2016.10.26

図書館の棚で(経済学者)高本茂という人の「中島みゆきの世界」(近代文芸社:2004年)を見つけて借りてきた。この本はインターネット上で自由に読むことができるが、通読はしていなかった。
 http://www013.upp.so-net.ne.jp/sigeru/books/nakajima/index.html

      中島みゆきの精神構造については、<愛の不可能性を自ら抱え込んでいながら、むしろそれ故に愛を語らざるを得ない>という事で、僕の解釈と基本的にはよく似ているのだが、彼の場合は男女関係という意味での「愛」の方にかなり解釈が傾いていて、それはちょっと違うのではないかなあ、と思う。でも、この解釈は彼自身の人生を反映しているのだから、まあ仕方ない。恋愛に失敗し続けて、今や結婚生活という幸福を諦めてしまった彼にとって、中島みゆきだけが彼の心に寄り添ってきたというのであるから、僕なんぞが何を言っても通用するとは思えない。

      第1章「関係性への祈り」と第2章「家なき子主題歌論」はなかなか秀逸な評論であるが、シモーヌ・ヴェイユまで持ち出すことはなかったのではないだろうか?

      第3章「不可能性の愛を求めて」はあまりにもべったりしていてちょっとついていけない。

      第4章「現代詩の中の中島みゆき」では谷川俊太郎との類似性と本質的相違の部分が面白かった。

      第5章「命の別名論」には全くもって共感する。

      第6章「春なのに」論はまあまあ。

      第7章「愛と孤独の果て」はちょっと立ち入りすぎかなあ、と思う。<中島みゆきは、他人の痛みや悲しみを黙殺するには過敏すぎた。自分の「遠い、手の届かない世界の幸福」を手に入れるには、この世の不幸に対して鋭敏すぎたのである。>

      最後の方で、中島みゆきを「荒地」の詩人達、特に鮎川信夫に比しているところなどは<なるほど。。>と思った。<戦後日本社会への非和解性において、中島みゆきは「荒地」の精神を引き継いでいるのだ。>ところで、奥付を見るとこの本は著者からの寄贈であった。多分全国の主要図書館に寄贈したのであろう。どうも中島みゆきは(僕も含めて)<書きたがり屋>を触発するようである。。 

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