2021.07.21
大西広2011年京大退官講演 https://www.youtube.com/watch?v=7So9vSkf-Ck を見た。(これは東日本大震災よりは前の講演だろうと思う。)
 マルクス的な見方の経済学として、生産力の様式が歴史的に発展していく途中に「資本主義」を位置づけている。

・「封建制」の時代は、生産様式として「道具」を使った職人仕事が支配的であった。徒弟関係、小規模経営、職域保護の為の同業組合、という形態を採る。

・「資本主義」の時代では、生産様式として「機械」が導入される。機械というのは導入の為に労働力の集中が必要であるので、「資本」が必要である。マルクスが分析したように、労働者は機械(資本)の付属物となり、労働に熟練が不要となるので、容易に交換できるものになる。投下された資本は利潤を生みだし、それが再度資本となり、新しい機械を生み出していく。こうして市場がある限り、生産力は増大していく。この観点からはソ連も中国も資本主義国である。市場という観点からの自由が制限されている点が異なる。(機械の開発、つまり研究開発という労働については熟練労働が残ると思うが、この点については触れていない。)

・大西氏の生家は京都の田舎で電器店を営んでいたが、そこでの労働様式は顧客獲得という熟練労働であった。だから、新しい従業員を雇っても彼の顧客は店の顧客ではなかったために、競合店として独立されてしまった。

・社会は異なる利益集団に分かれており、それぞれの利益集団には固有の正義があるから、決して合意することはない。どの程度で妥協するかは力関係で決まる。経営の立場と労働者の立場は両立しない。立命館大学の発展史が語られた。

・「労働価値」というのは、価値の源泉が労働にある、という考え方である。その立場に立つと、労働が二種類になる。一つは直接的に機械の付属物として機械を操作して、消費財を生み出す行為であり、もう一つは機械を作るという行為である。

・大学院生は上記の考え方を数式で表現した。
労働力投下量を L、機械の生産力(数×性能)を K で表現し、消費財生産量を Y で表す。
労働力の内で直接的労働の比率を s で表現する。
消費財生産は機械の生産力×投下労働量であるが、適当に係数 A や指数 α,β をパラメータとして入れて、

    Y(t)=A×[s(t)L]^β×K(t)^α

と表現する。
機械の生産を

    dK(t)/dt=B×[1-s(t)]×L(t)

と表現する。パラメータとして B が必要になる。
(機械には耐用年数(償却期間)があるのでその項も入れた方がよいかもしれない。)
次の式が良くわからない。

    Max: U=∫exp(-ρt)×logY(t)dt:∫は無限過去から無限未来まで。

この説明として、一つの時点において、
過去に投下された機械生産労働(1-s(u<t))L + 現在の直接生産労働 s(t)L の和に対して、
現在における最大の消費財生産量を与えるように、s を選択する、という説明があるのだが、
式とは対応していないように思える。
ともかく、これを使って計算すると、K/L つまり全労働力に対するの機械生産力(資本)の比率が飽和する。
 s を最適化するようにすると、資本の増大(機械の増産)の意味が無くなる。
これは利子がゼロになることを示していて、資本主義の臨界点と解釈できる。
そこから先の時代は消費材以外の、まあ例えば非商品的文化の価値を求める時代となる。
これがマルクスの理想社会ではないか、という事である。
しかしまあ、このモデルはあまりに単純であって、実際には資本が新たな市場と技術革新を手にして、繰り返し脱皮してきたのではないだろうか?
もう一つの結論として、中国の場合まだその飽和点に達していない、という計算結果だそうである。
また K/L の増加速度が大きい時代には労働者の賃金よりも将来への投資に比重が置かれるために、国民に我慢を強いる国家資本主義とならざるを得ず、現在の中国はまだその段階であるという。中国の強権的な政策を擁護している。まあ、それも一つの見方かもしれないが、この調子で世界中の国が飽和点に達する前には地球環境や資源の限界にぶつかるのではないだろうか?そちらの方が重要な課題のようにも思える。

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