2012.10.12

      「日本/権力構造の謎」第3章:「抱き込みの構図」は、<システム>に対抗する勢力が如何にして丸め込まれたか、を描写している。そもそも対抗勢力が依拠すべき組織や信条について考えると、アジア諸国や西欧社会では宗教組織や血縁同属集団があるが、日本ではそういった伝統が育っていない(うまく制御されてきた)。インドではヒンズー教の僧侶階級に対して支配階級は絶えず配慮を強いられている。タイでは仏教が国民の価値観の根幹にあり、王制と並んでいる。フィリピンではカトリックの司教、インドネシアやマレーシアではイスラム教指導者、韓国ではカトリック、プロテスタントの教会があり、これらは普遍的な原理を持つことで国家に対して異議を唱えることが出来る。そもそも西欧の政治体制は宗教を政治から切り離すための手段であった。中国では宗教よりも世俗的な氏族と地主階級による地方権力機構が国家に異議を唱える基盤になってきた。儒教で大切とされる「孝」によって血族の繋がりが国家に対抗する論理を与えてきた。日本での「イエ」は血族に限らず、仕事の分担の意味が大きく、徳川政権によって家父長制度が国家の基盤としての地位を与えられたために、財産所有権も無い成員までも<システム>に組み込む手段になってしまった。

      消費者運動の主体であるべき主婦連は闇取引反対運動から1948年に結成されたが、1960-70年代がピークであって、現在では不正商行為や円高が還元されないなどの多くの問題があるにも拘らず沈黙している。日本消費者連盟のトップは農林水産省の天下りである。圧力団体として名をはせたのは日本医師会である。中絶医療産業を保護するために、経口避妊薬の使用禁止をさせたし、医師の自由裁量をコントロールして、医療機器や医薬品や治療法を制限したりしている。(具体的でないので判らないが。)武見太郎亡き後医師会も衰えた。戦後、圧力団体は戦没者、傷痍軍人、旧地主、売春業者など、枚挙に暇が無い。売春業者は売春禁止法を阻止するために全国性病予防自治会連合を作っている。西欧から見ると、こういった圧力団体は日本の民主化の証拠のように見られるが、実態は補助金と妥協によって<システム>に取り込まれ強化する働きを持つ。自民党は草の根的な支持基盤を持たないから、これらの圧力団体は党員の後援会となる場合が多い。

      公害反対運動は最も成功した圧力団体であった。水俣病は最たる例であって、彼等の運動無しには大手の新聞も報道することは無かった。当該企業は当初、暴力団を使ったり、医師の研究を妨害したりしたが、工場に押しかけた大勢の患者や家族を新聞も取り上げざるを得なくなって、こういった姑息な手段が使えなくなった。マスコミが大きく報道したために、<システム>は反応せざるを得なくなり、裁判所が動かされた。70年代後半になると、公害反対運動は地方自治体での革新市長を生み出し、やがて<システム>自身が公害を表立って課題として採りあげたため、運動そのものは下火になった。

      多くの圧力団体は進んで官僚の出先機関(レーダー)となっている。所轄官庁に出入りして陳情するだけでなく、地方の様子を官僚側に詳しく知らせる役目を担っている。当初の目的は失われ、最終的には単なる集票機関になってしまう場合が多い。個々の圧力団体は個々の官庁に属するから、圧力団体の主張を官庁が代行して<システム>の柔軟性の障害になったり、逆に官庁の主張が圧力団体によって世間に表明されることもしばしばある。

      農協は今日の<システム>を支えるもっとも重要な圧力団体である。歴史上日本の地方農村は中央政府に対して伝統的な自治権を持っていた。1900年に零細企業救済のために設立された産業組合法により農村での共同組合が誕生したが、中央政府による支配とは別物であった。1943年に全ての協同組合が中央の管理下に置かれ、戦争協力の名目で農業会が作られて加入が強制的となった。それがそのまま敗戦後に引き継がれたのが農協である。政府は農協の集荷した米代金を農林中央金庫を通じて一括概算払いする。これは都道府県の信用農協連合会を通じて各農家の預金口座に振り込まれる。農協関係の金融機関は資金調達コストを殆ど無視できる、という優位に立っている。しかも農家の預金口座の中身は全て把握している。資金の半分は外部に投資される。他に、農産物の販売、農家への機具や種子の販売、保険・厚生施設、消費者金融、等々のほぼ独占的な営業活動が可能となっている。特にその共済事業は大蔵省の管轄を外れて非営利事業となって生命保険と損害保険を一つの事業体が扱うことが出来る。80年代初めには5兆円近くに達していて、日本生命の総資産をはるかに上回っている。選挙の時には巨大な集票機関として自民党を支えている。農協のセールスマンは法律で禁じられた戸別訪問もセールス目的という名目で行うことが出来る。農水省が<システム>の内部で力を持つのは農協のお陰である。

      労働運動は戦前において弾圧されたのであるが、一方で財閥の力を抑えるために、内務省は労働組合法の制定に尽力したほどである。それでも組織率は8%に過ぎなかった。1920年代には一部の企業で企業大家族主義が打ち出され、政府もそれに倣って個々の企業内での協議会をまとめて全国的な組織を作り、最低限の複利厚生条件が整えられた。これは1938年にナチズムの労働政策に倣って大日本産業報告会として纏められ、内務省の指示下に置かれた。このことが今日に到るまでの労働者の企業内主義(会社に忠誠を誓い、生産性を高めるように努力し、転職はしない)を育む要因となっている。戦後解放された共産主義者達は労働運動に入り込んで、一時は優勢に立った。1945年から1952年頃まで労働争議が頻発した。しかし、1947年2月のゼネストがマッカーサーによって中止させられて以来下火となり、1949年のレッドパージと翌年の戦前の官僚達の公職追放解除によって<システム>の反撃体制が整えられた。中国の革命と朝鮮戦争がアメリカの戦略を変えさせたのである。戦時中の国家統制産業組織の先頭に立っていた官僚達によって日経連が設立され、企業内に第2組合が結成されて労働運動が弱体化された。産業別会議は1950年に解散させられ、総評が主要な組織となったが儀礼的な「春闘」を繰り返した他はさしたるインパクトも与えなかった。企業内労働組合に属して終身雇用や福利厚生の恩恵を受けているのは1/5程度であって、残りは下請け中小企業、一時雇用の労働者である。彼等が有効に組織されれば<システム>にとっては脅威となるであろう。このような体制の問題点は労働者が国の政策決定に関与していない、ということである。海外に内需への転換を約束しておきながらも、賃上げ額は更に減少し、企業は海外に投資し続けている。

      社会党は日本最大の野党であったが、その極端に学理的なマルクス主義によって、理論と現実のすり合わせが出来ないまま安易に現実を批判する一方であった。極端な例として長年金日成を朝鮮半島の代表として認めていたほどである。1986に土井たか子が党首となってやっと現実路線を歩み始めたように見える。部落解放同盟は社会党と提携して<システム>と互いの生存権を認め合うようになった。解放同盟は差別を行ったと断罪した組織や個人を糾弾する会合を開くことによって自己主張するが、殆ど法的手段には訴えない。<システム>は彼等への差別を根本的になくすための政策を社会規範とする代わりに特別な便宜供与や助成金を与える事で低賃金労働力を維持している。このようなやり方の解放同盟を共産党系の被差別部落出身者達は非難していて法的手段に訴えているが、あくまでも独占資本主義との闘いの一環としてしか位置づけていない。

      <システム>に対してもっとも徹底的に戦ったのは日教組である。彼等の強さは、戦前、戦中において教え子を戦場に送るための皇国教育を行った事による強い罪悪感に由来する。少しでも戦前の体制を思わせる動きには敏感であったから、戦後追放を解除された旧文部省と旧内務省官僚が集まる文部省と対立するのは当然であった。文部省が日教組に対して教育の質を問題にしたことはなかった。実際日教組の活動家は熱心な教育者でもあった。道徳教育や国歌国旗問題、教師聖職説、などが対立のテーマとなった。1954年の教育2法(教育者の政治活動禁止)56年の教育委員の任命制、指導要領、57-58年の勤務評定問題、と続いた。国際的にも非難を浴びたこの勤務評定問題の最中に約8万人の教師が脱会し、200人以上の教師が逮捕され、400人以上が解雇や停職となり、1,000人以上が降格、3,000人以上が懲戒、52,000人以上が減給処分を受けた。以後日教組は財政難となり、分断攻撃で弱体化してしまう。日教組がここまで徹底して戦うことが出来た背景には日本を敗戦にまで導いたという強い反省と共に、彼等の依拠したマルクス主義というイデオロギーもある。そういう意味で普遍的原理に依拠していた。残念な事に正にその事によって、本来は味方となるはずのアメリカを敵に廻すことになったのである。

      日本の<システム>が西洋の議会制民主主義とは異なるにしても、少なくとも<システム>はその妨害者に対しても寛容で、ある程度の妥協もすることから、「政治的多元制」と言えるのではないか。しかし、多元制というのは相当数の国民が自ら選んだ代表を通して、国の長期目標の決定に参加し助ける事を前提にしている。無制限な産業拡大という長期目標は既に70年代から有効でなくなっているにも拘らず、新しい優先事項を打ち出す政党もなく、国民が新しい考えを打ち出す機会も持てないのであるから、多元的民主主義というわけには行かない。それでは、「協調組合主義国家(コーポラティスト・ステート)」と言えるのではないか。専門職や利益集団が政策決定を競い合う、オランダ、スウェーデン、オーストリアなどの体制である。しかし、こうした国々のような、市民に選択の機会や行政決定の間違いについて法的手段に訴える手段が与えられていない点で、日本の<システム>はそうともいえない。いずれにしても、問題なのは、「日本の政策を抜本的に変えるだけの制度手段が欠如している」という点に集約される。

      どうもこの本のまとめは長くなりそうである。僕自身が日本の社会を全体として眺め直したことが無いから、内容を書き留めておく必要性を感じるためである。ただ、僕自身がそれに全面的に同意しているしている訳でもない。というのは結局のところ今まで日本は比較的うまく運営されてきたと感じているからである。それらの過程において多くの不如意が生じたし、今後の日本がこのままでうまく行くとは思えないから、そういう意味で、著者の分析は参考になると思うが、当然ながら著者は自らの政治思想(「健全な」代議制民主主義)が日本には欠如している、という見方で一貫していて、そこに全てを帰そうとしているように見える。

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