2021.08.18
NHKスペシャル「開戦 太平洋戦争~日中米英の知られざる攻防~」
https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/3PV78WLVQ2/
:蒋介石の日記を10年かけて解読した中国人研究者が居た。

・蒋介石の戦略。上海事件は用意周到に準備されていた。国際都市を戦場にすることで西欧諸国の関心を惹こうとした。外国人ジャーナリスト向けに電信料を下げた。しかし、それでもアメリカは日本と戦う事に消極的であった。

・近衛はドイツを仲介として中国と講和しようとした。しかし、日本軍が南京を攻略してしまったので、それに気を良くして内閣は和平条件を釣り上げた。中国国内はこれで固まった。近衛は「以後蒋介石を相手とせず」と声明。

・蒋介石は長期持久戦に入った。アメリカ内でプロパガンダをした。「アメリカの姿勢が日本の侵略を助けている」と。スティムソン委員会の活動。「アメリカはイギリスと違って世論を重視する国家である」。

・ヨーロッパで戦争が始まり、援蒋ラインが途絶えた。このままでは耐えきれなくなる。しかし、1940年9月27日、思いもかけない転機が訪れた。日本の三国同盟である。日本にとっては何の益もなかった。日本はドイツの勝利を信じていたから、東南アジアの利権を分け合うために同盟を結んだのである。

・蒋介石は抗日戦の中止をちらつかせて米英との同盟を進めようとした。その一方で蒋介石と近衛は講和を交渉していた。汪兆銘を認めないことと日本の撤兵が条件である。しかし、「汪兆銘に逃げられたら誰が責任を取るのか?」という発言で内閣は黙り込んでしまった。近衛は一転して汪兆銘にかけて、ついに日中講和の可能性が無くなった。

・1941年、日本は石油を求めて南部仏印に進駐。蒋介石は太平洋会議(英米)に参加を要請したが、認められず。日米は共に対戦を避けようとしていた。ルーズベルトの対日和平案には中国からの撤兵の項目が消えていた。

・蒋介石は英米に訴えた。チャーチルが反応した。中国が崩壊すれば厄介なことになる。イギリスが東南アジアで日本と戦うようになってしまう。チャーチルがルーズベルトを説得して、アメリカは日本に最後通牒を突き付けた。そしてついに日中開戦となり、蒋介石は目的を達した。

・しかし、長期持久戦の間に共産党の成長を許してしまった。漁夫の利である。

・この経緯を見ると、近衛文麿という人は随分と気分屋だったように思える。

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