2021.06.23
『人新生の「資本論」』斎藤幸平(集英社新書): 大変よく売れているらしい。佐藤優だとか水野和夫も絶賛しているので、読んでみた。確かに、これは21世紀における左派の綱領と言えるかもしれない。生産共同体の実践と国家の枠を超えた連帯のための思想である。貨幣に還元されない(GDPに寄与しない)豊かさを目指す。それは気候変動という危機に対処する必要からも要請される。以下メモなので、まとまりはないし、まとめるつもりもない。

第4章:「人新生」のマルクス

  ・・・マルクスは将来社会を描く際に、「共産主義」や「社会主義」という表現をほとんど使っていない。代わりに使っていたのが、「アソシエーション」という用語である。労働者たちの自主的な相互扶助が<コモン>を実現するというわけだ。国家が担ってきた社会保障サービスも、もともとは人々がアソシエーションを通じて形成してきた<コモン>である。これを制度化したのが福祉国家である。しかし、1980年代以降、行き詰まりに到達した資本主義は新自由主義を採用して、この<コモン>を市場経済に取り込んで、新たな<外部>を作り出し、南北問題、格差社会と気候危機を深刻化させた。

・・・高度経済成長や南北格差を前提とした福祉国家への逆戻りは気候危機の時代には有効でなく、自国中心主義的な気候ケインズ主義に陥るか、気候ファシズムになだれ込んでいく。

・・・新しいマルクス=エンゲルス全集(MEGA)には著作だけでなく、草稿やメモも取り入れられている。とりわけ、マルクスが図書館で読んだ本の覚書が重要である。「共産党宣言」を書いた頃のマルクスは、資本主義が生産力を向上させ、労働者たちを疎外すれば、自動的に革命が起きると考えていたが、1948年の革命が失敗し、その後も恐慌が起きるたびに資本主義が拡大していった。それを踏まえた著書が「資本論」であった。しかし、第1巻を完成後に死亡してしまい、第2、3巻にその思想は反映されていない。結果として、「生産力至上主義」と「ヨーロッパ中心主義」、「近代化の賛美」の思想(史的唯物論)として伝わってしまった。

・・・リービッヒに感銘を受けたマルクスは、「人間と自然の物質代謝」を取り込もうとした。人間は「労働」によってその代謝に関わる。資本主義は代謝を無限大にまで促進させ、自然のサイクルを超えてしまう。「資本主義は物質代謝に修復不可能な亀裂を生み出す」とマルクスは第1巻に書いた。その後15年間、マルクスは自然科学の勉強をしていた。カール・フラースの古代文明の崩壊と環境破壊についての記述、ジェヴォンズの石炭埋蔵量についての警告、地質学での生物種の絶滅。エコ社会主義のビジョン。

・・・初期のマルクスは植民地支配も現地の停滞した生産力を活性化するために必要な事として認めていた(オリエンタリズム:「インド評論」1953年)が、晩期にはそれを撤回するに至る。非西洋や資本主義以前の社会を調べていた。1881年、ロシアのナロードニキの革命家ヴェラ・ザスーリチの質問への返信、およびその草稿において、マルクスは明確に「資本主義を経ることなく社会主義に至ることが可能であり、ロシアに残っている共同体は資本主義に対する重要な抵抗拠点となる」と述べている。こうして、「ヨーロッパ中心主義」は捨てられていた。

・・・フラースの著作:滅亡した古代文明とは異なり、ゲルマンの「マルク共同体」は土地所有や作物の共同管理によって持続可能な社会を作っていた。ゲオルク・リートヴィッヒ・フォン・マウラーのマルク共同体論:土地使用権をくじ引きで決めていた。持続可能性と社会的平等とは密接に関係している。ロシアにもミールという古代から続く共同体があった。平等で持続可能な脱成長型経済こそマルクスが目指したコミュニズムであった。

 第5章:加速主義という現実逃避

・・・アーロン・バスターニ:指数関数的な技術の発展によって環境の限界は乗り越えられる。エコ近代主義。しかし、選挙で選んだ専門家に任せておけばよい、という考え方だと、矛盾のしわ寄せがどこかに転嫁される。技術の公開性が重要である。これは決して不可能ではない。フランスでは、気候変動対策として「市民議会」が作られて、多くの政策が提案された。資本主義に包摂されてはならない。「構想」と「実行」が分離されると、人々は自らの自主的生活能力を奪われてしまい、資本家によって選ばれた一部の専門家の構想に従って、生産プロセスが分業化され、全体の構想を知ることなく労働者が単なる実行者となってしまう。「潤沢さ」は希少性を撹乱することで、資本主義のメカニズムを毀損する。経済成長と潤沢さを結び付けるのではなく、脱成長と潤沢さを結び付けなくてはならない。

 第6章:欠乏の資本主義、潤沢なコミュニズム

・・・マルクスの言う「本源的蓄積」の意味。共同体管理だった土地から農民を追い出して資本管理とする。(明治維新においても、岐阜の山々は入会地から政府管理へと変えられて、人々は日々の薪の調達ができなくなった。)潤沢で持続可能な水力資源から有償で希少な石炭への移行。石炭や石油は排他的独占が可能な資本であった。水力資源は場所が限定されるために、労働力が希少となるが、石炭や石油は都市に持ち込むことが可能な為に潤沢な労働力を使える。

・・・「ローダデールのパラドックス」:私財の増大は公冨の減少によって生じる。マルクスはこれを「資本がコモンの潤沢さを解体し、希少性を増大させていく過程」と捉えており、資本主義初期だけのものとは考えていない。富の事を「使用価値」と名付け、私財=市場価値を「価値」と名付けた。資本主義は使用価値を市場価値の為の手段に貶めた。例えば、希少性を高めるために、過剰な使用価値は意図的に捨てられる。破壊や浪費は資本主義にとってのチャンスである。戦争も飢餓も気候変動もチャンスである。現代の労働者は自律的生活基盤を失い、「貨幣の希少性」を求める。住宅を購入すれば、住宅ローンという負債を背負う。人々を無限の消費に駆り立てて希少性を生み出す仕組みが広告によるブランド化である。

・・・コミュニズムとは、資本によって否定されたコモンを取り戻す運動である。人々が生産手段を自律的・水平的に共同管理することを目指す。太陽光や風力は希少性が無いために資本の参入が難しいが、市民管理には適している。各国で、様々なワーカーズ・コープ(労働者協同組合)が、福祉国家の限界を克服する方法として注目されている。コモン領域の増大によって貨幣基準で計算される GDP が減少していく。これが脱成長である。それは潤沢さの回復である。脱成長は清貧生活ではない。むしろ資本主義こそが大部分の人々に清貧を強いている。

・・・ 科学は我々が何を目指すべきかということを教えてはくれない。それは自己抑制的で民主的な討論によって決められるべきである。一部の専門家に任せてはいけない。

第7章:脱成長コミュニズムが世界を救う

・・・ピケティは「参加型社会主義」と謳い乍らも、脱成長の立場は明確にしない。租税という国家権力に依存する方法を採るから、国家社会主義に横滑りしてしまうだろう。マルクスは物質代謝論に見られるように、自然と人間との媒介をなす労働と生産の変革を目指す。それに比べれば、分配や消費の在り方や政治制度や大衆の価値観変容は二次的なものである。

・・・自動車産業の破綻によって荒廃したデトロイト市では、地価の下落によって、都市農業が盛んになり、住民のネットワークが再生されている。コペンハーゲン市は「公共の果樹」を植えた。現代版入会地である。

・・・マルクスの構想は、「使用価値経済への転換」、「労働時間の短縮」、「画一的な分業の廃止」、「生産過程の民主化」、「エッセンシャル・ワークの重視」とまとめられる。

・・・最近、ケア労働者の反逆が増えている。世田谷の保育園が突然閉園されたとき、保育士たちが自主営業を始めた。

第8章:気候正義という「梃子」

・・・晩期マルクスの「レンズ」を通して、いくつかの都市の革新的試みを見る。そこから今後の方向性が見えてくる。理論の役割はそういうところにある。具体的にはバルセロナ市である。

・・・リーマンショックによって、オーバーツーリズムの結果家賃の高騰、物価の上昇に見舞われた。2011年に「15M」運動が起きた。バルサローナ・アン・クムン党という市民政党が誕生し、2015年の地方選挙で政権を奪取した。町内会的な市民グループを政治に参加させた。生産現場の人たちが「気候変動非常事態宣言」を起草した。地産地消型経済政策である。この運動の背景には、スペインで盛んな協同組合運動があった。社会連帯経済の規模は、雇用の8%、総生産の7%を占める。バルセロナの気候変動非常事態宣言の骨格は「気候正義」である。特権的な地位にある先進国の富裕層の費用によって、協同的ケア労働、他者や自然との友愛関係、誰も取り残されない社会への移行を推進する。バルセロナ内部ではなく、世界の都市に呼び掛けて、「フィアレス・シティー」のネットワークを提唱し、77都市が参加している。

・・・このような運動はバルセロナに始まるものではない。1994年メキシコで起きたサパティスタ運動はNAFTAに抵抗した。1993年の国際農民組織ヴィア・カンペシーナには二億人以上の農業従事者が参加している。2015年、南アフリカ食糧主義運動が開始された。協同組合を作り、農具などを貸し出し、有機栽培などの教育を行う。ヨハネスブルグのサソール社は石炭から石油を作っているが、これは温室効果ガス排出量が2倍になる。操業を停止させる運動として、彼等はアメリカの社会運動に連帯を呼び掛けた。

・・・先進国だけで環境問題を考えると経済成長を優先して周辺部にその負荷を押し付けることになる。経済発展と環境問題の両立はグローバル・サウスに転嫁され、不可視化されてきた。「緑の成長」を目指すグリーン・ニューディールも、ジオエンジニアリングのような夢の技術も、MMTのような経済政策も、危機を前にして常識破りの大転換を要求する裏では、その危機を生み出している資本主義という根本原因を必死に維持しようとしている。

・・・国家という力を無視するわけにはいかない。それを前提としながらも、コモンの領域を広げていくことによって、民主主義を議会の外へ、つまり生産の次元へと拡張していく必要がある。信頼と相互扶助が基本である。

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