2002.07.03

      団まりなの「生物の複雑さを読む」(平凡社)を読んだ。生物はDNAが環状で一本しかない原生生物から、それらがお互いに融合した複数のDNAを染色体として核の中に収めた単細胞の生物(ハプロイド)が生じる。この段階では細胞は集合して生活することが出来るが、生命活動は個々の細胞で独立している。しかし、遺伝子を2倍体で持つように融合する(ディプロイド)と細胞は集まるだけでなく分業を始める植物では葉根子が基本の分業体制であり、この単位が束ねられたものと見ることが出来る。動物は細胞が平面状に集合し、全てが同等であろうとして閉じた球殻を形成し、細胞の外部空間を仕切って体内空間を作る。この体内空間を利用して動物は進化していく。ディプロイド体制を取ると細胞分裂のメカニズムが複雑になり回数が有限となる。そのままでは死に絶えてしまうようになるので、時々減数分裂をしてハプロイドに戻る。いわば細胞分裂能力のリセットが行われる。戻ったハプロイドはまた他のハプロイドと融合してディプロイド体制を作る。これが生殖である。分業が進むと共にディプロイド体制自身も個体の中で分業され、それ以外の細胞は有限の時間しか存在出来なくなる。これが個体の死である。

      団まりなという人は京大理学部の生物物理学科で発生学をやっていた。発生とはハプロイドが融合してディプロイド体制を作った細胞が進化の過程を辿ってその種の複雑さの段階に達するプロセスである。この本の中では専門的な議論と思われる奇数倍体という例外をどう考えるかという話が結構あるが、その辺は読み飛ばした。

      減数分裂と生殖によるもう一つの機能は個性である。これによって個体の持つ遺伝子は無限に近い多様性を持つようになる。これら全ての体制(複雑さ)の生物は地球上でお互いに依存しあって生態系を形成している。

      要約すると、生きる事の意味など最初からある訳ではなくて、それは生きる事によってしか生み出されないものである、という事である。生きている以上自然死まで生きるというだけの事である。子孫を残すということは確かに意味の一つではあるが、種の多様性に多少寄与するという事でしかない。人は有限を尽くすことで無限を知る。これは親鸞が言った事らしい。

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