2015.04.11

      技術評論社というのはパソコンの勉強の為にいくつか良い本に出会って以来、毎月ダイレクトメールを貰っているのだが、その中で大分前に目に付いたのが「素粒子論はなぜわかりにくいのか」 吉田伸夫(技術評論社)である。素粒子論や宇宙論の一般的な解説書ではその本質である場の量子論の説明を回避するために、何を言っているのかよく判らない、という感じを抱いていたが、この本はそこに立ち入って解説してある。ちょうど、義母が脚の痛みの検査で結局は去年に引き続いて2回目の大腿骨の手術をしたのであるが、それに付き合っている間にこの本を読んだので、内容を纏めておく。

第1章:素「粒子」という虚構
      最初に一般的な誤解の修正としていくつか挙げられている。これらの説明が以下の章でなされる。

・ヒッグス粒子が真空中に凝縮して物質粒子がぶつかって見かけ上質量が生じる、という説明は大変な誤謬である。そもそも原子の質量の99%以上は閉じ込められたエネルギーに由来する。

・ヒッグス粒子は粒子ではなく、フェルミオンに作用する場である。そもそも、全ての素粒子はそれぞれの場の状態である。相互作用が小さいときに粒子的に振舞うに過ぎない。

・擬似的に粒子間の相互作用を相互作用粒子のやり取りとして記述するのは摂動法という近似計算の各項の表現にすぎないのであって、実際に粒子がやり取りされているわけではない。

      古代ギリシャにおいて既に、場の理論と粒子論が対立していた。アリストテレスは4種の元素が連続的に広がっているとして世界を記述した。デモクリトスは真空の中に基本的粒子(原子)が飛び交っているとした。アリストテレスは光を伝えるエーテルと音を伝える空気が有限の世界(恒星天内)に満たされていると考えた。17世紀の科学者は空気を無くせば音が伝わらなくなることを発見してデモクリトスの考える「真空」を発見した。エーテルについても同様の試みをしたが、空気のように乱されることのないエーテルは取り除くことができなかった。つまりエーテルは「物質」ではなかった。以後、近代科学の最も基本的な存在論として「粒子論」が広まったのである。その中で場は電磁場に限定された。電磁場について、1905年にはアインシュタインとポアンカレの、空間そのものがエーテルであるいう考え(相対論)によって、電磁気学が統一された。これが科学によって体系化された最初の「場」である。(電場を相対論で解釈すると自動的に磁場が導出される。)20世紀初頭の量子論的現象の発見、つまり、光が波動でありながら粒子でもあること、電子が粒子でありながらも波動として振舞うことの発見によって、古典力学の修正としての量子力学が体系化され、場の中で運動する粒子の確率的解釈という中途半端な形式(つまり物質は粒子論、力は場の理論でという二元論)で工学的応用が進み、現在に至るまで一般的な常識となっている。

      1929年にハイゼンベルグとパウリは、「電子もまた場である」として量子論を再度体系化した。これが場の量子論である。そこには電子は場の取る励起状態としてしか定義されていない。粒子間に働く力という概念の実体は場の間の相互作用ということになった。この考え方はその後全ての「粒子」に拡張され、1970年台には素粒子の標準理論としてまとまった。つまり、素粒子論によれば、世界の本質は場であって、粒子は見かけに過ぎない。しかし、この世界観の大きな変化は素粒子論の研究者の外には広まっていない。2つの理由が考えられる。

(1)場の間の相互作用が小さいときには実質的に粒子のように振舞うが、相互作用が大きいときには計算することができなくなる。だから物理学者の間でも役に立たない(必要もない)と言われてきた。しかし、1940年台の繰り込み理論や1960年代のゲージ対称性とその破れの理論によってそれはほぼ克服されている。

(2)素粒子論は日常ではあまり観測されない大きなエネルギーの実験でしか検証できないから、莫大な資金が必要となる。スポンサーの説得の為には人々の素朴な常識である粒子論に従うほうが判りやすいために、素粒子の研究者自身が誤魔化した説明の仕方をしている。

第2章:場と原子
      「場」というのは、ひとまずは、空間の各位置に与えられた何らかの量である。著者は場の考え方の説明の為に判りやすい例として、3次元実空間の各位置にバネを想定して、そのバネの変位を場の量として定義している。このバネの場合は変位という1次元空間であるが、実際にはいろいろな場があって、2次元空間だったり、3次元空間だったりする。どんな場(実空間と区別して内部空間と呼ぶ)があるか、ということは、つまりどんな素粒子が存在するか、というのと同じことであり、理論的に必要となり、実験的に実証される、というプロセスを経て、その存在が(少なくとも一時的には)確定する。場は時間的に変動し、またその位置に存在する他の場と相互作用をする。その振る舞いを決めるのが物理法則である。物理法則は実験に合うように作られるのであるから、それ自身に超越的な意味は無い。この方程式によれば、場は基本的に振動し(つまり実質的には実空間とは異なって無限大の空間とならない)、隣り合う位置での同一の場との相互作用によって、その振動が3次元実空間を伝播する。昔から良く知られている例が電磁場、つまり光である。ホイヘンスの原理のように、光は波動であるが、同時に、特定の一点での場の振動と別の一点での場の振動との関係は光路長が最小になるような線上を動く光粒子としても記述できる。これは、他の可能な経路において波同士が殆ど(波長程度の範囲を除いて)打ち消しあってしまうからである。

      他方ニュートン力学における粒子の運動は、作用が最小となる経路を運動する、としても得られる。作用とはラグランジュアン(粒子に対しては運動エネルギーから位置エネルギーを差し引いた量)の経路に沿った積分値である。従って、電子についても光における光路長の代わりに作用を使えば同じように場として扱うことが可能になる。光において光路長に沿って位相(電場が振動周期の内のどこにあるかの角度)が変化するように、電子においては作用に沿って位相が変化する。つまり振動する。光の場合と同じく、最小作用のルートの極近辺には確率的にルートの可能性があるし、2つ以上のルートを強制的に辿らせて合流させれば、干渉縞が生じる。これが量子力学の考え方である。方程式上は全てのルートが可能であり、観測するまでは確定しない。確定したルートは古典力学でほぼ計算できる。しかしこの対応関係は「粒子」同士の相互作用が小さい自由空間の場合である。古典力学では計算できない場合もある。その典型が閉じ込められた系である。電子が閉じ込められると壁で反射するから光と同様に打ち消し合いと強め合いで定在波が出来る(光の場合はレーザーの共鳴状態)。閉じ込められた電子はこの定在波の状態しか取ることが出来ない。これが量子化(エネルギー状態の離散化)である。

      以上は3次元空間の話であるが、内部空間(場)の簡易的なモデルであるバネの系もまた閉じ込められた系の一種である。この場合はエネルギーの値が同じ間隔で並ぶ。その間隔は周波数のプランク定数倍(量子)である。隣り合う位置間の場が相互作用しているために、場の振動が波となって伝わるのであるが、それに付随して実際にはこの量子が伝わることになる。量子というエネルギーを光速の自乗で割ったものが質量であるから、これは量子という質量単位が粒子と同じように3次元空間を動くという描像に対応している。つまり、場の振動状態そのものは、連続的なバネの状態なのではなくて、実際には不連続な量子単位となっている。これが場の量子化であり、その量子単位が素粒子である。

第3章:流転する素粒子
      場の種類(素粒子の種類)でもっとも重要な区分はボソンフェルミオンである。ボソンは同じ場所でもエネルギーを注入するといくらでも作れるが、フェルミオンは1個づつ作ったり消したりは出来ない。フェルミオンの場は空間的に360度回転すると符号を変える(半整数次のスピノル場)という性質を持つので、1個生成消滅すると空間の性質が変わってしまう。したがって、必ず逆向きのフェルミオン(反粒子)と対になって生成消滅する。我々の宇宙には何故か反粒子が非常に少ないのでフェルミオンは消滅することが殆どないし、生成するには大きなエネルギーが必要なのでこれも滅多に起きない。つまり、フェルミオンの場の励起状態たるフェルミ粒子はほぼ不変不滅なのである。これがあるために近似的にせよ物質の量が変わらないのである。

      近似的に変わらない物質や質量に対して、厳密な意味で変わらないのはエネルギー(E)である。それは、「粒子」の運動量(プランク定数を波長で割った量)をp、内部質量(静止質量)をm、光速をcとしたとき、E^2=p^2c^2+m^2c^4 という関係がある(^はべき乗を表す)。静止質量は内部空間(場)を単独で考えたときのエネルギーであるが、電磁場の場合には単独の復元力を与えるバネ定数が無いので、静止質量がゼロになる。電磁場の振動は隣接する場との相互作用だけに由来するのである。電場と相互作用するような場(例えば電子など)の場合その大きさ(係数)を電荷と称するが、これは「粒子」が電荷を持つという意味ではない。

      素粒子間の「反応」、つまり生成流転は異なる素粒子場同士が相互作用することで起きる。つまり、エネルギーが異なる場の間を移動するのである。エネルギーを失った場では粒子が消滅し、エネルギーを得た場では粒子が生成する。同一の3次元実空間の場所において多くの多次元の場が存在しているから、一般的にはそれらの場の間で相互作用がある。

第4章:素粒子の標準模型
      ところで、物理法則は座標変換に対する対称性が要請される、というか対称性があるからこそ法則と言える。3次元実空間座標において物理法則は場所に依存しない、とか、座標軸の回転に依存しない、とか、相対的に等速で動く座標系において物理法則が同じになる(特殊相対論)とか、枚挙に暇がないくらいに、対称性の要請が基本的である。対称性が満たされない場合にはその論理的説明が為されない限り物理法則とは見なされない。問題はその座標であるが、局所的に直交するデカルト座標を定義したとしても空間自身に歪みがあるかどうかは判らないから、2点間の距離の自乗のピタゴラスの公式ΔX^2+ΔY^2+ΔZ^2 が正しいとは限らない。2次元の曲面を想像すればよい。実際にはΔXΔYのような交差項が必要となり、それら全体(この例では6つの係数)によって3次元空間の歪みが「測定」されることになる。この係数をゲージと呼び、それによって定義されるのがゲージ場(計量場)である。重力場でもある。また重力場が隣り合う重力場と相互作用して伝播される。これが重力波である。座標変換によってゲージ場は変わるが個々の場所での歪は勿論変わらない。物理法則も変わらない。この考えは場を表現する内部空間でも成り立つ。内部空間におけるゲージ場もまた外部空間で伝播する。ゲージ粒子(ボソン)である。W粒子、グルーオンがそれに相当する。素粒子のゲージ理論では素粒子の相互作用がゲージ場を介して起きると考える。

      フェルミオン(クォーク:u-quarkとd-quark、レプトン:電子とニュートリノ)は、生成消滅に制限が大きいために物質粒子と呼ばれ、これとエネルギーのやり取りをするゲージ場が力の粒子と呼ばれる。後者は個数(量子数)制限を持たないからである。物理法則が座標変換(ゲージ変換)で不変という要請から、これらの内部空間として可能なものが SU(3)、SU(2)、U(1) という変換で不変なもの3種に限定されてしまう。()内の数値は変換行列(座標変換の時に座標ベクトルに掛け算する行列)の次数(従って内部空間の次元)で、Uはユニタリー変換を表す。物理的には回転操作を表す。U(1)というのは要するに複素数そのものである。具体的には電磁場である。S(特殊)は変換の行列式が1である(Uだけだと行列式の絶対値が1)ことを表す。

      SU(3)のクォークはSU(3)のゲージボソン(グルーオン)と相互作用して、振動方向を変えて、結果的には隣の場と力を及ぼしあうが、3次元の為にその内部で自分自身とも相互作用して増殖する(この辺の詳しい説明は無かった)ので、クォーク同士の相互作用は距離が大きくなるほど大きくなる。したがってクォークを単独で取り出すことができない(閉じ込め)。ただ、特定の3つのクォークが集まるとその自己増殖が無くなって自由になる。その結果が陽子中性子中間子である。

      SU(2)のクォークとレプトンはSU(2)のゲージボソン(W粒子)と相互作用することでその内部での方向を変える(u-quarkとd-quark間、電子とニュートリノ間)。この描像では単に方向を変えるだけであるが、実空間での粒子的振る舞い(SU(2)では閉じ込めが起きない)を見ると、電子とニュートリノの間には大きな質量差が観測されている。これはSU(2)のゲージ対称性が破れている、という深刻な事態なので、何とか説明しなくてはならない。そもそも対称性の破れというのは局所的には起き得るものである。例えば地球表面においては鉛直方向と水平方向とは異なる。これはたまたま地球という大きな質量があるからであるが、宇宙全体においてそういうことは観測されていないし、重力場を理論の中に取り入れれば対称性が回復される。そもそもこのような状況が生じたのはビッグバン後の宇宙における密度の揺らぎによりたまたま密度の大きな処に物質が吸い寄せられて「自発的に」対称性が破れたのである。しかし、SU(2)場というのは宇宙の至るところに均等に存在する場であるから、そのような説明は難しい。そこで、ビッグバン後現在の宇宙が出来る前にヒッグス場というものがあり、それによって、内部空間SU(2)内での凝縮を引き起こした、という説が登場した。ヒッグス場同士の相互作用により現在の宇宙が出来る頃には全ての場所で同じような凝縮状態になってしまった、という「物語」である。つまり、実空間に重力場があるように、内部空間にはヒッグス場があり、宇宙が出来上がる前に実空間におけるヒッグス場の伝播が収束してしまった、ということになる。ヒッグス場は内部空間を支配するバネ定数と相互作用すると仮定されていて、そのことで内部空間での場の振動状態、つまりエネルギーが変わり、それは実空間で見れば粒子の質量となるから、結局ヒッグス場が静止質量の差異を与えることになる。本来同じであるはずの質量が異なるという対称性の破れを説明するために苦し紛れに発明されたヒッグス粒子ではあったが、それが実空間を伝播する様子が2012年に観測されて、素粒子の標準モデルが確立された(全ての理論的仮説が実験で実証された)とされている。勿論宇宙の始まり以前に戻す位の大きなエネルギーが必要ではあった。

      ここまでで標準理論の説明が終わる。第5章では摂動計算法と繰り込み理論の概要が説明されている。場の量子論の計算には物性論のような計算機シミュレーションがうまく使えないために、相互作用の無い状態を基準として相互作用を級数展開して少しづつ取り入れていく方法が使われている。この方法で生じる計算量の発散が系統的な方法で相互作用の無い状態自身の定数に繰り込むことが出来ることが発見されて、実験と比較可能な計算ができるようになった。

      第6章では標準理論を超える取り組みが紹介されている。超える、というのはつまり標準モデルでは重力場を完全には記述し尽していなくて、いろいろと説明できない現象が残っているからである。有力と言われる超ひも理論は理論としての欠陥が少ないのだが、扱うエネルギーが大きすぎて実証できないということである。付録には簡単な計算式を使った説明がなされていて、全体として大変よく出来た解説書だと思った。 著者 は東大物理で素粒子の学位を取り、科学哲学を主として研究しつつ、こういった啓蒙活動をしている。

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