2003.08.10

       天気がよかったので浅間山の麓をドライブしてバラとハーブの園を訪問し、買っていたパンを食べて、ラベンダーを摘んだ。結構オールドローズもあったが、やはり時期は過ぎている。最後に、軽井沢に来て見つけた武満徹展を見に行った。メルシャン軽井沢美術館には印象派の絵やガレのガラス器がちょうどフランスから来ていたが、そちらは見ずに隣にある町営図書館に併設された縄文ミュージアムの一室だけを見た。武満徹はこの地に居を構えて作曲していたのである。黛敏郎から贈られたピアノやら楽譜やら、ノベンバー・ステップスで使った琵琶やら、いろいろな昔の写真やら、映画音楽を語ったビデオやらがあってひと時を過ごした。顔全体の格好は僕に似ているが、眼光鋭いところはM氏に似ている、というのが家内の評である。記念に石川セリの歌った作詞谷川俊太郎作曲武満徹のCDを買った。

       僕の耳には、武満徹はフランス印象派の影響を強く受けた日本の作曲家ということであるが、それ以上の何かというと、日本的な「間」の音楽とも言える。もうすこし突っ込むと、一音の表情に拘った、というところがある。西洋の伝統では音の表情について勿論記号はあるにしても、これほど拘っては居ない。それはむしろ優れた演奏家の解釈に任せられるのが普通である。このような姿勢はどう見ても確かに非西洋的なものであり、結果的にドビュッシーの音楽に近いように聴こえるとしても、聴きこんでいくと単なる音符の組み合わせからではないものが潜んでいるということに気づく。武満徹の言葉と音楽についての感想めいた文章を挙げておく。

       「文字を持たない民族の言葉は、発音と伝達する内容との間に密接な関わりがあり、それは美しく一致している。表象記号としての文字を持たないために、語彙は少ないが、言葉は多義的なひろがりをもっている。そこでは、言葉は、その発声と連携の仕方で多用な変化を獲得する。言葉は発音されることで、それ自身では規格化された容量に過ぎないものが、それ以上の意味内容をそこに充溢させる。音楽においても、音はたんに機能としてあるのではない。世界では、生きるものの全てに固有の周期がある。眼にみえるものと、見えないものと。音もそうだ。音のひとつひとつに、生物の細胞のような美しい形態と秩序があり、音は、時間の眺望の中で絶え間ない変質をつづけている。演奏家の役割は音を出すだけでなく、聴くことでもある。演奏家は、つねに間に音を聴きだそうとする。聴く事とは発音することに劣らない現実的な行為であり、ついにはその二つのことは見分けられなくなる。音は、時間を歩行しているからいつも新しい容貌でわれわれの傍にいる。ただわれわれは、いくらか怠惰であるためにその事に気づかない。構成的な音楽の規則に保護された耳は、また音を正しく聴こうとはしない。痩せた自我表出に従属する貧しい想像力には、音は単に素材の領域の拡大や目新しさとして聴こえるにすぎないだろう。音は常に新しい個別の実体としてある。なにものにもとらわれない耳で聴くことからはじめよう。やがて、音は激しい変貌をみせはじめる。その時、それを正確に聴く(認識する)ことが聴覚的想像力なのである。」

       音楽の中で立ち現れる音をあらかじめ構成された素材として聴くのではなくて、その時に新たに生成してくるものとして聴くこと、それは決して難しい事ではなくて、音の側に立って、自分をとりあえず意識の枠から外して聴くということであろう。西洋音楽がこのようなことに注意を払っていないという訳ではない。むしろ音楽家は全てこのように感じているし、そのような立場で日々練習をしている筈であるが、西洋音楽は方法論を整備したために、音楽家以外の人々、実際に音楽を経験しないでそれを論じる人々が音楽を誤解しやすくなっている、ということである。重要なことは言葉で表現され書物や楽譜に書かれている音楽の「方法」だけでは音楽が成立しないということである。生きた人間が演奏するからこそ音楽が生じるということが、なかなか理解されない。

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