2015.02.07

       いつだったか中国新聞で相田和弘という映画監督が意見を書いているのを読んで興味を持ち、「熱狂なきファシズム」(河出書房新社)を図書館で予約しておいたら、忘れた頃に順番が廻ってきてこの間の日曜日に借りて、半分位読んだところである。この人の文章はあまり面白くないので、拾い読みになってしまう。映画の話はまた纏めるとして、表題の意味は予想した通りであった。ヒットラーは民衆の熱狂を作り出して全体主義国家を作ったのであるが、安倍首相はむしろ民衆に気づかれないようにして目的を達しようとしている。その目的は自民党の掲げる憲法草案にはっきり書いてある。

・第13条、生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、現行憲法では公共の福祉に反しない限り、という但し書きがついているが、自民党の案では公益および公の秩序に反しない限り、という但し書きに変えられている。公共の福祉に反しないというのは他人の人権を侵さないという意味であるから、その調整は個別調整に任されているが、公益や公の秩序というのは国や社会が認める秩序という意味である。この解釈は自民党自身の憲法案の解説にも書いてある。

・第11条、集会、結社および言論その他一切の表現の自由については、現行憲法では制限が無いが、自民党案には公益および公の秩序を害することを目的としない限りにおいて、という但し書きが付いている。これは明治憲法における、法律の範囲内において、という但し書きと同じ趣旨である。自民党の案は公益および公の秩序というものの定義が時の政府によって恣意的に定められることを考えれば更に性質が悪い。本来表現の自由の行き過ぎは個別に国民の間主観的な判断や裁判所の判断に委ねられるべきものである。憲法はあくまでも国家を拘束するものなのだから。

・実際に、現行憲法99条に、公務員はこの憲法を尊重し擁護する義務を持つ、と書いてあるのはそのこと(立憲主義)である。しかし、自民党の憲法草案102条では、すべて国民はこの憲法を尊重しなければならない。公務員はこの憲法を擁護する義務を負う。と書いてあって、公務員が憲法を武器にして国民を拘束する、というちょうど逆の構造になっている。つまり国民主権ではない。

・自民党案には第9章があって、緊急事態には憲法を停止して内閣が絶対的な権力を与えられ、その行為については事後に国会の承認を得る、ということを明記してある。

      このような考えは要するに(統帥権を除けば)戦前の大日本帝国憲法に近づくということなのだが、安倍首相はそれが多くの国民に支持されないことを自覚し、議論を起こすことなく粛々として外堀を埋めている。秘密保護法や集団的自衛権の解釈変更、、、。選挙に勝ちさえすれば後は何でも可能になる。そのために採った方法がアベノミクスである。禁じ手とされてきた日銀の国債引き受けで大量の円を印刷し、辛くも守られてきた国民年金や厚生年金を株式市場に解放して、円安と株高を誘導している。いつか息切れしてくれば、国家財政と年金が危うくなることは折込済みであろうが、それまでに日本を是非とも「戦争の出来る国」にしたいということである。「国民の敵」さえ作れば世論の誘導は容易である。満州に理想郷を築こうとして陸軍の暴走と太平洋戦争突入で潰えた国家社会主義者の夢が、アメリカの助けによって実現されようとしている。。。選挙において、安倍首相の本当の目的は争点とならなかった。意図的にしなかった。(自民党の憲法草案を争点にしようとしたのは唯一日本共産党であったし、そのことで議席数を伸ばしたのであるが。)アベノミクスや消費税問題を格好の隠れ蓑に使ったのである。争点がぼかされた選挙であったから投票率が低く、自然に組織票が優位になり、自民党の圧勝となった。

      もっとも、日本の選挙制度は政策論争が出来ないような構造になっている。候補者の名前を入れて政策を訴えるチラシの数は制限されていて、とても選挙区をカバーできない。議論の出来る戸別訪問は禁止されている。選挙管理委員会が討論会を開くこともない。有権者は結局名前と顔のポスターと宣伝カーからの連呼に触れるだけである。新聞も候補者の真意を探らない。自然に地縁血縁、組織に頼ることになる。しかも日本の場合立候補するにも供託金(300万円)が必要である。泡沫候補を防止するためならば、推薦人を増やせばよいだけなのに。。。と、ここまで読んで疲れてしまった。もう寝よう。

      「熱狂なきファシズム」の後半は彼の「観察映画」の話である。あらかじめの筋書きなして興味ある現実をひたすら撮ってから纏める。生の現実を切り取って見せる、というやり方で、選挙運動とか精神疾患とか、いろいろな社会的問題に新たな見方を提供しているようである。とは言ってもこれは実際の作品を見ないと意味がないので、書かれたことはすっ飛ばした。この本は次の人が待っているので早く返却しなくては。彼の観察映画があるかと思ってYou-Tubeを探したのだが、予告編くらいしかなかった。替わりに戦争とファシズム映画祭での彼といろいろな人との対談が沢山あった。

池田浩士というドイツ文学者との対談 が面白そうだった。池田氏がドイツ文学を志したきっかけとなる小説を書いた人はナチスの代表的な作家であった。ナチスは否定的にしか語られないが、その時代を生きた人にとっては、実は良き時代であった、という話。ワイマール時代には失業率が40%を超えて大不況だったのだが、1933年にヒットラーが政権を取り、5年間で殆どゼロに近くなった。秘密は最初の頃は親衛隊によって組織されヴォランティアとして始まった失業者の臨時雇用が賃金約1/5での強制労働となったからである。これはドイツの企業を大いに潤し、ドイツの経済復興と同時に再軍備の原資となった。当時の人々の記憶には、全ての人に役割があり、生きがいを感じた良き時代として残っている。その後1938年にポーランド侵攻し、やがて敗戦にいたる過程は極めて厳しい時代だったにも関わらず、それは記憶の中では小さくなってしまう、ということである。この辺まで見たところで、雑音が入ってきて残りを見ることができなかったのは残念であった。

<目次へ>  <一つ前へ>  <次へ>