2014.12.18

    小森陽一の「最新宮沢賢治講義」(朝日選書)を読み終えた。宮沢賢治の童話を読むとついつい引き込まれてしまうのであるが、その魅力を言葉で語るのはなかなか難しい。何だか彼の独特の言葉が無意識の内に読者の心を動かしているような気がする。賢治は法華経思想を普及させる為に童話を書いた、というのは公知の事であり、実際童話のテーマは宗教的である。しかし、その組み立てがどんな手法によるのか、とか物語にどんな意味をこめたのか、となると、キチンと語れない。実に多くの人が解釈を繰り返していて、宮沢賢治ほど多くの人たちに尊敬されている作家は居ないのではないか、とすら思える。僕はそれほど真面目に解釈本を読んでいないので、この小森陽一の解釈がどれくらい独創的なのかは判らないが、まあ見事なものだ、と感心した。相当な勉強家であり、問題意識の高い人のようである。8つの童話を採りあげていて、それぞれが興味深いが、それを逐一纏めるのもどうかなあ、と思うので、概略に留める。

      「鹿踊りのはじまり」というのは、農夫が湯冶に出かけて鹿に会い、持って行った栃の団子を置いて鹿がそれを食べる、という話なのだが、その背景を説明する言葉から、小森氏は時代背景を推定する。東北地方において狩猟採集時代の主食は栗や栃の実であったが、やがて粟や稗の農耕が可能となる。しかし、農夫が栃の団子を持って湯冶に来たという状況から、小森氏は農耕が上手くいかず、栗や栃の実を採取して食べざるを得ず、その作業で木から落下して腰を痛めてしまった、という物語の背景を見出す。農耕というのは森の自然の破壊であり、農夫は鹿に出会うことで農耕以前の自然崇拝を思い出す。その様子が宮沢賢治による設定、農夫が鹿の会話を理解する、ことで読者に直接的に伝わる。

      「狼森と笊森、盗森」も人々の農耕と自然との関わりの物語である。鉄器を手にした人たちが自然の中に侵入してきて、いちいち周囲の森に許可を求めながら当面の食料の木の実を採り、畑を作り、木を伐採し、家を作り、火を炊いて農耕生活を築いていく。冬の間に飢えていた子供4人を狼が養い、そのお礼に貴重な粟で作った餅を捧げる。やがて、家畜が導入され農地が拡大される矢先に農具が笊森の山男によって笊に下に隠される。山男は自分も粟餅が欲しかったのである。ここで、笊というものが編む技術によって生まれ、それは自然の素材にある撓みに対する反発力を利用したものである、ということから、小森氏は、火を使う文明の象徴である金属の農具を笊の下に隠した、ということは、文明の行き過ぎに対する自然からの警告である、と捉える。3年目、納屋が出来る。つまり余剰生産物が出来る。その納屋から全ての粟が盗まれる。このとき、人々はやはり森に探しに行くのであるが、2年目までは「みんなのもの」と呼んでいたのが、「おらのもの」に変化している。なかなか鋭い観察であって、余剰生産物によって、私有の観念が誕生したということである。宮沢賢治はそこまで考えて主語を変化させていたのだろうか?そうなのかもしれない。

      「雁の童子」は前世もその前もずっと記憶している童子の話である。そういう仮構から見えてくる生命の哀しさが主題である。勿論仏教なのだが、宮沢賢治の採った手法は如何にもそれを読者に実感させる。

      「土神ときつね」を小森氏は、土俗日本に入ってきた西欧近代の物語と解釈する。2人は樺の木に恋してお互いに競合して、樺の木はきつねに惹かれるのであるが、最後に土神はきつねを殺す。そもそも、土神はその昔中国から陰陽五行説と共にやっていて、人間生活の場で祀られていて、砂鉄を大量の伐採木材で鉄に変える人間達に崇拝されていたが、やがて林は刈りつくされて人間も居なくなり、1本の樺の木が残され、土神は祠の中に閉じ込めれてしまった。この経緯からして樺の木は土神を怖がる。きつねは日本古来の五穀豊穣の神から使わされて稲荷として祭られているので、外来の土神を嫌う。きつねもまた近代西洋科学が入ってきて穀物が生育する原理が人間に知られるようになってきて、やはり稲荷神社に閉じ込められる。きつねは樺の木に気に入られるために如何にも西洋がぶれの知識をひけらかし、西洋風の服装をして、ついには天体望遠鏡を注文した、とまで嘘を積み重ねている。

      「オッペルと象」はオッペルという資本家が稲扱き機を導入して利潤を挙げ、更に象をうまく騙してこき使うという話である。最終的には象が手紙を仲間に送ってオッペルが襲われて象が救われる。この話の背景にはインド独立運動があったということである。

      「おきなぐさ」はまあ、結構文学的な作品として解説してあった。日本語を味わうような読み方には僕は付いていけない感じがする。

      「注文の多い料理店」は有名な作品だし、僕もいろんな解釈を知っている。そもそも、英国風の身なりで猟をする紳士という富裕階級に対する「糧にとぼしい村の子供等」の反感、という説明を賢治自らが序文に書いている。その中で賢治は紳士をわざと「神士」と書いていて、それを小森氏は、動物にとって彼等は生殺与奪権を持つ神のようなものだから、と解釈している。紳士達は山猫に化かされるのであるが、化かされたというよりも、自らの幻想によって、というか日常的な、いかにも富裕階級的な甘えた世界観によって、自ら山猫の提示した正直な言葉を都合よく解釈して罠に嵌る。「糧にとぼしい村の子供等」であれば、決して騙されたりはしないだろう、という指摘は、納得できる。その山猫の言葉に含まれた意味の二重性は賢治によって巧みに設計された装置であって、解説されてみるとなるほどと思う。帽子や外套や服を脱いで、ネクタイピンやらカフスボタンやらを金庫に仕舞われて、という件に、小森氏は、第一次大戦後におけるイギリスの没落を対応させる。そういえば、明治政府は江戸時代におけるオランダ一辺倒をイギリス一辺倒に切り替えたのであった。産業革命以降の価値体系の崩壊をそこに見る。その後身体にクリームを塗るのであるが、これもまた「糧にとぼしい子供等」から見れば本来食料とすべき牛乳から作られた富裕階級の贅沢品であって、それを紳士を料理するために使うことはクリームの「意味」の転倒による子供等の復讐となっている。土壇場になって紳士達は自らが食べられようとしていることに気づく訳だが、そのきっかけは塩をすりこむ、という洋の東西を問わない調理法の注文にあった。ここで改めて「西洋料理店」の意味が解説されている。西洋料理の本質は肉食であって、香辛料は肉の臭みを消すために必要であり、銃を使った西洋列強の植民地支配はその為に行われたのである。明治維新政府の行ったことはその模倣であった。賢治は「西洋料理」という言葉によって、薩長の貴族達を想起させている。猟師に助けられた紳士達が食べたのは団子であったように、現在ではなかなか想像しにくいが、当時の庶民達には「西洋料理」は縁遠いものだったのである。

      小森陽一については知らなかったので、調べてみると、元日本共産党員であり、自らマルクシストとしている。まあ筋金入りの左翼であった。最近は憲法9条を守る会を主催している。道理でこういう解釈になるわけだ、と腑に落ちた。そういえば、日本の左翼にはこうした文学者が多いような気がする。ところで、この機会に宮沢賢治の童話を読んでみたのであるが、以上のような解説とは全く無縁の、何というか、賢治の語り口にまたもや魅せられてしまって、小森氏の解説が賢治の心をどれほど捉えているのかが判らなくなってしまった。結局のところ読んだ人自身が感じるしかないのであろう。
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