2014.12.13

       アステール・プラザのオーケストラ等練習場まで、作曲家酒井健治の作品を聴きに行った。50人くらいの聴衆であった。酒井健治というのは、作曲分野での錦織圭のようなものだそうである。実際ここ数年の間に世界的な作曲賞を受賞している。広島で彼の作品が紹介されることになった経緯については、たまたま尾道出身のピアニスト伊藤憲孝が昔彼の曲をインターネットで発見して驚愕して連絡を取って以来の付き合いということのようである。そして、彼の知り合いの広大教育学部で作曲を教えている徳永祟が今回の演奏会を企画したのである。

      最初にこの3人のトークがあって、そういった経緯や、彼自身による作曲の考え方の解説があった。技術的に語るしかないのであるが、彼の拘りは譜面の対称性だそうである。ピアノを弾きながら説明してくれたが、真中のFのキーを中心として、上下両方に長短3度とかで音程を積み重ねていくことでモチーフが出来る。しかし、それを展開していくだけでは長い曲が構成できないから、乱れを入れていく。当初はフラクタルを応用して乱れの中に規則性を持ち込もうとしたのであるが、実際の演奏場面に持ち込むとやはり響きとして不自然になってしまうので、その乱れの部分は自らの感性に任せるようにした、ということである。作曲というのはそういった技術的な手法が大切ではあるが、そもそも作曲の動機が無いと発生しない。その部分については、依頼者が関わってくるのである。依頼されたテーマを彼なりに想像力を働かせてモチーフを作り上げる。結局のところ彼の作品の魅力の源泉については彼自身も語れないのである。

      さて、最初はピアノソロでReflecting Space I-Bell,Cloud and disincurnations-(2007)である。これは確かに衝撃的かもしれない。聴いていて頭がクラクラとした。経験したことの無い悲哀のような感情が沸き起こった。一体これは何だろうと思う。演奏にも気合が入っていたが、多分曲全体の構成、つまり最初は如何にも現代音楽風でありながら、突如静かなモノローグのようになり、また全然別の方向に引きずり込むような音の絨毯が繰り広げられる、という構造がそうやって聴衆を引き込むのだろうと思う。響きが何とも美しいのは個々の響きというよりも、こういった時間構造による感情の方向付けによるところが大きい。表題の意味は説明してくれたがよく覚えていない。ラベルを下敷きにしているとか言っていた。

      次の曲はソプラノの小林良子が出てきて、「私は他者である(Je est un autre III(2013))」 というタイトルの歌曲である。いうまでもなく、アルテュール・ランボーの作品(というか手紙だったと思う)から採られている。ランボーの無機質な詩心を要約したような言葉(つまり、詩はデカルト的な自己やカント的な人格が語るものではなく、自己の意思とは無縁に他者がいわば自動的無意識的に私を経由して出てくるという意味)だと思う。ところで歌詞があまりにも激しいので多くの歌手に歌うのを断られたということである。小林さんも持て余している感じでイマイチだった。mon coer とか mon triste coer と言う部分しか判別できなかったが、そういえば随分幼児的な糞尿譚を語った詩があった事を思い出した。確かこれはヴェルレーヌとの同性愛、つまりヴェルレーヌに犯されたときの体験という話だったと思う。それは物理的には自己の体験なのだが、詩として整えられてしまうと「他者」になる。

      次はピアノの為の練習曲集、I.Groove, II.Echoes, III.Scanning Beethovenである。これは文字通り練習曲で、ジャズ的な演奏法、強打とその余韻の演奏法、そしてBeethoven の熱情ソナタを下敷きにして、現代音楽風に復元していく、いわばパロディーである。まあ、あまり感心しなかった。

      次はヴァイオリンの後藤絢子が出てきて、Chasmという曲である。これはさるヴァイオリニスト(成田達輝)からオーロラのような美しい曲をと依頼され、それに反発して、古語としてはオーロラという意味もありつつ、現代の意味としては断裂という意味を持つChasmというテーマにした、ということである。内容的にはピアノとヴァイオリンが競合、競走しながらも、あたかも連星のようにお互いに引きつけられつつ生きていく、という感じのちょっと面白い曲であった。初演は依頼したヴァイオリニストと萩原麻未のピアノで演奏されたらしい。その萩原も来ていて、酒井健治と楽しげに話しながら聴いていた。

      最後はピアニストの児玉桃さんの依頼で、震災からの東北の復興をテーマに、という依頼に応じた「Blue in Green/Green in Blue」である。Blue は海、Green は平野である。この曲もなかなか良かったと思うが、僕はもう疲れてしまっていて、印象がまとまらなかった。

      その後調べたら Je est un autre の歌詞については、兵舎で兵士に犯されて自虐的になっている様子を描いた詩であった。(糞尿譚もあったと思うが別の詩であるし、ヴェルレーヌとの同性愛もよく知られている。)また、Reflecting Space ... は YouTube で見つかった。https://www.youtube.com/watch?v=UvAsK00lQrA ただし、演奏会でのどこか宇宙空間に置いてきぼりになったような感覚は味わえなかった。

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