2014.08.06

     小雨降る中、今年も原爆被爆者慰霊式典が行われた。毎年テレビで見ているのだが、そういえば参加することも出来るんだ、と気づいた。さて、今日のSKYPE勉強会は雑談が半分位になってしまった。蒸し暑さのせいでもない。昨日自殺した笹井副センター長の話題。週刊誌が矮小化した記事を面白がって書くし、NHKでさえ、小保方さんとのメールのやり取りを番組で公開したりしていた。どうも個人に対する配慮が足りない。そういったことで人が傷つく。笹井さんが関与したのは理研という組織の命令であって、その理由は最初に出した特許の保留期限が切れる前に論文を発表したかった、ということである。笹井さんは勿論論文の筋立ては理解していたし、論文書きの天才であるから、うまくまとめることができて、レフェリーもごまかせたのであるが、そのデータの信頼性についてどれくらい知っていたかは判らないままである。論文の中で唯一疑念が残る部分は、使用した細胞と出来たSTAP細胞が同じ起源のものであるという証拠についての記述が決定的ではない、という点である。ただ、調べたと書いてあるだけである。レフェリーの責任があるとすれば、それに気づかなかったこと、あるいはそれを、確認した、と読んだところであり、それには笹井氏の威光が働いたのかもしれない。小保方さんへの遺書にはSTAP細胞を実証するように励ましているということであるから、STAP細胞そのものは信じてはいたのかもしれない。いずれにしても時間的に焦って十分なチェックがなされていなかったことは確かであろう。結果的に論文の不備が露呈してしまって、理研からも重大な責任を問われてしまった。彼としては正に慙愧に耐えないというところであろうから、精神的に参ってしまっても致し方ないのだが、それを加速したのはマスコミである。冷静に考えてみれば、論文の確かさというのは、その後の検証実験の経過の中で明らかになるのであり、その論文がどうであろうと科学の体系そのものは揺らがないはずである。まあ、多少関係者を振り回したということにはなるが。(もっとも本質外であるこの「周りに迷惑をかけた」ことこそ日本のマスコミが専ら攻撃することなのである。)だから、本当に悪意が無い限り、著者を責めるのは合理的態度とはいえない。誰しも間違いはあるし、その間違いで科学そのものが揺らぐものでもないからである。だから自殺する必要は無いのだが、そこに追い込まれたのは実に日本的な感性、周囲の冷たい目に耐えられなかった、ということ以外には考えられない。いじめ問題と構図が良く似ている。心療内科に通っていたということだが、カウンセラーであれば、自分をもっとしっかり保って合理的に考えるように仕向けるべきなのであろう。

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