2017.07.05
島泰三「ヒト−異端のサルの一億年」(中公新書)を読み終えた。何時だったかアルパークのフタバ図書で見つけた本である。変異種がどうやって自らのニッチな餌を見つけてくか、という観点から猿→人間、更に日本人まで語っている。自らの類人猿観察体験に基づいている分だけ、結構主観的ではあるが、なかなか面白い。但し全体像を掴むにはこの本の説明では足りない。

・・・6600万年前、巨大な隕石の衝突により、裸子植物と恐竜(爬虫類)の時代が終わり、被子植物と昆虫、鳥類、哺乳類の時代(新生代)が始まった。昆虫や果実を主食とする原猿類はユーラシア南部からアフリカ北部に生息していたが、そこから真猿類(ヴィタミンC合成酵素を失い果実を主食とする)が分岐し、類人猿の第一世代を経て、1200万年前に第二世代シヴァピテクスが登場する。後のオランウータンである。果実といっても、オランウータンは強力な臼歯によって未熟果の固い種子を食べることで自らのニッチを見つけた。その後一時的な温暖化により種々の類人猿が見られるが、960万年前のヒマラヤ山脈隆起による寒冷化により、ヨーロッパの類人猿は絶滅し、アフリカの類人猿は乾燥化に適応せざるを得なくなった。残された森林の果実食に拘って群れを作って相争ったのがチンパンジーで、水辺の草などを主食として捕食者に対抗する大きな身体を持つにいたったのがゴリラである。何れもコンゴ盆地(当時は湖)を渡れなかったが、湖が溢れてコンゴ河となったときに、チンパンジーの一部が流されて、その南側の楽園に住み着いたのがボノボである。

・・・700〜600万年前にアフリカの大隆起があり、台地に出来たサヴァンナに適応してサトウヤシを食べていたのが類人猿第三世代のアルディピテクスである。その後、400〜200万年前頃、環境は変わり、アフリカはライオン等の捕食動物の活躍するサヴァンナになり、その食べ残した骨を主食としたのが類人猿第4世代のアウストラロピテクス類である。手には骨を割るための石を持ち、足はもはや地上生活に特化していて、直立二足歩行であった。

・・・200万年前以降は、より脳容量の大きい直立二足歩行者であるホモ・エレクトゥス類(原人)が登場する。アジア・ヨーロッパ・アフリカと広い範囲に亘る。彼らは食べ残した骨だけでなく、大きな石器(ハンドアックス)でライオン等を威嚇して追い払ったり、自ら狩もして、肉も食べていた。生態系の頂点に居て、日本では瀬戸内地方に3万年前まで生息していて、渡来した現生人類を威嚇していたと考えられる。

・・・40〜30万年前に、ホモ・エレクトゥスよりも更に脳容量が大きく、頑丈なネアンデルタール人(旧人)がアフリカを出て中東からヨーロッパ方面に拡散し、北方にはデニソヴァ人が拡散した。

・・・ホモ・サピエンスは今まで述べたホモ属の共通祖先のどこかから無体毛の変異種として生まれたと考えられる。通常無体毛に生まれると適応できなくて死滅するのであるが、たまたま近くに河があったため、水草や魚を食糧として生き延びたものと思われる。繁殖構造としては出産間隔の短縮、長い子供時代、大家族という社会構造があり、これが、人口増加をもたらし、遊びと独創性を培ったと考えられ、毛皮を纏い、火を使い、家を作り、更には船で航海する、という技術を生み出した。また、環境資源を回復できない程に使い尽くすことで、ホモ・サピエンスはアフリカを出ざるをえなくなった。12万年前には中東に痕跡を残しているが、9万年前にネアンデルタール人に追われたと考えられている。ネアンデルタール人の雄の遺伝子が残されている。その後、7-8万年前にはネアンデルタール人を避けながらアジア南岸沿いに東に向かったのである。オーストラリアには6〜5万年前に辿りつき(アボリジニ)、ニューギニアに到達。東アジアに向かい、4万年前には朝鮮半島、更に沿海州から樺太経由で、3万年前には日本半島にやってきたその後、より強力になってアフリカを出たホモ・サピエンスはヨーロッパでネアンデルタール人を駆逐し、先に出たホモ・サピエンスを周辺に追いやった。

・・・ミトコンドリアDNA解析によれば、現代日本人の近縁は、カムチャッカ半島基部のシベリア・イヌイット、パラグアイのグアラニ人、その次がシベリアのエヴェンキ人、バイカル湖周辺のブリアート人、中央アジアのキルギス人、南米のワラオ人、他にはオーストラリア先住民とニューギニア海岸民とインド中央部アジア系インド人、南中国人(少数民族)である。これらの民族の共通点は最初にアフリカを出て、ヨーロッパ以外の世界中に拡散し、その後アフリカを出たより強力なヒトに追い払われて混血しながら辺境に生き残った、ということである。日本列島は正に人種と文化・言語の吹き溜まりということになる。

・・・さて、ホモ・サピエンスの拡散していった先はオオカミ分布域の端でもあったから、ここでオオカミから変異したイヌに出会ったと考えられる。イヌはヒトに食糧を貰い、狩猟の友であり、定住地においては夜間の警備者でもあった。このイヌとの共生こそヒトの文明にとって決定的な出来事であった、というのが著者の主張である。本来同種間のコミュニケーションには身振りで充分なのであるが、イヌとヒトの間のコミュニケーションには補助的な手段である音声が必要となった。お互いの発声をまねることで(口頭)言語が発生したという!!!

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