2018.05.04
    松戸清裕『ソ連史』(ちくま新書)を読んだ。この間テレビで宝塚歌劇でロマノフ王朝の崩壊を見たり、アレクシェーヴィッチの記録映像を見たり、佐藤優の本を読んだりしたので、ソ連の歴史を概観してみたくなったのである。ドイツや日本の工作にも助けられて、レーニンはあっけなく政権奪取に成功したが、ロシアは農業国であり、選挙結果でも農民の支持政党に負けてしまい、議会を凍結し、一党独裁体制となる。これから農村地区からの反革命が起こる。内戦。毒ガスも使われた。ドイツと単独講和して戦争を終わらせ、農地解放して農民の支持を得る。しかし、理想とする計画経済はうまくいかず、自由市場を一部認める(NEP)が、それ以外は全て政府が買い上げて、輸出で外貨を稼ぎ、残りを国民に配給するのである。しかし、公定価格での強制買い上げは農民の反発を招く。

    官僚主体の国家を継承したのはスターリンで、彼は知られる通りの大テロルで保身を図り、ナチスドイツとの『大祖国戦争』を指揮し、これに勝利することで英雄となり、西側諸国に過大評価されることになった。その後の冷戦はソ連に軍事力増強を強いて、経済はますます苦しくなった。スターリンが死亡(1953年)して、フルシチョフ時代の『雪解け』で言論の自由が少し戻るが、基本的に政権には統治能力が欠けていた。共産主義の理想を掲げて、国民の声を聞き、数々の立派な法律は作るのだが、社会には浸透しない。もはやどうにも手が打てなくなった。ゴルバチョフが実権を握り、最終的には憲法から共産党の指導の項目を削除せざるを得なくなった。ソヴィエト連邦は自らの手で解体された。

    中国では、経済の行き詰まりを改革開放政策で打開したわけであるが、政治体制を維持したままでこれが出来たのは歴史的に形成されていた周辺国華僑の経営力・経済力があったからだろう。ソ連では同様な経済改革を目指したものの体制内の抵抗が大きく、それに対抗するために政治改革(自由化)を先行させざるを得なかったが、その結果として今度は国家体制自身が危うくなったのである。北朝鮮もまた軍事を優先して経済的には危機になっているのだが、国の規模が小さく大国の狭間にあることで、政権の抑圧機構が維持されているということだろう。

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