2015.11.15

      今日は晴れた。広大跡地で政治社会学会があった。朝、三石さんから電話があって、資料の印刷をした。電車を乗り換えて日赤前で降りた。高校時代毎日ここを通って30分の徒歩通学をしていた。昔見た通りの広大の門があったが、公園になっていた。この奥だろうと思って中に入るとどうも違う。散歩している人に訊いてみると、大学の施設は門の南側に出来ていた。放送大学と広大の平和科学研究センターになっている。あまり人が居ない。そういえば今日は日曜日だった。エレベーターで3階に行くと会場があった。参加費3000円を払う。三石さんに資料を渡した。あまり人が来ていないようである。奥様も来られた。昨日の講演は結構面白かったらしい。元の国連大使の西田恒夫という人の話。今は平和科学研究センター長である。

      午前中のセッションは「東アジアにおけるエネルギー転換と社会変革」。その趣旨。過去の歴史に見るように、エネルギー資源のあり方の変化には社会変化が伴う。ここ数十年の再生可能エネルギー比率は、世界で見ると2001年の10%程度から2013年の50%越えまで大きな変化を示している。これは単に資源の枯渇とか地球環境の保全とかいう話では収まらなくて、背後に社会の変化を要求している。議論が始まったのはむしろ社会変革からであって、1970年代のシューマッハ「適正技術」やロビンズ「ソフト・エネルギー・パス」であったが、当時夢物語のように語られた事が今日現実的な問題として浮上しており、それは社会学会に相応しい問題である。

      中村則弘氏(愛媛大)はどうも中国の社会研究家らしい。古来中国思想というのは物事を2つの対立する傾向のバランスで考える。この思想は本来環境問題に対しては有効だったはずである。実際「自転車の利用」とか「裸足の医者」とかが、西欧社会から称揚されていた。しかし、中国が改革解放に大きく舵を切って以来、近代化の歪が環境に甚大な影響を与えてきている。2000年頃の中国でのワークショップでは、「正にマルクスの言う資本の原始的蓄積過程、剥き出しの資本主義の恐ろしさ」と評されていたし、その後「苦界浄土」の再現ともなってきた。その中で、民間においてそれへの抵抗が数多く見られる。北京市の北方の農村における森林喪失に対抗するための植林事業と牛糞を利用したメタンガス供給システムによる伐採抑制、などの例がある。「上に政策あれば下に対策あり。」という諺どおり、中国においては政府の悪政という一面だけでなく、抵抗する民衆という他の面が常に拮抗している、ということを忘れてはならず、このような世界観こそむしろ学ぶべきことではないだろうか?近代技術と適正技術というのも二者択一ではなく、両者を調和させることを考えるべきではないだろうか?

      首藤明和氏(長崎大学)は内モンゴルにおける牧畜生活について語った。改革解放後、人民公社が解体され、家畜が各戸請負となった。共有牧草地の濫用を制止するために牧草地の各戸請負と囲い込みの奨励も進めたが、これは却って従来の共有文化を破壊し、牧畜はますます衰退し、砂漠化が進行。政府は環境保護のために牧畜そのものを抑制しようとしたが、抵抗にあって、上手くいかない。その中でリーダーが現れて、現状を分析し、過放牧となる羊の市場への出荷、富裕戸と貧困戸の共同出資による株式による合作、牧草地の統一管理、と次々と提案して改革を行っている。彼は、漢語が話せないということも上手く使って、若い人に漢語を学ばせて交渉役を任せて、漢民族と適度な距離を置きながら、地方に中央政府とはある程度独立した主体となることで、適切な社会運営を成立させているのである。

      松木孝文氏(大同大学)は潮州市という辺縁と見られている地域における環境問題の経過を纏めている。もともと潮州市は生活の豊かな地域であったが、唯一タングステン鉱山があって、そこからの廃液が海まで川となって流されていた。それは市も認識していたが、被害地域が限定されており、充分監視可能なものであった。しかし、先進的な香港地域が工場地帯から金融やITの中心地へと発展するにつれて、環境規制が厳しくなり、そこから公害企業が大挙して移転してきて、市はそれらを把握できなくなった。他方、グローバル企業である生産物のユーザーから環境基準を指定されることによる改善もあった。社会学的考察。

      三石氏の話は、PVnetであるが、その発展の歴史を3段階に分け、第1段階として、少数の目覚めた運動家が採算を度外視して太陽光発電設備を導入した時期、第2段階として、定額買取制度とコスト削減により普及して行った時期、第3段階として、企業が参入してきた現在とした。PVnetの狙いは、本来個人的に導入している全国の太陽光発電を統合して一つの発電会社に纏め上げ、交渉力のある主体とすることであるが、現状は程遠い。そこで、何が問題なのか、という事を探るために、まずは第1段階を反省する。最初から、2つの潮流があった。一つは政治的主張は脇に置いて、環境のために普及を目指すという立場。この場合電力会社すら仲間に入れて、呉越同舟となる。もう一つは原発反対を唱え、あくまでも政治的に纏まろうとする。前者は労働運動から生まれた70年代の自主管理労働運動の流れを汲む(その人達が始めた)。彼としては政治的なことに拘るよりは、そういう流れを重視している。

      緒方清一氏(京都大)は、中国におけるエネルギー状況を説明。再生可能エネルギーは間違いなく普及するが、それは小規模であるが故に、分権的な社会と相性が良い。北欧やドイツやフランスで進み、日本で普及が遅れたのもその為である。そういう意味で、再生可能エネルギーの普及が中国での分権化を進めるかもしれない、という希望。

      お昼は大学の前のお好み焼き屋「ひなた」で食べた。お好み焼きは店それぞれで違う。戦後の食料難の時に、アメリカの補助による小麦粉をうまく使って食べられるものは何でも細かく刻んで、油で炒めて醤油味にして食べたのが始まりである。ここのお好み焼きは卵の使い方がユニークで、上から見るとまるでオムレツみたいになっていて美味しかった。そういえば昨日はオタフクソースの松本重訓氏が来て、お好み焼き普及プロジェクトについて話していたらしい。

      午後のセッションは大学の教育システムにおける文理融合の実例。大学も案外よくやっているんだなあ、というのが素直な感想である。

      吉田光寅氏(広大)はいち早く教養部を廃止して総合科学部を設立した広大の経緯を説明した。コースは離合集散を繰り返しながら続いている。現在は大きく、人間探求領域、自然探求領域、社会探求領域のクラスターに分類し、それぞれの重複を許して全体が融合する形でガイダンスを行っている。最後に、大学の教員は自分の弟子を育てるという使命に拘ることをまず克服しなくてはならない、といっていたのが印象に残った。

      石生義人氏(国際基督教大学)の話。ここでは、入学時に専攻を決めず、人文科学、社会科学、自然科学を含む31のメジャーを並列して、2年終了時に最終選択をする。学生はその間に様々な経験をしてメジャーを何にするかを悩むことになる。アンケート等ではこれはかなりうまくいっている。ICUの特徴としては、世界中の姉妹校を活用したサービス・ラーニングプログラムがある。これは様々な海外支援活動に参加する。多様な国籍と民族の学生がグループを作って活動し、その地域に入り込んで住民の要望を聞きだし、仕事の優先順位と予算付けを話し合って実行する。これはまあ人間的成長に寄与すること大である。

      山田和人氏(同志社大学)は、PBL(Project based Learning)の取り組みについて解説。ここのPBLの特徴は、学外からのテーマ募集である。審査委員会との真剣なやり取りで細かくカリキュラムを作り上げていく。学生はそれを選択すると自主的に課題を見つけていく。創造的に、社会的に、解決を見出す。これはなかなか上手くいっているが、京都ならではのプロジェクトも多いし、テーマ提案者の積極的な関与が求められる。話を聞いていると何だか企業での新人教育(OJT)に似ているなあと思った。でも、ずっと完成度が高い。こちらは学生教育というだけあって、細やかな指導である。学生が難題を与えられてそれを越えていく、というプロセスをうまく演出するのであるから、まあ最初の計画が肝心だろうし、中間点でのフォローも。。。

      コメンテーターとしては三石氏と、広島テレビの社長、三山秀昭氏がちょっと話した。三山氏は最後に、PBLは素晴らしいと思うが、それよりも高校までの教育で欠けている現代史の常識など、もっと基本的なことを大学で補って欲しいということであった。彼は今度の「新潮45」にオバマ大統領との会談記事を載せたそうである。図書館で読んでみよう。 

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