2020.11.22
100分で名著:吉本隆明『共同幻想論』 解説:先崎彰容

    学生の頃、みんな読んでいるので、つられて読んだ本だが、あまり感銘は受けなかった。文学者らしい手法で、自らの中に物語を作り出している。つまり、国家というものの理解を組み立てなおしている。そうせずには居られなかったというのは良く理解できるし、同情も感じるが、同調するにはあまりに粗雑な論理であると思った。ただ、その姿勢には学ぶべきだろうし、彼の解釈の斬新さには注目すべきである。結局一詩人、それも、素晴らしい詩人であった。以下録画を見ながらのメモである。

● 吉本隆明の出発点
    軍国青年だった吉本が戦後への不適応を起こした。
『マチュー書試論』で、マタイの人間的葛藤を暴き出す。徴税人としてユダヤ人から忌み嫌われていたマタイがイエスの教えに飛びついて、死後にその教えをユダヤ教から強引に切り離した。マタイはユダヤ人社会から切り離された為に、新たな人間同士の関係性を築こうとした。それが原始キリスト教である。
『関係の絶対性』
    人間関係によってしか正しさは決まらないから、我々は関係を無視して考えることはできない
    他方、関係に束縛されて自分の思想が決まるから、関係を否定しなくてはならない。
つまりは、関係に絡めとられつつも『幻想性』を自覚しなくてはならない

『対幻想』
  エンゲルスの国家論が対比として使われる
    集団婚 母系制 ユートピアがあったのだが、その後の農耕社会において、
    私有財産 所有が生じて、男性が所有者として登場し、 階級差が生まれる。階級対立の隠蔽の道具で国家が成立する。
    この起源論を否定した。
『対幻想』の拡大でそのまま国家となったと考える。
    嫉妬(エロス的関係)こそが国家の起源であった。

『古事記』
    アマテラスとスサノオの兄弟姉妹の対による国産みが国家の起源である。
    国家に広がる時には『祭儀』によって対幻想を成員全員に抱かせる必要がある。
    更にはその専門職として巫女が登場する。
        巫女を介して共同幻想が対幻想として受け入れられる。
『遠野物語』
    死が共同幻想に寄与している
    恐れを共同体で共有している。
    関係性に乗っかって成員全員に共有される『物語』を作る。
    これが遠野物語が受け継がれた動機である。
『罪の意識』の必要性
    海に追われたスサノオが泣いた。スサノオの乱暴から天岩戸
    スサノオの懲罰と原罪:原始農耕土民(畑作)が罪の意識を持つ
    大和王朝は彼等に稲作をさせる。
    農耕土民に罪の意識を負わせることで被支配を納得させる。
    スサノオの子孫は罪の意識を浄化するために祭りをする。
『佐保姫』の話。兄との対幻想と天皇との共同幻想に引き裂かれる。
    母系制に殉じて死んだ。支配される側に付いていった。
  罪の大祓から刑法へ。
    国つ罪(近親相姦、獣姦:追放)、天つ罪(水田に関する:刑罰)の区別。
    後者が刑法に繋がる。刑法によって、罪人も成員として包摂される。
以上、要するに、国の成り立ちで忘れられたものを露わにする。原初に立ち返ることが、必要である。(吉田民人流には社会プログラムの解読と変更)

●共同幻想に抗する個人幻想
    芥川龍之介の『歯車』:帰るべき共同幻想を持たない都会人の妄想である。敗北必至。
    遠野物語:共同幻想を持つ主人公:死の物語である。社会に呑み込まれてしまう。

どうすればよいか?
『自立的思想の形成について』左翼と右翼:東西冷戦のスキームそのものを批判
  大衆の原像:個人幻想のモデル:
  沈黙の言語的意味性。一種の裂け目に気づくかどうか?
  地道な生活者の気づく違和感、気づきが重要である。
  これが、吉本隆明の実践的哲学となった。
夏目漱石の随筆『思い出すことなど』
  日常生活も緊張の連続である、ということ。何も革命家や政治家だけが社会を変えるのではない。。。

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