「遅延隔離SIQRモデル」の経緯 2020.07.15 槇 和男

・・・感染症に対する疫学的モデルとして最も良く使われているのが、SIRモデルで、ペストの流行をうまく説明出来たらしい。集団内の感染と治癒(あるいは死亡)を平均化して、確率的に扱う。一人の感染者が一日あたりで何人に感染させるか、というのは、周りに居る未感染者数に比例すると考える。だから、感染拡大の初期にはねずみ算的に倍々ゲームで増える。数学的には指数関数 exp(λt) で表せる。感染が集団内でかなり拡がると、未感染者が少なくなるから、感染速度が収まってきて、、最終的には全員が感染してお終い、というモデルである。この全体の様子が SIRモデルで再現出来たということである。

・・・今回の新型コロナウィルスについては、(少なくとも日本では)まだ感染初期段階と考えられる。感染者の検査は感染に対して遅れるので、その発見感染者数の推移は、全体の感染者数の推移から時間的に遅れて、発見率の割合だけ一律に縮小されて出てくるから、それを exp(λt) で近似すれば、感染拡大係数 λ が推定できるが、発見率は判らないので、全体は未知のままである。λ が正であれば、感染は拡大し、負であれば感染は終息に向かうことを意味する。λ を 感染係数と治癒率の差

   λ=α−γ

と解釈するのが SIRモデルである。

・・・これに対して、最近小田垣氏が提案したSIQRモデル(モデルの数式自身は調べると過去にも提案した人が居たようであるが、)では、検査して隔離することでも感染者数が減る、ということを方程式の中に表立って取り入れている。全感染者数を、隔離されていない感染者数 I と隔離されている感染者数 Q とに分けて考えて、前者だけが感染拡大に寄与するとするのである。そこで、新たに、全「未隔離」感染者数(I)の内で 一日に検査隔離する割合を 隔離率 q0(論文ではこれを q と表記しているが、ここでは便宜上こうする) としている。感染の振る舞いはやはり指数関数的であり、

    λ=α−γ−q0

となる(論文では α=βN)。こういう表現にすることで、感染対策に2つのアプローチがあることを強調し、その効果を個別に論ずるのが論文の目的である。

・一つは未隔離感染者を未感染者から遠ざけたり、ウィルスの飛散や付着を避けることで、ロックダウンがその究極である。この効果は α を下げる。

・他方、隔離率 q0 を上げることでも感染を抑えることが出来る。隔離率を上げるということは検査を効果的に増やす、ということである。検査数と直ちに比例する訳ではないが、増やせば隔離率は確実に上げられる筈である。

・γ は医学的に推定できて、λ は発見感染者数の推移から推定できる。ここから α と q0 を分けて推定するためには、上記の2つの対策がどういう風に行われてきたか、という別の情報が必要であるが、小田垣氏の論文では、日本の3〜4月のデータから巧妙に推定されている。その推定自身が正しいかどうかは読者に依存するかもしれないが、ともかく、その(仮)推定の α と q0 を使って、それらをどう変えたら感染が効果的に押さえ込めるか、というシミュレーションを行っている。日本では非常事態宣言を出して、α を下げることで感染を終息させたのだが、検査体制を充実させて q0 を上げることで社会的負担を軽減して終息できたはずである、というのが論文での主な主張である。政府はその努力を怠って、国民に社会的負担を強いている、という事である。これは当時マスコミでも言われていたことで、その結果として小田垣氏の論文も取り上げられることになり、私の知るところとなった次第である。

(文献)Takashi Odagaki: Analysis of the outbreak of COVID-19 in Japan on the basis of an SIQR model, June 3,2020
https://www.medrxiv.org/content/10.1101/2020.06.02.20117341v1


・・・私は、小田垣氏を応援したい感じで受け止めていただけで、感染症については知識も興味も無いので深入りするつもりはなかった。しかし、この主張に対して、一部の人達が猛烈な反論をして、激論となったために、友人に協力を要請されて、小田垣氏の論文を読んで解説することになった。論文を読んでみて、 SIQR モデルは SIRモデルの自然な拡張になっていて、考え方を整理する為に有用だと思ったし、その主張にも同意できた。ただ、今回の感染症に対しては、もう一つの因子を入れた方が良いかも知れないと思った。それは小田垣氏が次に考えたいということでもあったのだが、未発症感染者の問題である。発症した感染者しか検査しない場合には、発症するまでの間、つまり潜伏期間 τ日間検査にかからずに、他の人に感染させるからである。つまり、検査隔離が潜伏期間 τ日後の未隔離感染者に対してしか行われない、というモデル、「遅延隔離SIQRモデル」を考えた方が良いだろう。モデル自身は少し複雑になるが、感染者数の推移が指数関数的に振る舞うという性質は同じである。ここで、同じλを持つ場合のSIQRモデルでの隔離率を q0 と表記して、新たに、「τ日後の」全未隔離感染者を検査隔離する比率を q と定義したのはその為である。(τ=0 のときには q=q0 である。)そうすると当然、

    λ=α−γ−q0

であり、q0 が新たに q と τ の関数となる。この関数は、λτ が 0 に近いという条件(exp(λτ)≒1−λτ)以外では、簡単な式では表せない。しかし、重要な結論は、感染が収束するかどうかの境目、つまり λ=0 近傍の場合であるので、これで議論が出来る。例えば、遅延隔離をτ日後瞬時に完全に行ったとすると、q=∞ つまり 1/q=0 となり、

    λ=α−γ−q0=(1/τ^2){τ−1/(α−γ)}

と近似できることが判る。感染が終息に向かうためには、λ<0 であるから、

    τ<1/(α−γ)

が必要条件となる。これを満たさないと感染拡大を抑え込めない。つまり、検査隔離が感染から 1/(α−γ) 以上経過する場合は、例えその全員を瞬時に隔離しても、感染拡大を抑え込めない、ということである。実を言うと、この結論は複雑な計算をしなくても導ける。τ日後に感染者が隔離されてしまうというのは、平均化すれば、治癒率 γ が 1/τ だけ増加することと、振る舞いとしては、同等であり、その時は

    λ=α−γ−1/τ

となるからである。

・感染拡大局面の振る舞いを指数関数で近似して、λを推定すると、0.1/day前後となっているようなので、α−γ>α−γ−q0=λ であるから、τ>=10 日 程度以上では、隔離だけで感染拡大を抑えるのは不可能である。すなわち、多少とも、αを下げる努力(社会的距離他の感染対策)が必須となる。この遅延の壁を破る方法は、勿論、「無症状感染者の早期隔離」であり、感染者と接触した無症状者を重点的に検査することが極めて有効となる。既に行われている事ではあるが。。。

・・・東京都のデータ
https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/cards/number-of-confirmed-cases/
を対数化最小自乗法で区間近似した結果を示した。

3/10〜4/11:λ=0.1426;
細かく見ると、3/10〜3/29:λ=0.1632
                     3/29〜4.11:λ=0.1252
4/11〜5/1:λ=-0.0411;
5/1〜5/22:λ=-0.1641;
5/22〜7/14:λ=0.0626
それぞれの区間内(その約2週間前)は、感染対策(α や q0,q)がほぼ一定であったと思われる。
勿論、境界近辺では連続的に変化している筈であるが。。。
感染対策に影響が考えられる主なニュースから想像する。
2月13日:国内で初めて感染者死亡 →3/29 の微小変化に影響したか?
2月27日:安倍首相 全国すべての小中高校に臨時休校要請の考え公表 
3月9日:専門家会議「3条件重なり避けて」と呼びかけ 
3月29日:志村けんさん死去 新型コロナウイルスによる肺炎で→4/11 の変化
4月7日:7都府県に緊急事態宣言 「人の接触 最低7割極力8割削減を」 
4月16日:「緊急事態宣言」全国に拡大 13都道府県は「特定警戒都道府県」に→5/1 の変化 
5月4日:政府「緊急事態宣言」5月31日まで延長  
5月14日:政府 緊急事態宣言 39県で解除 8都道府県は継続 →5/22 の変化に影響したのか?
5月21日:緊急事態宣言 関西は解除 首都圏と北海道は継続 
5月25日:緊急事態の解除宣言 約1か月半ぶりに全国で解除 →6/6 以降に影響しているか?
6月2日:初の「東京アラート」 都民に警戒呼びかけ 
・・・
・・・乗りかかった船なので、東京都の新規発見感染者数(ΔQと記す)を遅延隔離SIQRモデルで解釈してみた。対数表示が便利なのだが、実感を重視して、通常の表示も示した。検査隔離の遅延 τ は10日とした。他のパラメータは、感染率α、治癒率γ、隔離率q である。αは社会的距離の確保で下がる。γは医学的に決まる。qは検査を頑張れば上げられる。これらで決まるのが、感染拡大係数 λ である(ΔQ∝exp(λt))。ΔQの対数の傾斜(λ)が変化するところで区間を区切り、その区間を τ 日前倒しして、その区間内でパラメータを決める。
ΔQ基準での区間__ λ___ α−γ ___ q__ τ
4/11まで________ 0.14 0.158 0.12 10
4/12〜5/1______ -0.04 0.0237 0.09 10
5/1〜5/22______ -0.13 -0.0029 0.12 10
5/23以降________ 0.07 0.117 0.3 10



ΔQ基準での区間境界ではΔQの対数の傾き(λ)が変化するが、それよりも τ日前においては、市中感染者数の傾きが変化するだけでなく、ΔQが不連続に変化する。それは q の変化による(検査数の増減による陽性者の増減)。こういったことを考慮すると、これらのパラメータの絶対値には推定の自由度があるが、その区間毎の変化はおおむね現実を反映していると期待したいが、他のパラメータの微調整次第なのかもしれない。市中感染者数はモデル計算でしか判らないのだが、既に過去最大を超えている。また検査隔離の努力もかなりされている(q が0.12→0.3)ことから、これ以上の感染拡大を防ぐには社会的距離を取る努力が必要だろう。長期的には、未発症感染者の捕獲(接触アプリ等、これは τを下げる)が有効だろう。
因みに、q を全て2倍に設定しても、初期値を下げれば実データをほぼ同じように再現する。
ΔQ基準での区間 λ___ α−γ___ q ___ τ
4/11まで_____ 0.14__ 0.166__ 0.24_ 10
4/12〜5/1____ -0.04_ 0.044__ 0.18_ 10
5/1〜5/22____ -0.13_ 0.0186_ 0.24_ 10
5/23以降 _____ 0.07_ 0.1266_ 0.6 _ 10
制約条件としては、γ が医学的に 0.03 程度であるから、α−γ>-0.03 でなくてはならないことと、
検査が一日単位であることを考えれば、q があまりにも大きいのは不自然であること、くらいである。
元々の SIQR モデル(τ=0)では、ΔQ=qI(t) であるため、q を変えると、推定される市中感染者数(I(t))が 1/q になるのだが、
τ=10 の場合は、あまり変化しない。この辺は好都合なところかもしれない。

 
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