今日はアンサンブル・アッカの第15回定期公演であった。僕はお昼前に出かけた。駅前の福屋の11階で昼ごはんを食べたら、場内アナウンスで、地下一階で尾道の八朔大福が個数限定販売中とあったので、買いに行った。それから歩いて東区民文化会館に行った。また小ホールである。

・・・2時からはお話ということで、客は半分位50人位だろう。若い女性が多い。どうも広大の学生らしい。作曲家の徳永崇さんの学生とかお弟子さん達みたいである。お話は弟子の徳永さんが久留さんにインタヴューという形で久留さんの略歴を紹介した。彼は、祖父や祖母が邦楽をやっていて両親は西洋音楽好きという家庭で、ヤマハのピアノ教室に通っていた。小学生の頃は授業での横笛に熱中した。中学の時はブラスバンドでフルート、高校の時はスポーツに熱中。大学は政治経済の方を出て、それから東京芸大に受かった。作曲科である。

・・・大学院で、現代音楽の潮流に馴染めず悩んでいた時、イタリア政府の奨学金でドナトーニの元に留学して初めて西洋音楽のあり方を知った。作曲の勉強は過去の偉大な曲の構造を分析し、その構造に沿ってその時代の要素を盛り込んでいく。バッハも同様にしてヴィバルディを勉強した。そういう意識的で人為的な方法論の積み重ねによって発展してきたのが西洋音楽である。新しい概念をゼロから作ろうとすれば、行き詰ってしまうのは当たり前である。

・・・ということで迷いが吹っ切れて日本に帰って来て、39歳での最初の就職先が広大の教育学部であった。その音楽科というのは先生を目指す人達だけでなく、音楽業界で活躍したりという人も居て、その人達のために彼が人を集めて作ったのがアッカという集団である。毎年いろいろな現代音楽を紹介しているのだが、今年は彼の還暦ということでこの15回目は〜作曲家 久留智之の世界〜となっている。彼の広大時代の曲を5曲、彼の先生のドナトーニの作品「アルゴ」。弟子の徳永の作品「刺繍の入れ方」、彼の新作「CHARKH」、とオペラ「女の平和」から3曲である。どの曲も個性的で面白かった。

・・・ところで、卒業生の中には演奏家としてはやっていけそうにないが音楽ビジネスには携わりたいという人も居て、その為に作った組織がArtFarmだそうである。とりわけ現代音楽となると演奏だけでは音楽は成り立たず、それを解説したり演奏会を企画したりして人々に伝えることが重要で、それはプロフェッショナルな仕事になりうる。いわば芸術を育てる組織、という意味である。音楽の理解度と共に演奏以外のいろいろな才能が必要なので、広大の学生の仕事としても適している。

・・・演奏が始まる頃にはほぼ満席となった。留学生だろうか、外国人が多い。「バロック・プリーツ(折り返し)」というピアノ曲は、2次元でいうとペンローズのタイルのように、周期性がないのに繰り返して全体を埋める、ということを時間軸上で試みている。リズミックでありながらも特定の拍子になっていない。何とも不思議なリズムであるが、どうもピアニストはその都度拍子を切り替えながら弾いているようで、複雑なダンスのように見えた。

・・・「風の子守唄」は「風が吹く 海から 波のうねり 命抱きて 磯の香りただよう、、、、、いとしの吾子よいつかはばたくその日まで ねむれ 母の胸に サラン サラン、、、」といった門馬美恵子の詩をアレンジしたソプラノと笙とピアノの曲である。ちょっと万葉調というか文章の語尾が急速に高くなるのが不思議な感じ。楽譜を見ると歌い方が線の太さの変化で指示してあった。ピアノはミファシドという感じの、これはまあ風のつもりなんだろうが、僕には海岸に打ち寄せるさざ波の感じがした。こういう断片的なフレーズを繰り返す。笙は例によって不思議な和音の連鎖。9.11に触発されて書いたということである。なお、笙の音は高さを調節できないのでピアノ側で合わせるために電子ピアノを使っていた(A=430Hz)。

・・・「地上にひとつの場所を」はフルート、ヴァイオリン、ギターで、抑制されたスタッカートの複雑なリズム。音高変化が突然で、演奏が難しそう。

・・・「クラップ・スラップ・トレンブル」はフルート、オーボエ、クラリネットという菅3つに対峙して、ba/ling/bin というのだが、竹に半分位切れ目を入れて、それを打ち付けて音を出し、残りの切ってない部分で共鳴させて特定の音高を作り出すという打楽器3本がリズム主体のメロディーを出す。加えて彼等は不思議な掛け声を出す。楽しいというか面白いというか、演奏中に3歳くらいだろうか女の子が通路を歩いて舞台の前で食い入るように見ていた。この子は時々声を出して、演奏の邪魔になるか、とも思うのだが、演奏者はどうも受け入れているみたいである。この曲は人気があって、木管五重奏にアレンジされたり、高校生が吹奏楽コンクールで取り上げたりしているらしい。

・・・「トラヴェラーズ」というのはピアノと打楽器のための語り物である。打楽器奏者が最初は太鼓、次はカホンという箱型の打楽器、最後は手に持って何やら叩きながら歩き回る。語りの内容は、天性の舞踊・音楽家が鬱蒼とした豊かなジャングルが次第に乾いてきたので水を求めて旅に出る、最後には老いぼれていく。何となくアフリカの森林の草原化に適応した人類の歴史を思わせる。最後にはガガーリンの「地球は青かった。周囲は暗かった。私は周りを見回したが、神は居なかった。」で終わる。ちょっとハンナ・アレントの科学観を思い出した。

・・・「アルゴ」はギターのソロで、ややこしそうなリズムの短い曲である。ギターは上手かったが曲はあまりピンと来ない。

・・・「刺繍の入れ方」はアルト・サックスとピアノの曲である。ちょっとアルバート・アイラーとか坂田明を思わせるが、全てキチンと楽譜になっている。手法としては予め全体を紋様を描くようにして作っておいて、そこに笙から得られた和音を分散させて作ったサックスの音形を埋め込んでいく。これが刺繍で、その背景で透かし模様となるようにピアノの音を入れていく、ということらしい。確かにそういう感じはした。

・・・「CHARKH」はトランペットと笙の曲で、アラビア風の音階が出て来る。トランペットの音が実に魅惑的なので我を忘れそうになった。真近でトランペットのソロを初めて聞いたような気がする。CHARKHはペルシャ語で「輪」を意味していて、2つの全く起源の異なる楽器の不思議な調和の中に「還暦」という巡りの意味をこめたということである。

・・・「女の平和」はギリシャ喜劇で、女達がSEXストライキをして戦争を止めさせる話。「まったくもって男って輩は」「もつれた糸の解きほぐしかた」「フィナーレ」と全員出演。広島から明るい平和への希求を表現したかった、という事である。

・・・この人は戦後生まれで高度成長期に青春を過ごしたということで、戦争体験の暗さとそこから来る現代音楽特有の晦渋さを持たない。スポーツと経済学で鍛えた強さとユーモアを持つ作曲家である。現在は愛知芸術大学に居て、アンサンブル・アッカの方は徳永崇が主催していてその芸術顧問という立場である。
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