2014.09.04

      小雨が降り続いて不快指数が高いので、家内と出かけた。県立美術館に行って「ムーミン原画展」を見てきた。ムーミンについては何も知らないで見に行ったのだが、細かく描かれたペン画と時々添えてある物語の説明を見ていく内に、これが単なる子供向けの童話ではないように思えてきた。勿論フィンランドの自然を相手にした人々の素直な感覚が生きているとは思うのだし、暖かい人間(ではなくて妖精)関係もあるのだが、登場人物同士の関係からは、お互いにある一線から先は理解不能という感覚が感じられる。だからこそ、その範囲で出来ることをやろう、という積極性も生まれるのであろうが。それと、権威に対してやや皮肉の眼差しが見える。登場人物は極端にカリカチュア化されている。記念に携帯ストラップとTシャツと袋を買った。昼ごはんは福屋の裏の方にある和食屋で食べて、一緒に三越の北海道展を見て、家内は帰った。僕は丸善に寄ってムーミン関係の本を探して、シリーズの話を一貫した物語としてまとめている文庫本(冨原眞弓の「ムーミンを読む」ちくま文庫)を買って読んでみた。

      ムーミンの作者のトーベ・ヤンソンという人は女性であった。知らなかった。どうも政治風刺画家だったらしいが、戦争の時代に入ってからはそれも叶わず、自然の中に閉じこもって幼い頃の思い出に基づいた物語を書き始めたものらしい。本人も社会からの逃避であったと言っている。正に「想像力の翼」である。主人公のムーミンはトロール(妖精)である。現在のように可愛らしくなったのは3作目あたりからで、この頃から連作としての構想が始まり、ムーミン村が構成される。登場人物がいずれも戯画化された個性派ばかりなのに対して、主人公のムーミン自身は素直でこれといった自己主張もなく、ただ子供らしく全てを受け入れる存在である。そこいらに広がる空気のように。作者の諦観が形になって現れている。だから、語り口がやや哲学的にもなるのだが、これがどうして子供達に受け入れられているのか、といえば、そういうこととは関係なくて、単に想像力豊かな物語の発展が楽しいからであろうと思う。そういえばルイス・キャロルと「不思議の国のアリス」においても、こういった作者の思念と読者の求めたものとのすれ違いがある。

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