軍部の複雑な連携抗争
インド、ベトナム、インドネシア:独立運動
オスマントルコ:非宗教的国家による西欧化
西欧的な意味での「民族」意識の形成は(日本と朝鮮とタイを除けば)植民地支配の結果であった。
インドにおいては国民会議派が「民族」を発明した。
中国での民族意識は王朝の力が絶大の時は「中華」の意識に抑え込まれていたが、
元に圧迫された宋の時代に中華文明の保持者としての漢民族意識が芽生えた。
清朝が西欧に圧迫されてくると、「滅満興漢」が叫ばれ、孫文は「三民主義」の一つとして民族主義を挙げた。
・日本の帝国主義
黒船来航(1853年)、アヘン戦争(1840-42年)に危機感→明治維新、王政復古、文明開化、富国強兵。
日清戦争(1894-95年)で自信を付け、義和団事件(1990年)に介入して、帝国主義国の仲間となった。
日英同盟(1902年)→日露戦争(1904-05年)で幸運にも勝利→韓国併合(1910年)→満州進出(1931年)。
日中戦争(1937年)、南方進出→対米英開戦(1941年)に至る。
中国の民族主義的反発を生み、フィリピンから東南アジアへの進出についてはアメリカと権益が衝突した。
反事実的仮定
・・日露戦争を始めなかったら
その後のロシアの国内事情を見れば、戦争は不要だったが、
当時の国際情勢としては、米英から期待されていたし、アジア諸国も国内世論もそれを期待していた。
・・日露戦争に負けていたら
ロシアの戦略のミスがなければ負けていた可能性が高いが、賠償金を取られるくらいの損失だった。
・・韓国と満州の支配を放棄していたら
日露戦争に勝ってしまった以上、放棄することはあり得なかった。
大きな問題は未熟な植民地統治のやり方にあった。
西洋への劣等感とアジアへの優越感が根底にあった。
第一次世界大戦は(ドイツとは逆に)日本にとって漁夫の利であった。
帝国主義の否定や民主主義の推進という世界的潮流から大正デモクラシーとなったが、
関東大震災(1923年)を契機に経済的困難と社会不安と政治腐敗が広がり、軍部が台頭した。
領土と資源を求めてアジア大陸への進出。アジアを白人から解放するという名目を立てた。
中国・満州からの撤退は国内世論が許さなかったから、ドイツと同盟を結んでアメリカとの無謀な開戦となった。
軍部の大陸侵略をその場しのぎの政治が追認して、ついに自滅したと言える。
・非ヨーロッパの「近代化」と共産主義
後進国や植民地において、自由主義は帝国主義国のイデオロギーであり、
社会の近代化が遅れた国ほど、反体制派への共産主義の影響が大きかった。
マルクス主義は帝国主義の本質を解明して指針を与えたのであるが、
運動自身は民族主義であり、とりわけ国際主義の要素を欠いていた。
日本においては、共産主義的講座派と社会民主主義的講座派が社会思想を支配した。
ソ連はコミンテルンによって各国の民族解放運動に介入して反ソ連合の弱体化を図った。
ソ連内部では、中央アジア、シベリア、コーカサス地方はロシア地区の「植民地」して機能した。
しかし、ロシアを帝国主義と言い切ることはできない。
法律上も人脈上もソ連内部での扱いは平等であったし、ソ連内部の近代化を推進した。
ソ連解体後の中央アジア、シベリア、コーカサス地方は改めて自ら「近代化」の課題に立ち向かうことになった。
・「極端な時代」?
戦争、革命、科学技術の発展、破壊と殺戮の時代。世界中が巻き込まれた。
しかし、史上最悪とは言えない。人口増加率は最大だった。
戦争による死者は、第一次大戦で1000万人、第二次大戦で2500万人、19世紀全体でも十数万人である。
ユダヤ人殺戮が600万人、抗日戦争の死者が1000万人、民間で3000万人、日本側は軍と民間で300万人。
中国では太平天国の乱で8000万人~1億人。一般的に中国では王朝交代時に人口の30~50%が亡くなる。
モンゴルの世界征服では記録が無いが、空前絶後であった。
殺りく兵器の進歩も著しかったが、同時に運輸通信医療技術の進歩も著しかった。
何よりも、情報技術の進歩が著しく、惨禍の衆知技術が著しく進歩した。
・第二次世界大戦の終結から冷戦へ
善玉悪玉が明確で、「民主主義」「自由」「民族の解放」が世界共通の理念となった。
それらがたとえフィクションであるにしても、公的に受け入れたということを忘れてはならない。
第2章 ドラマとしての20世紀の歴史 II
--- 冷戦とその終結 ---
・20世紀の第2期「冷戦」
・・アメリカはヨーロッパ諸国の植民地支配を容認しなかったので、多くの独立国が誕生した。
また、敗戦国を経済復興させた。安全な投資先と市場の確保として活用。
帝国主義ではなく覇権主義を目指した。
・・ソ連は世界革命(トロツキー)よりもソ連圏の確保(1国社会主義、スターリン)、
古典的な「強国」を目指した。
東ヨーロッパ各国の共産化(緩衝地帯)と中央アジア地域の支配(資源)。これも覇権主義。
本来的にはユーラシア大陸全体の経済圏が成立すべきだった(モンゴル帝国の再現?)。
しかし、ソ連は軍事負担と統制経済の失敗で内部崩壊。中国を巻き込めなかったことが大きい。
・冷戦と非ヨーロッパ諸国
・・多くの開発途上国において、近代化の運動が共産主義運動の一環と見なされて、
アメリカの支援による旧体制勢力に弾圧された。
(アメリカもまたソ連と同じく周辺国を自国の勢力圏として利用しようとした。)
・・各国それぞれの「近代化」。
イランにおけるシーア派原理主義の復活は、ソ連やアメリカの支配への抵抗から生じた。
日本は冷戦期に軍事負担を殆ど負わず、経済大国と目されるようになった。
・中国の文化大革命(1966-76年)
・・ソ連における農業集団化の失敗はスターリンの素早い対応(粛清)によって政治課題にならなかったが、
中国における同様の失敗に対する毛沢東の対応は、
政権を譲った劉少奇への大衆扇動による粛清(宗教的疑似農民運動)として歴史に汚点を残した。
・・中国における伝統的支配構造(地主=官僚=知識階級による農民支配)は
農民反乱によって支配者を変えながら続いてきたが、
農民自身による政権は未だに実現していない。
毛沢東が夢見たのはそれであるが、ソ連と同様に、それは無理であった。
・・結局の処、中国の共産化とは、ヨーロッパと日本からの外圧に抗して自己改造した地主=官僚=知識階級による近代化であった。
文化大革命は反近代、反文明運動であったが故に失敗して、中国に20年の停滞を齎した。
・冷戦の終結(1989年)
・・大陸ヨーロッパ国家としての EU 成立。。。
海洋国家イギリスがそれに加わるのか?という問題
ロシアがユーラシア大陸を棄ててそれに加わるのか?という問題
(いずれも否定的結果となっている。)
・・中国共産党による国内の過酷な資本主義経済体制。
清朝末期の改革失敗→辛亥革命→袁世凱の帝政→軍閥間抗争→国民党の北伐→国共内戦→抗日戦争
→人民共和国→文化大革命→改革開放政策という一連の歴史は「近代化」への紆余曲折であった。
(アメリカは中国の経済を支援した。ニクソン訪中1972年。ここが対ソ連と大きく異なる。)
・・日本は冷戦による戦争景気が終わったことに対応できなかった。
アメリカが情報技術を軍需から内需へと転用し、金融経済に転換したことに日本は対応できなかった。
・・イスラム諸国における民主主義への不満とイスラム原理主義の台頭。
・・インドではカースト制度と近代文明と民主主義が共存している。
・・ラテンアメリカ:冷戦中はアメリカが反共政権を保護したが、
冷戦終結後はその必要がなくなり、民主化が進んだ。
・・アフリカ:冷戦終結によりアメリカの関与が無くなって、部族対立が激化。
・20世紀の生み出した成果
・・科学技術の進歩、物理学、分子生物学、情報技術。生産技術、医学。。。
・・人口は4倍、一人当たり生産力(GDP)は3倍。人権意識も向上。
・・情報通信の飛躍的な発展によって、人々は世界中の悲劇を知るようになり、
地震、感染症、戦争の悲劇への感受性が高くなった。(災害規模が大きくなったわけではない。)
・・生活、文化は大衆化、西欧化した。
・非ヨーロッパ諸国の近代化
・・西欧文明はもはや白色西洋人種だけのものではなくなった。
・近代文明と自然の制約
18世紀のマルサス人口論は産業革命で否定された。
1972年、ローマクラブ『成長の限界』で再登場(2020-30年には限界に達する)。
最近では CO2排出増加による地球温暖化。
地球上の人口全体で先進国並みの生活水準に達することはできない。
・・マルサス主義はしばしば先進国の人々の被害妄想を背景にしている。
科学技術と市場経済は自動的にマルサス問題を解決するものではないが、
かといって、遠い未来を予測して悲観的になるのは間違いである。
(現実的には富は極めて偏って分配されているので、総体のみを論ずることには陥穽が伴う。
富める人達は子孫を残さないから、総体として限界があれば、貧富が入れ替わって調整されるだけである。)
・21世紀の開幕
9.11 が(サラエボ皇太子暗殺事件のように)大事件であったとすれば、
それはアメリカの過剰な反応に由来する。
テロ対策を「戦争」と位置付けて、やみくもに軍事力を行使した為に、
中東から中央アジアにかけて不安定な政治情勢を引き起こした。
日本の占領下での民主化とは状況が大きく異なっていた。
(中東地域は規模が大きくて占領ができない、社会的な基盤がまだ無い。)
・アメリカの覇権主義
アメリカの強大な軍事力行使を抑制するものは何か?
冷戦時代はソ連との核戦争への恐怖であった。
対テロ戦争に対しての国民の抑制力は期待できない。
軍事費増大については同盟国への肩代わりが行われるだろう。
しかし、経済力という意味ではアメリカの比率はそれほどでもない。
・・テロリズムはイスラム世界の近代化の過程における歪から生じているもので、
歴史の大筋に影響を与えるものではない。
・近代化の発展とその障害
中国、インド、東南アジア近代化の大きな課題は、農民の近代化への取り込みである。
先進国における農民の取り込みは都市化であり、事実上の農村消滅であったが、それは不可能だろう。
農村の民主化を阻害している要素は農村における地主などの利益集団であるが、
国内の権力者や国外資本はしばしばそれと結びついている。
・政教分離の必要性
・・近代化に政教分離は必須であるが、イスラム圏での政教分離は困難なように思える。
なお、イスラエルの近代化は例外である。
・・アフリカは植民地時代の恣意的な境界線によって民族的なまとまりによる近代国家形成が困難となっている。
広範な多民族連合国家が望まれる。
・「西欧文明」の普遍性
実用的普遍性と価値的普遍性。これらを区別する(ex.和魂洋才)ことはいずれ矛盾を来す。
「人権、自由、科学的合理性」を価値的普遍性として認めても良いのではないか?
ただし、行き過ぎには注意しなくてはならない。
・現在の日本の抱える問題
・・平成不況(1992年来)への諸策はいずれも功を奏さず。
企業は希望を見失っている。
・・人口の減少が最大の問題である。
人間は単なる生産手段ではないし消費者でもない。伝統や文化を体現する実体である。
移民で補えばよいというものではない。
人口が減少することは最も重要な社会的ストックの食いつぶしである。
人口の減少は近代化された国家に共通している。
これは近代化そのものの本来的な属性なのかもしれない。
そうだとすれば、過度の近代化は種の保存に反していることになる。
(子供を経済学的にどう位置付けるのか?)
・今後の日本の展望
21世紀の世界は、北アメリカ、ヨーロッパ(ロシアを含む?)、東アジアの3極構造となるだろう。
(南アメリカ、アフリカ、中東、インド が取り残される?)
日本は日米同盟強化の方向に進むべきか?
しかし、中国の実力を侮ってはならない。
アメリカは中国をパートナーとして選ぶかもしれない。
日本は東アジア地域の国々とも対立せず、むしろ米中の仲介役となるべきである。
第3章 21世紀世界システムの展望
・はじめに
社会主義の消滅とアメリカ準帝国主義の消滅により、万能市場主義(合理主義)が世界を席巻するか?
対置されるのは、非合理主義:
民族主義、人種主義(多数派と少数派)、宗教的原理主義、オカルティズム、戦闘的フェミニズム。
後者は対置されるべきものではなくて、市場主義(合理主義)システム自身の矛盾(危機)の顕れである。
・世界貨幣の問題
市場の存在条件として、世界的な貨幣と社会的秩序が必要である。
1国による管理貨幣(ドル)で代替されている以上、国際的な協力関係が必須である。G7で充分か?
世界的な社会秩序(所有権と契約上の権利義務の保証)の維持のためには覇権国家と諸国家間合意が必要。
アメリカの弱体化によって、これらの条件が崩れつつある。
・生産力の重心の移動
従来の西欧諸国の4倍の人口を持つ、東アジア、東南アジア、南アジア諸国が工業化されてくる。
近代世界システムは海洋システムであったが、これに大陸システムの要素が加わる。
・巨大国の成長(中国)
国の人口規模が小さいと労働力が小さく、国内に一貫した産業構造を築くこと困難であるから、
交易型の経済構造となり、
逆に人口規模が大きいと工業国家として輸出一辺倒となることに限界がある。
生産過剰となることに加えて、国内の一次産業を無視できないからである。
中国は人口が巨大であり、現在は工業生産過剰となっている一方で、
農村部の所得が低く、労働収奪が起きている。
・いくつかの可能性(中国)
1.中国にとって望ましい方向は、経済発展を沿海部から内陸部へと拡大し、
世界システムからある程度独立した内需主導の国内循環システムを作り出すことである。
2.もう一つの方向性としては、国内各地域が独自の経済圏を作って共存することである。
3.輸出主導型の方向に進むならば、経済発展はするだろうが、国内の格差が広がり、
輸出によって得た利益は海外からの投資への償還や利払いとして流出する。
つまり、世界的な資本主義システムに組み込まれる。
過剰生産と国内の賃金格差が世界経済に大きな影響を与える。
4.経済成長が止まる。
・社会的不安定の増大(中国)
所得格差の増大による反体制運動が抑圧されるならば、爆発する可能性がある。
契機としては、極端な政策的誤り、自然的要因、外部的社会的要因が考えられる。
中国の混乱は世界システムに甚大な影響を与える。
・中核-周辺関係
資本主義の発展は周辺を必要とし、それを作り出す場合もある。
20世紀には先進国において農業従事者比率は5%を切ってしまった。
中進国、後進国もそれに続くだろう。
21世紀においては、それまでの一次産業(辺境)と二次産業(中核)という構造から、
一次産業と二次産業(辺境)と金融と情報産業(中核)という3層構造になる。
生産性が向上すれば、労働力が過剰となる。
・自然の制約
地球資源・環境による制約はこれからも科学技術によって克服されるであろうが、
唯一必須なものはエネルギーである。
エネルギーの流れをいかにコントロールするかが課題である。
ただし、自然の制約が直接危機をもたらすものではない。
・市場の論理の限界
労働力、資本ストック(過去の労働の蓄積)、自然(資源・環境)の3要素が世界を支えている。
資本主義経済の論理は資本ストックの拡大のみである。労働力と自然は外部に依存している。
更に、資本概念は抽象化されて、計算機の中に記録される「マネー」となってしまった。
開発途上国の過剰人口と先進国の高齢化、情報技術による労働力の余剰化。
世界的な過剰生産不況。金融危機。自然災害。
・21世紀の世界政治
資本主義経済に孕まれる矛盾の顕在化は政治的変動をもたらし、経済的な構造変化を誘起する。
例:1929年の金融恐慌から大不況→政治対立→第一次世界大戦→ヴェルサイユ条約→第二次世界大戦
結末が米ソ対立で終わったのは偶然であった。英独連合対ソ連という図式も可能だった。
冷戦の終結は不完全であり、アメリカは覇権的地位から降りてしまい、力の空白が生じている。
中国やインドが経済力をつければ、大きな政治的影響を持つが、
前近代的な社会システムを残したままでは、限界がある。
ヨーロッパの統合が進んで3憶の人口を持つ巨大な勢力となる可能性は少ない。
ロシアも経済的困難を切り抜けられない。
・もう一つのシステムのあり方-全世界的封建制
ユーラシア大陸の比重の増大、ユーラシア大陸システムの再興があるかもしれない。
世界システムを構成する政治的単位の多様性を考えると、それらを超越する権威が秩序維持に必要。
超越的権威は政治的権力を持たない。政治的単位の分裂は経済的交流を失わない。
市場の力-政治の力-超越的権威の共存で秩序が維持される世界
第4章 20世紀の歴史とマルクス主義の理念
下記の本の紹介文である。ここではワリツキーの主張は無視して竹内氏の主張をまとめる。
Andrzej Walicki, Marxism and the Leap to the Kingdom of Freedom
―The Rise and Fall of the Communist Utopia (1997)
アンジェイ・ワリツキー著『マルクス主義と自由の王国への跳躍―共産主義ユートピアの興亡―』
・マルクス主義は「誤った思想」か
一つの「イデオロギー」として、人々の倫理的関心に呼び掛けた事が重要。
粗野な「史的唯物論(必然法則)」でもなく、「現実主義的政治学」でもない。
「正しい思想」でもなく「誤ったドグマ」でもない。
思想としての内部構造とその実践を問題とすべきである。
ワリツキーの書はそれを語っている。
・「イデオクラシー(イデオロギーに拠る政治)」
マルクスからゴルバチェフまでを一つのイデオロギーの流れとして「自由」の概念から捉えた著作。
ソ連崩壊後の対立する潮流( マルクス主義の全面否定 or 初期マルクスへの傾倒)とは一線を画する。
ソ連は基本的に「共産主義ユートピア思想」を統合原理とした政治運動であったが、
1.人々はそれを信用しなくなり、
2.やがて支配者自身も信用しなくなり、
3.その帰結としての政治体制そのものの有効性を信じなくなった。
科学技術革新から取り残されてしまったことが主要因である。
イデオクラシーは社会の上部構造による下部構造の支配であり、そもそも唯物史観に矛盾していた。
・マルクスの中の「ユートピア主義」
マルクスの「自由」とは、人間が自然や社会関係の力から解放されることである。
1.古典的自由主義(契約の自由)を否定、
2.自然法則や社会法則(史的唯物論)に依拠し、
3.個人としてではなく、種としての人類の私有財産と市場経済からの解放を課題とする。
4.史的唯物論に従って人類が「自由」となることは必然である。
客観的科学的であろうとしながらも、主観的革命的であろうとする矛盾
労働者階級の解放を目指しながらも、権力獲得と保持のために策を弄する矛盾
・・個人の自由や個人の権利を軽視する
・・市場経済と貨幣への敵視→恣意的指令経済体制を生み出す
これらは、初期マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンに共通している。
『市場関係は人間関係に疎外をもたらすが、同時に封建的関係からの解放ももたらし、
生産性を上げて人間を自然から解放する、その段階において計画的生産に置き換える。
人間は強いられた労働から解放されて、勝手気ままに生きることができる。』
ユートピアの実現が絶対的な目的とされると、手段やプロセスがディストピアを作り出す。
・「科学的社会主義」
エンゲルス批判:弁証法を客観法則として扱い、実践の主体としての人間が無視される。
マルクス、エンゲルス批判:西洋(ドイツ)民族第一主義、
(ポーランド以外の東欧諸国とアジア諸国は「非歴史的」で滅亡すると考えた。)
・・マルクス主義は民族問題をうまく扱えない。
啓蒙主義的合理主義の伝統からは、民族主義のような非合理な情熱が把握できない。
全ての民族を「歴史的民族」として認めてしまえば、民族紛争が頻発する。
本来、民族の歴史性を認めることが問題である。プロレタリアートは祖国を持たない。
・エンゲルスの「進歩史観」
「自由」と「進歩」
=人間が客観的法則性を認識し、集団として主体的にそれを利用するようになること
独占資本の延長上に社会主義がある。
暴力よりも議会多数派工作の方が合理的である。
修正主義や社会福祉国家の方向性を示した:レーニンがこれを否定した。
・「必然論」
カウツキーとプレハーノフは歴史の必然性を乱す事(革命)に反対した。
ローザ・ルクセンブルクは歴史の必然性は人間の主体的な努力によって実現すると考えた。
つまり、失敗が予測されても名誉の為に捨て石として行動しなくてはならない(悲劇)。
・レーニンと「全体主義的共産主義」
基本:前衛政党の指導による手段を問わない権力奪取と共産主義社会の実現。
これは、レーニンの思想というよりも、状況変化に対応した生きのこり戦略の結果であった。
・・イデオクラシーを政治状況と切り離して捉えてはならない。
内戦期の「戦時共産主義」→新経済政策(NEP)
帝国主義という政治環境の中で、植民地での民族解放闘争が
先進国のプロレタリアートの指導もなくマルクス主義を旗印として行われた。
議会主義的な「政治的自由」は重要な課題とならない。
レーニン流の「前衛政党」が有効な戦略となったが、個人の人権は無視された。
・スターリンと「共産主義的全体主義」
思想的に見れば、マルクスの自由概念→レーニンの党派主義→スターリンの全体主義と繋がっているが、
全体主義が成立するためには大衆の心を掴む必要があり、イデオロギーの論理だけでは無理である。
レーニン、スターリン、毛沢東、ナチスに共通する「宗教的啓示」。
それは負の側面だけでなく、国民のエネルギーを動員した科学技術の進歩にも寄与した。
・・前期「上からの暴力革命期」:農業集団化と5ヵ年計画
・・後期「革命からの退却と体制化、保守化」:スターリン憲法、第二次大戦とその後
スターリンは共産主義から全体主義へと変わったのか?
・全体主義の解体
1.フルシチョフは共産主義のユートピアを信じていて、スターリンの後期を否定した。
しかし、恐怖から解放された官僚も国民も革命を遂行する意思がなかった。
2.ブレジネフ時代には、建前(共産主義)と本音(個人主義)の時代。
3.ゴルバチョフはもはやマルクス主義者ではなかった。
「自由とは集団としての人間が必然性の支配から免れること」という思想が全体主義を生み出した。
・「自由」の意味
市民的自由(他人から干渉されない)と社会的自由(自然や社会の枠組みからの解放)
社会的自由の過度な追求が全体主義に繋がる(ワリツキー)
しかし、市民的自由の過度な追求も他人の自由を侵すことになる(Libertarianism)。
自由主義資本主義経済が最大限の市民的自由をもたらすというのも「ユートピア」である。
・・しかし、ユートピア主義は現状を改革するために必要である。
多くの宗教ではユートピアを死後に設定するが、マルクス主義では現世に求める。
・・マルクス主義社会主義運動は本来国際主義であった(万国の労働者、団結せよ!)。
しかし、国内の社会主義運動によって、労働者階級は福祉や権利を国家から獲得し、「愛国主義者」となった。
逆に資本の方は国際化して、労働者階級は国家間での競争と分断に追い込まれている。
労働者側が西洋中心主義を克服して、グローバルな倫理原則を共有しなくてはならない。
・むすび
ソ連は解体されたが、市場経済や市民社会が建設されてはいない。何故か?
資本主義も市場の合理性を超えるイデオロギー(禁欲的利潤追求)を必要としている。
他方、アメリカ資本主義の精神(フォーディズム?)は失われて、マネー資本主義となった。
市場における自由は無制限な自由ではないし、
政治的自由は買収や腐敗や欺瞞の自由ではない。
・・いかなる「自由」も何らかの「精神」(イデオロギー)によって裏付けられなくてはならない。
マルクス主義のイデオロギーは全体主義に転化して崩壊したが、
自由主義のイデオロギーもマネー資本主義に転化してしまった。
21世紀は「イデオロギーの空白」である。
第5章 アジア・ナショナリズム研究序説
・概念規定
1.生まれ、2.生活習慣や文化、3.言語を共有→これらは自然発生的(エトニー ethnie)
4.政治的統一体(民族国家)、5.経済的共同体(国民経済)6.一定地域を占める
7.歴史的伝統、価値意識、8.帰属意識
1.2.3 を基盤として、4~8を作り上げようとする運動を「民族(nation)形成」と定義する。
民族形成は西洋における中世的秩序(カトリック・神聖ローマ帝国)への反発から始まった?
南北アメリカ:creole-nationalism、アフリカ:ethnie が未発達の(分断された)まま、
アジアにおいても独自の形態がある(モンゴル帝国、宋の時代)。
ethnie と民族意識の関係は様々であり、歴史的事実は意図的に歪曲されて記憶となることが多い。
・nation 形成の論理
「普遍主義的外圧からの分離独立、区別」の力と「諸民族統合」の力との両面がある。
・・普遍主義外圧の例:
欧米帝国主義、日本帝国主義、北方遊牧民の圧力、中華文明、インド文明、イスラム教等
これらは立場を変えれば統合の力ともなり得る。
中華思想、仏教、イスラム教、プロテスタント、朱子学、シーア派、ラマ仏教
・・現代における普遍主義:「科学技術主義」は民族主義的反発には繋がらないだろうが、
「市場資本主義」は「外圧」となり得る。
・・「統合への力」
ethnie→nation→nation state という流れが自然である。
state→nation state→nation というやり方もある。これはうまくいかない。(ユーゴスラビア)
政治的統合は権力争奪戦を伴う。階級間で対立する ethnie となることもある。(東ヨーロッパ)
支配階級が帝国主義的に破壊されて、被支配階級のethnie がnation stateを作る場合もある。
(ポーランド、インド)
・・近代国家形成の実行部隊としての新たな社会階層=軍隊と官僚
軍隊や官僚が独自の利害意識を持つ階層となり、新たな nation state を作る場合(革命)。
帝国や世界宗教のような普遍主義的権力下の官僚や軍は帝国的支配構造の中で安住する。
中国の唐帝国(多民族統合)であるが、宋以降は官僚と地主=漢民族としてのnation state である。
官僚と地主が優遇される限りにおいては皇帝の出自は問題とならない(元と清それぞれの初期)。
軍隊と官僚は知識層であり、支配層とも大衆とも区別された「指導層」ともなり得る(明治維新期)
軍隊と官僚は新たな社会的中間層を生み出せなければ、旧勢力と妥協するか、社会秩序が崩壊する。
・nation 形成の経済的条件
1.国民市場の形成:国内での社会的分業構造
2.世界市場からある程度独立した市場圏の形成
national money の成立が重要な指標である。
農村共同体と都市間交易の併存→農村が都市に吸引され大きな経済圏が成立する。
歴史的には、産業資本主義と工業化が経済圏を必要とした。
国民市場を必要とする近代ブルジョワジーが支えて、経済官僚が推進する。
上からの道(国家と特権階級による重商主義路線)
下からの道(自営農民から生まれた産業資本による自由主義経済)
政治主導か経済主導か、という見方が重要である。
ex. 日本の鎖国政策と参勤交代政策はそれぞれ、2 と 1 に寄与した。
適切な人口規模は1000万人~1憶人程度であるが、技術の発展によって変遷する。
小さすぎると分業技術の発展が難しいので貿易立国となる。
大きすぎると国内分業者間の交易が難しい。
21世紀はグローバリゼーションと言われるが、依然として国民経済が重要である。
世界貨幣も成立していない(ドルは米国通貨)し、労働力の自由な移動も無い。
グローバリゼーションというのはアメリカ資本帝国主義を意味している。
・・アジア諸国における国民経済の形成
日本の人口規模は国民経済形成に最適であった。
中国やインドは大きすぎる。
ミャンマー、北朝鮮:政治的な理由による閉鎖経済を小国で行うと失敗する例。
マレーシア(アフリカ諸国の多くも):人為的な国境が障害となっている。
・・外国資本
新植民地主義として拒否されてきたが、現在は資本と技術の蓄積に活用している。
外国資本に頼ると、政治腐敗と国内分業バランスの崩壊を招く。
外国資本はその国の為ではなく、格差(賃金差)を作り出して利用しようとする。
アジアにおける外国資本:欧米、日本、韓国、台湾、華僑 をどう利用するか?
・nation 形成の文化的要因
「書き言葉」は多くの場合人為的であり、支配階級の必要性から生まれ、しばしば外国語でさえある。
話し言葉に基づいた書き言葉の成立 national language が nation の重要な要素となる。
(ex. 聖書の翻訳、各国の文学、印刷術が寄与した。)
アジアにおける書き言葉
漢字由来:日本でのかな、遼、西夏、モンゴル、ウィグル文字
サンスクリット由来:タイ、マレー、ビルマ
人工的:ハングル
文字の成立よりも、それが正統性を獲得することが重要である。
ex. ベトナムでは対中国を意識してラテン・アルファベットが正統性を獲得した。
モンゴルではキリル文字を導入したソ連を意識して、モンゴル文字が復活した。
ethnie が多様すぎると、旧宗主国の文字が正統性を獲得する。
ex. インド、フィリピンにおける英語
近代化に伴い科学技術を無視することはできない。
ex. 日本では科学技術用語を漢字で表現したため、漢字文化圏では自国語で研究ができる。
科学技術だけでなく、西欧由来の概念にも漢字が充てられた。
「国語」教育によって、話し言葉に対しても規制が意識されて、方言意識が生まれた。
話し言葉の標準化は、軍隊や官僚の機能に不可欠である。(ex. ロシア語の普及は軍事的必要性による。)
言語以外の生活文化については nation 形成に大きな影響を与えているとは言えない。
・「想像の共同体」と「歴史的記憶」の創出
nation 形成にあたって、諸 ethnie を越えた起源神話(歴史的記憶)が作られる。
・・植民地支配を受けた場合には、宗主国の影響によって複雑化する。
ex. 東チモール
・・初等教育においては官僚や支配層からの nationalism が作られる。
・・高等教育はより自由であるが、そこにも隠微な nationalism (エリート養成)がある。
・・マスメディアの影響:話し言葉や生活スタイルの均質化→無意識の nationalism(国民的スターやスポーツ選手)
・アジアにおける少数民族問題
その nation に同化・吸収されない ethnie
外部に帰属国家を持つ場合と持たない場合がある。
帰属国家を持っていても、帰属意識を持つ場合と持たない場合がある。
解決方法は妥協的にならざるを得ない。
・思想、運動としての nationalism
外来勢力への反発から自らの歴史的記憶を作り出す。
民族独立運動が国際的連帯を為すことは無かった。
アジアやアフリカの民族運動は対抗すべき西欧由来の概念に規定されている
運動の進展に従って「敵-味方図式」が変わっていく。
ex. 尊王攘夷→倒幕→開国・文明開化→富国強兵・帝国主義→親米・反共
旧支配層の周辺に存在する知識層が nationalism 運動の担い手となる。
ex. 日本では下級武士層と富裕商人。中国では官僚と文化人
アジアの多くの植民地では征服者による近代化によって生成した。
nation state 成立後の nationalism は 国家によって育成される。
育成された nationalism と現実の nationalism が矛盾することがある。
ex. 敗戦直前の日本における、「国体(天皇制)」と国民の利益(生存)の矛盾。
nationalism の拠り処「伝統・記憶」の在り方
中国:歴史=伝統が確立している
インド:ヒンズー教の回帰的時間概念からは「歴史」が生まれない。
イスラム圏:イスラム教成立以降が「歴史」である。
アジアでは宗教が直接的に nationalism と結びついてはいない。
ex. 日本:廃仏毀釈の後、国家神道が発明された。
グローバリゼーション(アメリカ覇権主義)に対峙するイスラム原理主義
国際的な性格を持つが、内容としては ethnie、tribe のレベルを克服していない。
(イスラム連邦国家となならない。)
・nationalism 論の変遷-むすび
民族問題の最初は、オーストリア、ロシア、オスマン帝国からの独立運動である。
第一次大戦後、民族自決論が建前となるが、アジア・アフリカ地域は想定外であった。
スターリンの第3インターナショナルが民族解放闘争を支援した。
第二次大戦後、nationalism はナチズムの想起から敬遠された。
アジア・アフリカ地域で多くの独立国が出来たが、nationalism の観点が無かった。
冷戦の代理戦としての民族解放闘争と理解された。
1970年代以降、リベラリズム、マルクス主義への批判から、nationalism が復活。
冷戦終結後は民族問題が主たる関心事となる。
ポスト・モダン的には、経済合理的なグローバリゼーションよりも、nation、ethnie の方が永続的である。
実際上は、経済合理性と nationism の相互的な発展を見ていくべきである。
ex. インド:経済発展によって、従来のカースト、ethnie から独立した「インド人」意識の中間層が芽生えている。
・補論
日本には戦前に作られた nationalism(国体)とは別の意味での nationalism が存在している。
「日本国民は運命共同体である、日本の為に努力すべきである、誇りを持つ。」
過去も現在も日本人は、共産主義者も含めて、国際主義者ではなかった。
素朴な nationalism を否定してはならない。
戦争責任を日本人全体として引き受けてはならない。
他の国も同じような事をやっている、という反論ができる。
戦争に関わる個人それぞれの責任、日本に対する責任、を問うべきである。
第6章 東アジアの経済発展の展望
・問題提起
経済発展への自然制約(エネルギー資源と食糧)
成長の限界が東アジアの経済成長に与える影響
東アジアの経済成長が地球資源・環境に与える影響
環境への影響は論じない:当然支払うべきコストであるから(線形思考)。
・東アジア経済論のステレオタイプ
1.アジア停滞論
2.アジア主導論
3.アジア脅威論
・・文明の衝突
・・世界資源の枯渇
・最近の経済危機をめぐる議論(1997年 東南アジア通貨危機)
1.アジア停滞論から--政治的腐敗、共産党支配、官僚支配の限界
2.アジア主導論から--通貨経済政策の失敗(構造改革で回復する)
3.アジア脅威論から--アメリカ金融資本によって意図的に仕掛けられた
・経済危機に対する展望
1.から--外圧によって市場を開放すべし
2.から--自発性に任せるべきである
3.から--不公正な手段による輸出を恐れる
自由市場の押し付けは許さない
・ステレオタイプな議論の欠点
1.アジア停滞論は反証されて迷走中:日本特殊論、江戸時代論、儒教文化論、華人経済圏で取り繕っている。
2.アジア主導論は一般化できない。それぞれの国で因果関係が様々である。
ex. 日本
① 第二次大戦の被害はソ連、中国、ドイツ、東欧諸国に比べれば小さく、
労働力の質と社会インフラも維持されていた。
② 占領軍によって、社会的不平等や不公正のシステムが破壊された。
③ 世界的な技術革新の成果を取り入れることができた。
④ 冷戦と敗戦国という条件により、賠償負担を免れ、軍備の負担も少なかった。
⑤ 1973-4年のオイルショックまでは、世界の好景気と資源安に恵まれた。
⑥ オイルショックは、省エネルギー、商品の量から質への転換をもたらした。
⑦ 経済政策は、統制経済から自由市場経済へと内発的に発展できた。
これらの優位は1990年代以降には失われている。
⑧ 継続されている特長として、外資の比率が非常に小さいこと
(貯蓄志向と経済成長が消費に先行したことが大きい)
比較例
韓国、台湾、香港、シンガポール(アジア NIEs)は国の規模が小さいため、
得意分野での輸出依存となっている。
中国は国の規模が大きすぎるため、輸出依存で成長を維持することに限界がある。
・・(日本以外の)東アジアの経済発展
不利な点
① 戦争による被害:中国、韓国、北朝鮮、ベトナム、カンボジア、、
② 革命的社会紛争:文化大革命、ポル・ポト、他社会紛争
③ 社会インフラ建設の遅れや不適切性(旧植民地の都合)
④ 社会的不平等が解決されていない。
⑤ 急激な外からの自由化により、内的発展が阻害されている。
有利な点とその弊害
① 安価な労働力:所得格差による社会不安や国内市場の伸び悩みもある。
② 外国資本(特に日本資本)の流入:利払い増加や資本流出の危険性もある。
・アジア異質論の問題点
・・アジアを一体として考えること自身が誤りである。
その多様性もまた異質性ではなく、多様な条件が共通の原理に従って相違が生じているものである。
ex. 日本の経済発展は「奇跡」でもなく、「日本的特性」によるのでもなく、「幸運」による。
・・社会の進む方向は同じであり、その枠組みの中での競合が起きる。
「近代化」=「富裕化」、「合理化」=「経済性の追求」、「科学技術を手段とする」
ハンチントンの「諸文明の衝突」は誤りである。
「アジア脅威論」も「東洋文明優越論」も誤りである。
・自然制約とアジア
例外的に自然環境に恵まれているアメリカを基準にしてはいけない。
アジア地域では人口当たりに与えられた自然資源が小さいから、自然制約が厳しい。
ex. 中国:山地や砂漠が大半を占めている。
黄河流域は大森林だったが、刈りつくされて砂漠化してしまった。
(秦時代の兵馬俑、万里の長城の煉瓦に使われた火力は膨大であった)
以後、黄河の治水が政治の要点となった。
北から南へ、内陸から沿岸へ、という王朝の推移。
各王朝における人口変動は
人口増加→環境破壊→農村の窮乏→内乱と侵略 の繰り返し。
前漢(6千万人)→三国時代激減→明(16→10千万人)→清(10→45千万人)
→太平天国の乱で激減→新中国1950年(56千人)→1980年(115千万人)一人っ子政策。
日本:18世紀(3千万人)以後江戸時代には増加していない。人口抑制と内包的発展。
東南アジア:ジャワ島やシンガポールを除けば自然制約には達していない。
南アジア:人口過剰となっている。
・統計データの問題
GDP の問題:
① 基準となる生産や支出額の把握が不正確、地下経済がある。
② ドルへの換算方法:交換レートに従うか、購買力平価(PPP)に従うか?
交換レートでは経済発展の差が過度に強調されてしまう。
一人当たり GNP の経年推移、国別比較。
交換レート比較よりは PPP 比較に近めの見方が現実的だろう。
PPP=Purchasing Power Parity
経済の輸出依存度=(輸出額+輸入額)÷ GDP:分子はドル建て、分母をどうするか?
GDP あたりのエネルギー消費量の比較でも大きな問題となる。
③ 各国内部での地域差や社会格差を考慮する必要がある。
・東アジア経済の将来
アジア通貨危機にも関わらず、アジアの経済発展には十分な可能性がある。
質の高い労働力、活発な投資、技術導入による生産性の向上、社会秩序の安定、行政サービス
ただし、発展は「幸運」「不運」に左右される。
「幸運」「不運」は、
1.個別的な条件に依る。(同じ条件が隣接する国で逆に働くこともある。)
2.偶然ではないが、かといって内的論理によるものではない。
3.世界経済と政治の論理から生じるものと、自然災害によるものがある。
4.日本の発展は冷戦体制に依ったが、東アジアの発展は冷戦終結、中国の台頭に依っている。
5.1971年までは、ドル本位制でアメリカの覇権が維持されていたことが日本にとって幸運であった。
1970年台後半からは、アメリカが覇権を弱めて、NIEs 諸国や東南アジア、中国が工業化した。
6.21世紀に入ると、アメリカの軍事技術が民間に開放されて、再びアメリカの経済力が回復した。
7.世界資本主義は1980年の金融自由化を契機に、急速にマネー資本主義へと変貌している。
日本や東アジア諸国はマネー資本主義に弱い。例外は華僑資本だけである。
8.マネー資本主義は「ゼロサムゲーム」である。アジア諸国は無条件に追随すべきではない。
9.アジア通貨危機(1992年)は一過性のものでありながらも、
「アジアの高度成長時代の終わり」の始まりかもしれない。
10.通貨危機にうまく適応する国とできない国がある。台湾は明らかに前者であった。
11.「幸運」とするか「不運」とするかは、それぞれの国の主体的な動きに依存している。
マネー資本主義にどう対処するかが、一番大きな課題である。
・政策的展望
1.中国
中央集権と地方分権のバランス、合理的な課税と再配分が課題。
2.東南アジア
特権勢力の打破、階層間、地域間の所得格差の是正が課題。
諸国間の適切な依存関係、協力的分業。
通貨価値の安定化、マネー資本の抑制。
・環境問題
公害問題は阻害要因ではなく克服すべき課題である。
自然破壊については長期的な視野での国際協力が必要。
地球規模の問題(CO2)に取り組む余裕はない。省エネ位しかできない。
資源問題は中国の石油依存がキーとなる。エネルギー効率に改善の余地がある。
食料資源には余裕がある。ただし、農工格差により、農業従事者が減るというリスクがある。
気候変動による一時的なリスクには備える必要がある。
中国における水資源不足が予想される。
規模の大きい中国が日本のように、エネルギー資源を輸入し、食料自給率を減らして、
工業化に進むことは、世界経済にとって大きなリスクである。
第7章 アジア地域における「持続可能な発展」の問題について
-地球環境問題における地域的観点の重要性-
・はじめに
地球環境問題の議論では温帯の先進国の立場から見た「自然保護」が語られるが、
開発途上国のほとんどは熱帯や乾燥帯にある。
自然はそのまま保護すべきものではない。人間が利用すべきものである。
・温暖化問題など
・・海面上昇が1cm/1年程度であれば、大きな問題ではない。
・・気候変動については世界各地固有の問題として考えるべきである。
・・自然保護の名の元に、そこに住む人々の事を無視してはならない。
・地域の観点の重要性
・・中国の「近代化」はその規模からして環境に大きな影響を与える。
中国で「持続可能な発展」を構想すべきである。
水資源問題は日本とは異なる。
・・環境に恵まれすぎたアメリカ文明を規範とすべきではない。
・西アジアの問題
旧ソ連領中央アジアとインドより西側のイスラム世界では、
恵まれていない環境を更に破壊し自然と闘って文明を築いてきた。
「オアシス」や「カレーズ(地下水路)」を作ってきた。
「自然環境」を保護することでは生き延びられない地域である。
この地域の「近代化」はどうあるべきか?
社会科学、文化人類学、歴史学、自然科学、技術者の協力が必要である。
第8章 地球温暖化問題の国際学的検討
2001-2004に亘るNEDO公募プログラムの研究結果、
『社会技術研究「地球温暖化問題に対する社会技術的アプローチ」』に基づく。
・注4:社会技術とは、
一定の社会的目的のために、社会的方策と科学的・技術的知見を総合的・整合的に追及する。
理念ではなく、具体的な行動計画を策定すること。
・問題の本質
CO2排出と温暖化による被害のとの間には、複雑な因果関係が絡んでいる。
CO2排出抑制のみを目的とすべきではない。
経済成長とのトレードオフを基調として考えてはならない。
1.自然資源の有限性は技術によって克服されてきた。
2.化石資源消費は各国共通の問題だが、温暖化の被害(利益)は国家間差異が大きい。
・地球環境問題と国際社会
国際環境問題(加害被害関係が国家間に及ぶ)は国際交渉によって解決すべき問題であるが、
地球環境問題(全地球的問題)は国際交渉だけでは解決できない。
軍縮問題は参加国にとってプラスサムゲームであるから交渉可能であるが、
地球環境問題は参加国同世代者にとってマイナスサムゲームである。
つまり、地球環境問題はゲームとはならず、理想主義に基づく合意形成を必要とする。
CO2排出とその被害との間に関係性を認めて合理的なバランス(取引)を行うことはナンセンスである。
排出量削減に「国益」を持ち込んではならない。
・気候変動の現実問題
当面の気候変動の問題に対して CO2排出削減は無力であるから、「気候変動対策」が重要となる。
平均気温の上昇によって異常気象の頻度が高くなった。
海面の上昇によって津波や高潮の被害も多くなった。
南極やグリーンランドの氷床融解は海面上昇そのものによる被害をもたらす。
温暖化そのものには社会の側での適応が可能である。地域差も大きい。
深刻なのは降水量の変化である。世界各地での水不足が懸念される。
・温暖化に対する多様な対策
考え方
1) 温暖化を抑制するだけでなく、気候変動は避けられないものとして、対策を考える。
2) 気候変動の予測に対しては、様々な可能性を並列に考える。
3) 対策は世界各地域毎に異なるものとして考える。
4) 全地球コンピュータモデルだけでなく、地域毎に過去の観測データを検討し直す。
5) 技術の発展と社会の変化の不確実性を考慮に入れる。
6) 科学技術発展の方向性と可能性については特に注意し、政策に反映させる。
7) 50年を超えるようなシナリオは無意味である。
8) 最も重要な項目はエネルギー消費効率の向上である。技術開発と社会システム。
9) 具体性が必須
エネルギー消費効率の向上、新エネルギー技術の開発、大気中CO2の回収、地球冷却の方策、
効率的な冷房技術、保健・農業対策、海面上昇対処の土木技術、急激な海面上昇や異常気象対策、、、
・若干の結論
1) コンピュータモデルの精密化は、不確実なパラメータ数の増加とトレードオフであるから、
予測の不確実性を減少させるものではないが、指針を与えるものである。
2) コンピュータモデルは人間社会への影響までは計算してくれない。
3) エネルギー消費の効率化とCO2排出量削減は地球環境への人為的圧力を減少させるが、
象徴的な意味であって、温暖化を防止する一定の効果として期待すべきではない。
4) 近い将来において、CO2濃度の上昇を止めることはできない。
5) 炉や機関の排出口から直接 CO2を回収することは可能性がある。
6) 大気中微粒子の散布で地球を冷やす可能性を試す価値がある。
7) 日本での過去100年間、1℃上昇したが、東京は3℃上昇した。ヒートアイランド効果は別途考える。
8) 異常気象への対策は重要である。とりわけ効率的な冷房技術の開発。
9) 海面上昇が現状のレベルであれば、対策は可能である。極地の氷床融解には要注意。
10) 農業や食料生産への影響は対応可能である。
11) 観光等への影響は市場に任せればよい。
12) 健康への影響、熱帯病への対策は重要であるが、これは温暖化に関わらず重要である。
13) 気候変動に対する対策は環境省だけでなく、政府内の高いレベルで総合する必要がある。
国際的にも、CO2排出削減だけでなく、気候変動対策の協力組織を作るべきである。
・・CO2抑制政策はその他の政策一般との整合性が採られていない。
・・温暖化防止のための国際的枠組みはあるが、それに対処する枠組みは存在しない。
・・政府総体としての気候変動対策会議を作るべきである。
・むすび
地球全体の気象や気候を人類全体の公共財産と考えるべきである。
温暖化防止だけでなく、現実の気候変動への対策にも国際協調が必要である。
ex. 国家間の大規模な人口移動が必要となる。
平和の維持が大前提となる。戦争はいかなる形であれ、環境を破壊する。
CO2排出権取引のみに拘ると、技術協力や環境改善やエネルギー効率改善が阻害される。
長期的な変異や気象の変動を予測して、影響を把握するための国際協力が必要である。
ex. 北アメリカやロシアは気候変動の恩恵を受ける。
中国やインドの農業は干ばつや洪水の影響を受ける。
北中国の水不足が深刻になる。
バングラッシュは洪水や海面上昇に弱い。
インドや西アジアでは高温による死者が出る。
熱帯病も大きな問題である。
第9章 21世紀世界変革の可能性
-むすびにかえてー
・20世紀の矛盾
20世紀は戦争と革命の世紀であって、膨大な人命損失と破壊の世紀であったが、にもかかわらず人口は4倍近くに増大し、一人当たりの総生産は3倍以上になっている。
20世紀は西欧帝国主義のの没落と解体の世紀であり、しかも世界の西欧化の世紀でもあった。
・「近代」の概念
近代の理念とは「個人」の確立である。
これは西欧に生まれた概念でありながら、全人類共通の理念として受け入れられつつある。
これに対抗する理念として、
人種、民族、階級、身分、性によって優劣があるという考え方(封建主義)、
個人よりも全体が価値あるものとする「全体主義」がある。
(個人の確立という場合、その「個人」とは何か、つまり、人が自らを規定するその背景や来歴を問う必要があるだろう。それなくして、「個人」と「個人」の葛藤は解決しないし、誰もが「問うこと」を許されている、ということが正に、「個人」の確立ということである。「個人」というのは無条件に存在するものではない。一人一人がそれぞれの生まれと環境と来歴に規定されて「発見する」ものである。)
・西欧社会の矛盾
実際上は西欧近代において、「個人」の確立は白人男性に限定されていた。
少なくとも表向き普遍的な人権となったのは20世紀末のことであった。
国際的にも「文明国」と「非文明国」という差別が容認されていた。
これも民族解放運動等によって、20世紀末になって、表向きは克服された。
これらの運動は「近代」の理念を旗印にして行われたのである。
社会システムの維持には官僚によって運営される「近代国家」が必要とされ、
国民に法の下での平等が保証されると共に国家への忠誠が要請された。
国民の統合の為に「民族」という概念が醸成された。
・「近代社会」の形成
分業の発達と「専門化」、これらを目的意識を持って組織する「合理主義」が必須となる。
近代化のプロセスにおいて、旧い感性や秩序を破壊する必要があった。
「革命」は見かけはどうあれ、全てが「近代化」であった。
・「歴史は終わった」か
アメリカの覇権の元での「グローバル化」により「近代化」は終わったのか?
近代社会そのものに矛盾がある。
自由と平等を保障するための近代社会の枠組みは組織自身が自己目的化している。
民主主義は選挙をゲームとしているし、資本主義は企業利益や GDP の最大化を目的としている。
科学技術も実現可能なものは何であれ作り出すことを競争している。
・「近代社会」の限界
「自然の制約」は近代社会だけの問題ではなく、人類の歴史は自然の制約を克服してきた歴史であった。
近代社会が自然の制約への対処法を持たないことは確かであるが、原理的に持たないとは言えない。
「個人の確立」というのは生物界の論理の中には存在しないからこそ、「理念」なのである。
個人としての合理的行動だけでは「自然の制約」には対処できない。全人類、超世代の共感が必要。
人間の再生産を「家族」という「私」的な場に追い込んでしまった。
出生だけは選択できない。
生と死は近代社会には存在しない。
(理念としての)近代社会は人口を制御する仕組みを持たない。
現状を見る限り、近代社会は人口減少社会であり、存続できない。
(注)有名な実験として、ジョン・B・カルフーン:ユニヴァース25:マウスの生存実験(1960年代):
餌と適度な居住スペースと構造物を与えて、マウスを飼育する。指数関数的に増殖して、限界に達すると争いが頻発して、ストレスから育児放棄し、高齢化が進み、やがて絶滅。個体数推移は日本の人口動態とよく似ている。
解説は Wikipedia の他、判りやすいものとして、
https://web-mu.jp/history/6250/、https://data.wingarc.com/universe25-68324
・21世紀世界の課題
多くの地域において「近代化」は未達であり、課題である。
とりわけ、イスラム世界においては「政教分離」が必要である。
先進諸国においては「近代社会」における制度の自己目的化を制限し、人間の手段化を阻止すべきである。
・「変革」の思想
あくまでも「近代の理念」=「個人の解放」が目的である。
「伝統社会への回帰」や「自然への回帰」は避けるべきである。
「個人の確立」とは、自分の欲望の満足を越えた行動基準を自主的に選択するということで、利己主義ではない。
人類全体が一つの運命共同体となってしまっている、という現実からの帰結として、
人類全体に対して連帯感と義務感を持つべきである。
政府、官僚が信頼できないからといって、否定してはならないし、
民間も私的利益を追求するだけの存在とみるべきではない。
「変革」には理念が必要であり、それさえ明確になり、衆知できるならば、
科学技術の発展によって、その理念実現の条件は整っている。
・近代社会における変革の基本課題
近代化が一応完成された社会における課題は「分業と効率化の論理からの人間の解放」である。
産業革命によって、機械が生産のリズムを規定するようになって、労働時間が長くなった。
家事の機械化によって家事使用人は稀となった。
20世紀後半、機械化自動化が進み、サービス化、量より質への転換により、価値が労働時間に比例しなくなり、
全体としての労働時間は減少傾向にある。
必要総労働時間が小さくなり、余剰労働力が増加している。
余剰労働時間を各労働者が活用し、有益な社会サービスを作り出す(NGO とかボランティア、芸術活動等)
ということがマルクスのユートピアではないだろうか?
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