2015.02.01

      細川俊夫の最初のオペラ作品「リアの物語、Vision of Lear」を見た。アステールプラザ2階大ホールの向かいが能舞台を備えたコンサートホールになっている。普通の能舞台に比べると反響が長くて、西洋のオーケストラ向きである。舞台の左側、亡霊が出てくる廊下の手前にオケが構える。この作品は1998年のミュンヘンが初演だそうであるが、日本では久しぶりである。原作は鈴木忠志の演劇だそうで、老人ホームに居る一人の老人の抱く幻想世界としてシェイクスピアのリア王の筋が語られる。細川氏はそこに現代社会の矛盾の表現を見て採りあげたのだが、普通のオペラではなく、能に見られるような身体の様式感を取り込もうとした。それは本来シェイクスピア劇とも共通する筈のものだから。結果的には殆ど能のような動作に語りと叫びを組み合わせた台詞、それに象徴的な小道具が使われるものになった。ともあれ、舞台ではリア王の悲劇が演じられ歌われる。能はシテとワキで構成されるが、これはオペラだから、登場人物が多い。なお、演出はルーカ・ヴェジェッティというイタリア人である。主役のリア王以外は広島で活躍する人たちであった。去年のフルート・フェスティヴァルで招待した折河宏治さんも入っている。右手では登場しない歌手が時折集団となって叫び声などを発する。登場人物の内リア王だけは能の所作から外れて狂気を演ずることで、この物語が彼の幻想世界であることを暗示させている。つまり、観客は彼の目で物語を見る。まあ、そんな具合で筋が語られる。

      リア王が隠居したく思って3人の娘を呼び出し、父親への愛を語らせて、上の2人がうまく語ったので彼女等に国を分け与えるが、末の娘は正直に夫が第1であるというのでフランスに追放される。国を渡した途端に、リア王はのけ者にされて、忠実な部下、グロスター伯爵の元へと庇護を求めるが、その息子エドガーは私生児エドマンドの陰謀に騙されたグロスター伯爵に追放されていた。エドマンドは更にリア王の2人の娘に取り入り、王を助けようとしたグロスター伯爵、つまり父を密告する。グロスター伯爵はリア王の娘達に眼を抉られ、それを乞食に身をやつしていた息子エドガーが助ける。まあ、その脇話が唯一明るいものである。他の登場人物は全て不幸な死を遂げるのである。

      現代への寓意であるが、リア王はよく考えもしないで野望を抱いていた娘2人に国を与えてしまった、というところを、国民はよく考えもしないで、野望を抱いていた安倍晋三に国の統治権を与えてしまった、という風に解釈すればよいのであろう。

      しかしまあ、そんな舞台での展開よりもそれを突き動かしていくような細川氏の音楽が面白かった。編成は弦楽器が半分で、打楽器が多い。あとはハープである。それと一番重要な管楽器はフルートとクラリネット。弦楽器は擦れるような雑音的な音である。それを背景にして太鼓がアクセントを与え、フルートは尺八的な音とか能管のような音とか、まあこれは大した技量である。クラリネットも不気味な音型で活躍する。この2人の管楽器は本当に大変である。全体としてはやはり能の音楽を想起させる。そしてそれらをまとめるのが若い指揮者川瀬賢太郎である。アフター・トークで、一ヶ月間広響のメンバーと缶詰になって何とかこなしたといっていた。

      最後に、細川氏の目論見としては、広島から世界で通用するような新しい日本的な音楽を発信していこう、ということであった。東京では海外の優れた音楽を輸入するのに忙しくて、自ら育てて発信していくような活動が少ない。(これはオペラに限っての話だったが。)かえって広島のように広響を始めとした地域の音楽家が揃っていて適度に聴衆が居て、しかもこの反響の良い能舞台のような設備があるところが適している、ということであった。
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