2025.07.27

   「和音の正体」舟橋三十子(YAMAHA)は貸出延長している。楽譜の実音がネットで公開されているので判りやすい。 というか、和音というのはちょっとした雰囲気の違いなのでメロディやリズムに味を付けるという感じ。これを単なる味付けと受け取るか、それとも曲の骨格と受け取るか?どうなんだろう?普通の人は味付けとしか受け取れないだろう。例えば体操の選手やバレエダンサーの身体の動きを見て、骨格の動きやコリオグラフを想像する人がどれくらいいるだろうか?同じメロディでもいろんな和音を付けることが出来るので、メロディーを変奏したりするときには演奏者の共通理解の手段として和音が役に立つ、ということはあるだろう。

    一応読み終えた。基本の三和音の他に四和音、、があって、特定の作曲家が使い始めた独特の和音(神秘和音、ナポリの和音、ドリアの和音、悪魔の音程、トリスタン和音、、、)があって、なるほどとは思うのだが、それを味わえるかというと微妙である。和音の感じ方というのは和音で決まっているのではなくて、それが使われる状況に依存しているように思う。状況というのは基本的には音階であるのは当然としても、それだけではない。その曲をどう聴くかということ。だから、西洋音楽をある程度味わってきた人にしか判らないこともある。僕はどうなんだろう?ドミナントモーションはまあ普通に感じるし、長短の違い位は感じるし、4つ目、5つ目加わると味わいが変わることも判るけれども、それが何かと言われると判らない。音階から外れる音というのは何かしら特別な感じがあるものだが、それが特殊な和音の一部と言われても、要はその単音が肝ではないか、とも思う。ホモフォニーという感覚がまだ無いのかもしれないし、それは単に専門家の感じ方にすぎないのかもしれない。コード進行を感じる場面というのは、ジャズのスタンダードナンバーの即興演奏である。ここは原曲のこの部分だなあ、と判るのは、それなりに和音を感じているのかもしれないが、それでも、この和音が何かと言われると困る。。。ところで、最近僕が感じた「和音」単独の効果は中島みゆきの「ひまわり Sunward」の歌詞1番と2番の間の間奏の最後(第40小節)に出てくる E7/A である。爆弾が破裂したような和音で、雰囲気が一気に緊張する。単に不協和音というものではない。

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