2015.07.27

     先日来、三菱マテリアルが、戦時中の米国人捕虜の強制労働に対して正式に謝罪した、というニュースがあって、気になっていたが、今日BSフジのプライムニュースで社外取締役の元外務省岡本行夫氏が出て話をしていた。謝罪というのは反省と許しがセットになって成立するものなので、こういうタイミングになってしまった、ということである。三菱マテリアルは中国人の徴用の訴訟にも応じていて、それについても解決の兆がある。彼によると、習近平側近の考え方として、そろそろ日本と和解すべきだというのがあるのではないか、という。それはまずは民間同士で進めるべきだというのである。

これらに対して朝鮮人の徴用についてはなかなか難しい。捕虜や強制連行という他国籍人に対するものではなくて、当時の日本の植民地人に対しての日本人と同様の国家総動員法に基づくものであった、というのが日本側の言い分である。徴用の実態についてもそれほど酷いものではなかったと思われるし、三菱マテリアルにはそもそも記録もない、という。これに対して、小此木政夫氏が話した。法的には日本の言い分が正しいのだが、朝鮮民族の考え方は朱子学に基づいていて、決まりごとよりも「そもそも何が正しいのか」が重要視される。植民地にとっての戦争は勝ったり負けたりすることではなくて、戦時徴用である。国家や民族としてのアイデンティティーを奪われ、宗主国の戦争に徴用され、戦争が終わったらもはや国が独立したのだから日本人ではないとして放り出されて補償もされない、というのは理に反する。そういう心情を日本人は理解すべきである、という。いずれにしても、条約によって、韓国は国家的補償も個人的補償も放棄しているし、中国は国家的補償を放棄している。

岡本行夫氏が言うように、そういうことではなくて、人間として、やはり悪い事をしたのだから、許しのタイミングを計ってであるが、素直に謝り反省すべきであろう。この「反省」ということについて岡本氏は、日本がそれを示す最も有効な方法は近現代史教育だという。中学や高校では教科書に一応記述があるが、殆ど教えられていない。これは日本の教育の大きな欠陥である。受験対策に忙しいということもあるだろうが、やはり教師が教えることに戸惑いを覚えるからではないだろうか?近現代史だけでも切り離して必修科目にして教室で議論させてみてはどうだろうか?因みに僕が日本の近現代史を勉強し始めた切っ掛けは2011年の原発事故であった。どうしてこんな国になったのだろうと思ったからである。。

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