2016.08.26

大分前に本屋で目について買った菅野完著「日本会議の研究」(扶桑社新書)をやっと読み終えた。前半は何だかまどろっこしかったが、終盤で本命が出てくる辺りはサスペンスを読む感じであった。一年程かけての調査を順序良く纏めているが、要約するには逆順の方が判りやすいだろう。

      発端は谷口雅春によって創始された「生長の家」。確か子供の頃家の中に雑誌があったように記憶している。どんな宗教なのかまた勉強してみようかと思う。さて、本命は安藤巌という人物らしい。60年安保世代の彼は高校生の頃血管系の病気で7年間も動けなくなり、不遇を囲っていた。朝日新聞に投稿して、取り残された者同士でサークルを作ろうとしたのであるが、それに答えたのが谷口雅春であった。彼の教えによって(と信じたのであるが)、安藤氏は奇跡的に回復して、長崎大学に進学する。そこで出会ったのが左翼学生運動であり、彼は椛島と共に粘り強く「大学正常化」運動に取り組み、学生多数の支持を得て成功して当時大きなニュースになった。この時の経験的運動論:

(1)頼りにならない多数の学生ではなく、日本人という自覚を持つ強力な組織が必要である;

(2)闘争に明け暮れる執行部とは別に理論学習の組織が必要である;

(3)たとえ一時的に敗北してもいつまでも立ち上がれる場が必要である、

はそのまま現在結実しつつある改憲運動に生かされている。(1)が「日本会議」、(2)が「祖国と青年」「明日への選択」といった機関紙やセミナー、(3)が、「日本青年協議会」、「日本政策研究センター」、「谷口雅春先生を学ぶ会」である。安藤巌の運動は非暴力的で草の根民主主義であって、半年前に早稲田大学で「大学正常化」を実現してヒーローとなった鈴木邦男の武闘主義とは対照的であった。1969年に生長の家学生会全国総連合が結成されて、その初代書記長となった鈴木邦男の下についていた安藤巌は巧みな裏工作を指揮して、半年後には鈴木邦男を追放することに成功した。谷口雅春本人の講話の場で実名を挙げられたのは安藤巌だけである、という事実や彼自身の人格的魅力やその話の巧みさ(病床でラジオを聞きまくったから落語や漫才で勉強したのだろうという人もいる。)によって、安藤巌は40年以上も陰のカリスマとなって日本会議やその実質的運営団体である日本青年協議会の運動を支配しているし、こういう人が居なければ地道で民主的な政治運動が神社まで巻き込んでここまで一貫して継続することはなかっただろう、と著者は言う。

但し出発点となった生長の家という宗教団体はその3代目に至って、1983年に政治運動から決別して環境問題に取り組んでいる。現在安倍政権を支えている組織はその時に分離して出来たものであり、それらの運動体の事を著者は「生長の家原理主義」と名付けて区別している。(この点創価学会が公明党と袂を分っていないのとは対照的である。)安倍晋三氏がこの運動に祭り上げられたのは、小泉首相に異例の抜擢をされて登場し、第一次政権での基盤の脆弱な時に、日本政策研究センターの伊藤哲夫氏と意気投合したのが始まりだった、と著者は言う。12年前である。ストレートに明治憲法の復活を目指すのではなく、当面「歴史認識」「夫婦別姓反対」「従軍慰安婦」「反ジェンダーフリー」を掲げてリベラルに対抗するという方針や、憲法改正の優先順位は「緊急事態条項」→「家族保護条項(個人の代わりに家族)」→「自衛隊国軍化」とすることが戦略となり、現在着実に進行中である。伊藤哲夫の著書「憲法はかくして作られた」(2007年)は1980年に生長の家本部政治局が出版した同名の本と殆ど同じであるが、これは不思議なことではない。実質的には同じ著者なのだから。集団的自衛権を合憲とした学者百地章もまた生長家学生運動の出身である。

      とかまあ、いろいろと知らなかったことが沢山書いてある本で、勉強になった。安倍政権を支えている政治運動が「生長の家原理主義」だとしても、それ自身非難すべきものではない。問題は彼等に対抗できるだけの「原理」と「草の根民主主義的実践」があるかどうか、だろう。 

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