2020.11.22
中島みゆき2003年の曲『恋文』は離島の若い医師を描いたドラマ「ドクター・コトー」の主題歌『銀の龍の背に乗って』という励ましの名曲のシングルB面であり、アルバムでは『恋文』というタイトルの中に両方が入っている。この曲が印象的なのは、その「女っぽさ」である。中島みゆきという歌人は大変に倫理的な詩を書く。この世の不条理に痛めつけられている善人にも悪人にも共感を示して、彼らに成り代わってその気持ちを歌い、そのことで救おうとする。まるで宗教家・巫女である。だから、これはアメリカで録音したときに言われたそうであるが、彼女の歌は女の歌と男の歌が半数位の割合になっていて、他に例を見ない女性歌手なのである。しかし、『恋文』という曲はこういう規格から完全に外れていて、女の切ない恋心を歌っている、という意味で、特異的なのである。ただ、そういう中身だけであれば、逆に、一般的な歌謡曲と違わない。この歌にも彼女らしさがあって、それはやはり凡人には思いもつかない言葉の使い方である。

・・「探るような目で恋したりしない。」と始まる。要するに打算が最初にあって恋を始める訳ではない、ということである。恋というのは本人の意思というよりは成行、運命、、、というものであり、他人の視点で説明できるようなものではない。こんなことは大抵の歌謡曲では大前提となっているから、わざわざ歌わない。それをあえて歌詞にすることで、何事にも理屈っぽい男向けの説明になっている。以下いろいろな言い方で同じ事が繰り返されるが、その表現の多彩さに刺激されて聴き入ってしまう。僕の好きな処は「何故なの本気なの何時なのどうしたの何処なの誰なの何も訊けないものね」というあたりである。こういう遊びのような言葉の使いかたは、他でも例が多いが、彼女の得意とするところだろう。そして、サビの部分でまた驚かされる。「アリガトウ」という恋文の言葉には「これきり」という別れの意味があったのだが、そんなことにはまったく気づかなかった、という。確かに別れの手紙であれば、そういう意味で「これまでありがとうね。」と書くだろう。この恋人は彼女が可哀そうで直接的には表現できなかったのだろう。彼女はそれに気づかないほど夢中になっていた、ということで、何とも初心で純粋な人だなあ、という印象がこれで決定的に定着する。まあ、要するに男の気持ちをグッと捕まえて、しばらくの間甘い幻想に浸らせるような歌に仕上がっている。ちなみにこの曲をカバーしているのは岩崎宏美である。同じ年に柴咲コウに提供した『思い出だけではつらすぎる』というのもそれに近い。この頃中島みゆきは自分の歌の方向性を変えようとしていた、というインタヴュー記録もあるらしい。

・・bilibili で聴くことができる。
https://www.bilibili.com/video/BV12T4y137zy

 
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