2022.05.25
『進化の技法』ニール・シュービン(みすず書房)は面白い。

第1章 ダーウィンの5文字の言葉
・・・生物種の間の大きな差異が突然変異の自然選択だけで連続的に生ずるのは理解しがたい、というセント・ジョージ・ジャクソン・マイバートのダーウィンへの反論がダーウィンによって採りあげられて、その回答が「機能の変化」であった。つまり、生物種で発達した器官は必ずしも元々の機能を果たす必要はなく、環境への適応に促されて全く別の機能を持つように少しずづ変化する。実際、魚類から両生類への進化で不可欠な器官、肺や手足はもともと魚類が持っていた別機能の器官であった。DNAゲノム解析が可能になって、非常に多くの実例が得られている。

第2章 発生学の胎動
・・・発生学は大きな卵の観察から始まった。そこで見いだされた進化のメカニズムは、発生途中でのちょっとした変化によって全く別の動物が生まれてしまう、ということだった。
・・サンショウウオは発生途中までは水中生活に適した魚類的な形をしていて、環境が変わらなければそのままであるが、陸上生活を余儀なくされると、よく知られるサンショウウオの形に変わる。
・・チンパンジーの子供は人間の子供とよく似ている。人間の身体の特徴の殆どは成長を遅くすることで出来上がる。
・・劇的だったのは、脊椎動物の祖先がホヤに近いという発見であった。ホヤが発生途上までは脊椎を持つからである。しかし、成熟するとホヤは岩に固着してしまうので脊椎を失う。ただ、成長が途中で止まれば良いか(幼生進化)というとそうでもなくて、さまざまな特徴的な変化が必要である。重要な変化を発見したのはジュリア・バーロウ・ブラットという人だった。彼女は従来骨の由来が中胚葉とされていたのに対して、頭骨が外肺葉由来であることを発見して、それが定説に反していたので研究職に就けなくて、市長になった。その後、発生途上の脊髄から移動した一つの細胞が鰓弓に移動して骨を作っていたことが判り、この一つの細胞が脊椎動物たらしめる全ての器官になることが明らかになった。

第3章 ゲノムに宿るマエストロ
・・・DNAの発見が1953年。1960年代に、ポーリングとツッターカンドルは動物の赤血球のアミノ酸配列を比較して、進化上の距離の違いがアミノ酸配列の違いで推定できる(生物時計)事を提案した。アラン・ウィルソンとメアリー=クリア・キングはチンパンジーとヒトの殆どのタンパク質が分子量や電荷において差がないことを見いだした。つまり、身体上の相違はタンパク質をコードする遺伝子の相違によるものではないかもしれない。
・・・21世紀になってゲノム情報が飛躍的に増大した。遺伝子はその全ゲノムの2%程度しかない。フランソワ・ジャコブとジャック・モノーはゲノムが遺伝子とそれを制御するスイッチの隣接した配置から成ることを発見した。デイヴィッド・キングスリーはイトヨという魚を研究し、ヒレの数や体形や体色の多様性を生み出す変異がゲノムのスイッチ部分にあることを見いだした。ヒトとチンパンジーの違いもタンパク質をコードする遺伝子にはなくて、発生途上で遺伝子のスイッチが働くタイミングにある。

第4章 美しき怪物
・・・多様性(奇形)こそ進化の原動力である。
・・・ウィリアム・ベイトソンは奇形と進化の関係に着目し、多くの例を集積した。トーマス・ハンド・モーガンは世代間隔の短いハエに着目し、奇形と染色体の縞模様の関係を発見した。弟子のカルビン・ブリッジズは奇形変異が遺伝することを示した。エドワード・ルイスはショウジョウバエのバイソラックス変異と染色体の関係を探求して体の基本構造と同じ並びの染色体が支配していることを発見した。1978年に彼がその成果を発表してまもなく、遺伝子はDNA解析で研究できるようになった。マイク・レビンとビル・マクギニスはRNAに色素を付けて、遺伝子が活性化している胚の場所を観察する方法を編み出した。ルイスが予言した通り「似た配列を持つ数珠繋ぎの遺伝子群」が見つかった。各遺伝子はハエの異なる体節で発現していた。ミミズ、カエル、マウス、ヒトにもそのような配列群があり、これは動物における共通要素であることが推定された。
・・・ニパム・パテルはハマトビムシに着目して、その頃開発されたゲノム編集技術を使い、DNAの一部を切断して発生への影響を調べた。ルイスの遺伝子群の一部を切断すると、対応する体節が別の機能へと切り替えられた。脚の向きが変わったりする。今まで別の種とされていた動物の間の体節機能分布の相違はこの遺伝子群の変異によることが判った。ヒトなどの哺乳類ではこの遺伝子群を Hox 遺伝子群と呼んでいる。マウスで実験が行われ、仙椎となるべき場所が腰椎となったマウスが作られた。マウスでは Hox 遺伝子群が体の前後軸に沿った脊椎を肋骨の形成を支配しているだけでなく、頭部、四肢、消化管、生殖器等を胚の段階で決めている、体の分節構造を切り貼りする遺伝子群である。
・・・動物の脚は、全て共通して、腕の基部から上腕骨(上腕)が伸びて、橈骨と尺骨という2本の骨(前腕)に繋がり、その先に手首と指の骨の集まり(手)がある。それぞれに Hox 遺伝子群が対応している。マウスでは「手」の欠ける奇形が作られた。これらの遺伝子群は陸上動物の脚に特有のものではない。魚類で脚に対応するのは鰭(ヒレ)である。Hox 遺伝子群を欠損させることで、鰭条(ヒレの骨)を欠いた奇形が生まれた。これは哺乳類での「手」に相当する。
・・・古来の遺伝子を改変したり使いまわしたりすることで進化が起きる。新たな器官は元の器官とは似ても似つかないのだが、別の発生経路を経て流用されている。

第5章 進化というモノマネ師
・・・大野乾は染色体を染め上げて、哺乳類の染色体を調べた。その種による染色体数に大きな違いがあるにもかかわらず、総重量はほぼ同じだった。ところがサンショウウオの染色体重量は5-10倍も大きかった。動物種間の相違は染色体の数や量にはあまり依存していない。多い場合は重複が起きているのである。生殖細胞が作られる時に一部の染色体の配分に異常が起きる。これは胚の発生に影響を及ぼし、奇形の原因となる(パトー症候群、エドワーズ症候群)。しかし、染色体の総数がそのまま2重化された場合には、発生に大きな影響は与えず、逆に機能上不要となった染色体が別の機能に使われるために、生命力が高くなる。ただ、このような多重染色体個体は植物では子孫を残せるが、動物では大抵の場合生殖能力を持たない。
・・・染色体の多重化は、余分な染色体が新たな機能を持つことで進化の原動力となる。成長段階で使い分けられるヘモグロビン、多くの組織中タンパク質、多種の組織のケラチン、色覚用のオプシン、嗅覚受容体遺伝子、Hox 遺伝子等、全てコピーされた遺伝子の使いまわしから作られている。それぞれが遺伝子ファミリーと呼ばれている。
・・・発生途上の脳の細胞を培養する(オルガノイド)ことで、ヒトとアカゲザルの比較が行われ、ヒト特有の皮質領域を生み出す遺伝子 NOTCH2NL が見つかった。これを発生途上のマウスの脳に入れると、マウスで皮質領域が大きくなった。この遺伝子は3つの内の一つであり、それらは、霊長類の祖先の持っていた NOTCH という遺伝子の重複から出来ていた。この部分に損傷が起きると、脳のサイズに異常が起きて、大抵の人は統合失調症や自閉症に陥りやすくなる。
・・・バーバラ・マクリントックは女性故に遺伝学の研究が許されず、園芸学を専攻してトウモロコシを研究した。トウモロコシの実は一つ一つが個体であるから、遺伝の研究に適している。染色体の一部に損傷しやすい部分がある事を見つけ、しかもそれがゲノム全体のいろいろな処に移動していくことを発見した。色素を産生させる部分に入ると色素ができなくなり、飛び出すと色素が出来始めることが判った。この跳躍遺伝子の発見は信用されず、数十年間放置されたが、1977年になって、細菌やマウスで見つかり、ヒトでは実に70%もの遺伝子がこの跳躍遺伝子のコピーであることが判った。このような遺伝子は生殖過程においてそれ自身のコピーを作り、さまざまなゲノム位置に入り込むように出来ていて、普通のタンパク質を作る遺伝子に比べれば増殖能力が優っているのであるが、増えすぎると個体そのものの生存が不可能になるために、70%程度が限界となっている。

第6章 私たちの内なる戦場
・・・ヴィンセント・リンチは脱落膜間質細胞に着目した。哺乳類において母体と異物である胎児とを繋ぐ細胞である。繊維芽細胞がプロゲステロンの働きで分化してできる。調べると、数百個の遺伝子が同時に発現していた。それらの遺伝子スイッチの全てにプロゲステロンとの結合部位があった。スイッチ部分には共通して跳躍遺伝子の痕跡があった。一つの跳躍遺伝子がプロゲステロン活性を持つような変異を起こし、それがゲノムの多数の場所に拡散していったのであった。DNAは跳躍遺伝子を不活性化し跳躍能力を封じ込めるような短い配列を持っていて、跳躍遺伝子がその場所で役に立つことが判るとそれを定着させる(飼い慣らし)。
・・・シンチオンは、胎盤において、胎児と母親との間で栄養素や老廃物を交換することに寄与している重要なタンパク質である。この遺伝子の配列を調べてみると、動物の中には見当たらず、HIV に全く同じ配列が見つかった。元々ウイルスが感染先の細胞と接着して細胞に入り込むためのタンパク質だった。何らかの原因でウイルス全体ではなく、この媒介機能を持つタンパク質の遺伝子だけが感染先の細胞に組み込まれた(無毒化された)と考えられる。
・・・ジェイソン・シェパードは記憶に関わる遺伝子 Arc に着目した。神経細胞同士の隙間で発現し、発現しないと記憶が成り立たない。ところが、彼がタンパク質を精製していくと最後に消える。原因はそれが中空の巨大な球体で、フィルターに引っかかってしまったからであった。これは HIV が作るウイルスのカプセルだった。他の動物の遺伝子を調べてみると、これが陸棲動物特有の遺伝子であることが判った。ウイルス感染は約3億7500万年前に起きていた。ハエの場合は同じく Arc を持つがウイルスは別の種類であることも判った。ヒトゲノムの8%程度はウイルス由来らしい。それらは化石のように眠っている。

第7章 重りの仕込まれたサイコロ
・・・環境適応に必要な器官は眠っている遺伝子を活用して発生するから、同じような器官を持つからといってお互いに近縁であるとは限らない。全く別の進化系統で同じ器官が出来て来ることが多い。

第8章 生命のM&A
・・・リン・マーギュリスは細胞の内部の小器官、ミトコンドリアと葉緑体が酸素消費型細菌やシアノバクテリアに由来することを主張したが、誰にも認められなかった。1980年代になってDNA配列決定技術が進歩してきて、やっと実証された。生物同士が融合して進化が起きたのである。
・・・今日では古い地層の岩石から生命の痕跡を検出することができる。地球と太陽系が出来て5億年後には既に生物が居た。20憶年後までは単細胞生物だった。硫黄や窒素を利用する種、光と二酸化炭素を利用する種、酸素を利用する種など、さまざまな代謝系が進化した。その中でもシアノバクテリアが繁栄して、大量の酸素を排出し続けた。酸素を利用する細胞がシアノバクテリアと融合したとき、タンパク質合成の効率が飛躍的に増大した。
・・・多細胞が出来るときに必要なタンパク質はそれまでの単細胞生物が集合構造を作る為に利用していたものであった。細胞も遺伝子も自らを無限に増やそうとする。それを調整する細胞や遺伝子も必要となった。
・・・フランシス・モヒカは高塩分濃度下で生息する細菌のDNAから不思議な回文構造の配列を発見した。回文配列の間のスペーサー部分を調べると、その細菌が耐性を獲得したウイルスの配列だった。この回文配列がガイド役のタンパク質を作り、それが分子サイズのメス(Cas9)を導いて、ウイルスのDNAを切断するのである。これを使って、あらゆるDNAを編集する技術(CRISPER-Cas9)が生まれた。

エピローグ
・・・進化は直線的でもないし、順を追った出来事の連鎖でもない。新たな進化の準備はいろいろな形態で蓄積されて利用されることを待っているが、起きるか起きないかは偶然である。ヒトのゲノムの10%は太古のウイルスであり、60%以上は跳躍遺伝子の暴走(転移コピー)であり、我々自身の遺伝子は2%程度である。

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