2025.07.21

   多分、一年前位に予約してすっかり忘れていた恩田睦の「spring」(筑摩書房)の順番がやってきて、読んでいる。以前「蜜蜂と遠雷」の映画を観て面白かったので、予約したのだろうと思う。今回のもなかなか面白い。

    何か物語りがある小説というよりは、バレエの魅力を言葉で語ることで、そのバレエダンサーの生き様というか宿命みたいなものを表現する。ある程度バレエに親しんでいた方が良いのだろうが、そうでなくても楽しめると思う。バレエなんだから実際に観ていないと伝わらないように思うかもしれないが、感動というのは主観的なものなんだし、その主観を言語的にうまく再現すれば同じことなんだろうと思うが、バレエ作品で使われる題材が文学や音楽や歴史であるから、それらを知っておいた方が理解しやすいだろう。そういう意味で、ある程度の「教養」が必要かもしれない。そういえば昔小林秀雄の音楽家論を読んで音楽を聴いたような気分になったことを思い出したが、今回のは何しろ現実のバレエが存在しないのであるから、何とも不思議である。映画にしてみるとどうなるんだろうか?ダンサー役にとってはとんでもない挑戦だろうと思う。

    構成もなかなかオリジナリティがある。4つの部分に分かれていて、最初(跳ねる)は主人公春(HAL)と対を成すようなダンサーが彼を描写し、次(芽吹く)は主人公の叔父で彼の教養の源泉となった男が彼を語り、次(湧き出す)は振付家となった主人公春に音楽を提供することになったダンサー兼作曲家が彼を語り、最後(春になる)に自分自身で自己を語る。彼の人生が4つの視点(いずれもが spring の訳語)で重ね合わされることになる。

    第3部が一番楽しめた。春 と同指向の天才肌のバレリーナだった七瀬が作曲家となっていて、振付家である春に依頼されて新曲を作る話。なかなか面白くて、こんな作品を観てみたいものだと思わせる。そういうアイデアを思いつく訳だから恩田睦という人は随分とバレエ好きなんだろう。

    第4部は 春が語る。何となく想像はしていたのだが、彼は性的嗜好が両性である。性的嗜好というのは性的興奮をどういう風に誘導されるか、ということで、これは理性では制御できないその人の生まれつきや幼い時からの体験で決まっている。彼の場合は身体的にも精神的にも両性具有という感じがあるので、バレエのことしか頭にないのであれば、性的嗜好もそれに従うしかないのだろう。それにしても、男性ダンサーとその母親の家に通って両方と性的接触をしていた、という件にはちょっと驚いたのだが、あっけらかんとしていて、「愛」とは明らかに次元が異なる。「愛」の対象はバレエそのものなのだと思う。「この世のカタチ」を踊ること、それだけが幼いころからどこか遠くを見つめていた主人公春の目指していたことだった。「気の遠くなるような時間を掛けて定められたカタチの向こうに人間の真理みたいなものが見える。」

    一番最後は、一人で踊る「春の祭典」。幼いころから自らの宿命を悟った春は小学校には強い違和感を覚えていて、不安と葛藤があった。出身校の机25台の上でそれを演じながら、最後はバレエの神に自らを生贄として捧げる。これだけの感動が言葉で紡げるというのはすごいことだ。本当に映画化されると面白いと思う。

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